ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

鶴見緑地 山のエリア オーストリア庭園の花

2018-08-21 06:08:21 | 旅行記


 14日の激しい雨の後、いつもの公園へ しっとり百日紅を見た後、少し遠回りで帰ろうと
オーストリア庭園へ寄ってみると
百日草(20日アップ済み)、千日紅が 楽しませてくれました。 億日草は無いようですね(笑い・・・・

再びは百日草を1枚

千日紅 





ラベンダー フェリナセア 良く咲いてきてます。


キツネの少年 パークセンタのスタッフさんから麦わら帽子をかぶせてもらってました。

パークセンター グッドジョブ!

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雨上がりの公園

2018-08-20 06:08:20 | 旅行記

今朝の最低気温23℃の予報が24.4℃ う~ん、すでに台風の影響かな 
台風が2つ 今週は雨、風に注意しないと・・・・・
 このところ所用で 出かけ散歩がままならない~ 14日、久しぶりの夕立の後、いつもの公園へ
雫が残って

コンデジでチャレンジ 何とか撮れた感じで~す。

見た目にみずみずしい 撮ってみると・・・・上手く表現できなかった・・・残念(-_-;)


いつもアオサギ、コサギで賑やかな四季の池が 静かすぎる コサギ1羽で採餌に頑張ってました。


後ろ側の睡蓮池 葉っぱがてんこ盛りで~す。


オーストリア庭園へ寄ってみると
百日草でしょうね








いつもの公園内で 百日草はこの場所だけで~す。
もっと、ほかの場所にも植えてほしいなぁ~
ボランティアサークルの皆さ~ん よろしく~

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天満橋界隈

2018-08-19 06:08:19 | 旅行記

 久しぶりに大阪府廰を観て、ブラブラ天満橋方向へ 卒業した中学校跡地付近に
出た。 当時のグラウンドが残っている感じ 校舎から道路を隔ててだったのですが
こんなに幅広い道路だったかな?・・・・
 当時の校舎 地下1階~3階 3階の教室からは 眺めがよかったなぁ~(^-^)
今では、周囲に10階建てくらいのビルが林立し、まるでコンクリートジャングルです。
校舎跡にも高い建物が、マンションの感じですねぇ~
 大川まで出ると 風が吹き抜け 少し暑さが和らぎますね(^-^)
行きかう屋形舟はこんな感じで~す

水の上は涼しいと言っても エアコン ガンガンかけて走り回ってま~す。

西日で赤く染まりながら 港に接近中の水上バス


乗降中・・・天井は上がった状態ですね・・・・
天井が下がっていると腰をかがめないと歩きにくいで~す。


こんな屋形舟も


夕焼けになりそう


残念 もうちょっと赤くなってほしいなぁ~ バスの発車時刻が迫って来た、
最後まで見れなかったぁ~

このバスを逃すと 40分後、座ってのんびり自宅付近まで連れて行ってくれるバスは
楽ちんで~す。
たまには。 楽しようっと。
地下鉄で乗り換えは 距離がありますよ長ければ3~400mは歩きま~す。
足腰が鍛えられま~す。(*_*)

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レトロな大阪府庁 

2018-08-18 07:08:18 | 旅行記

 今朝は 涼しい~(@_@) 17日も朝から気持ちがよかっところですが
午前5時の気温 20.4℃ ちょっと寒い~ 17日の最高気温30℃に比べると
滅茶苦茶爽快というより寒い・・・東の空が赤くなったので 1枚


昨日は所用で出かけ その帰り道のワンショット

阪急電車 宝塚線の車両で~す。(ラッピング、ペイントどちらかな?)

8月10日の官庁街ブラブラ模様の続きで~す。(^-^)

頑丈な建物が 大阪城の西側で お城を眺めてます。
大正12年に着工し 大正15年10月(1926年)大阪府庁舎3代目が完成、 
柱が太く頑丈ですね 重厚感あふれる歴史的価値が高くなってきているそうです。
クラシックな感じを利用した映画などにも 多く利用されており
1989年にブラック・レイン(高倉 健、(松田勇作の遺作)も出演した)のロケに使用され
テレビでも使用されてます。
設計コンペで 平林金吾の図面に岡本 馨が手を加えたものが選ばれて 賞金8,000円を得てるそうです。
大正のころの価値が分からないところですが 相当なものでしょうね。
(大正14年の米10kg、3円20銭、今の米は10kg4100円くらいかな)で計算できそうですね(^-^)

正面より

大阪府廰 廰の文字がいいですね 訓読みでは「やくしょ」 文字からは まっすぐな心で良く聴くの
意味から 政務を聞く家屋を意味し「役所」を意味する「廰」⇒「庁」となったそうです。
議員さん、従事されているに届いているかなぁ~。
大きな車寄せ 凄いものです。 
 装飾部をアップ

92年も経ってます。綺麗な石柱を思わせますね。
この建物、関東大震災クラスの地震を想定し、補強されているとか
しかし、南海トラフなどの大震災には 耐えられないとかで 補強も
検討されているとか…建て替えの話もありましたが 見送られているようです。
大切の使用するのが良いのではと思います。

正面玄関 少し接近

右端の表札 何が書いてあるか不鮮明・・・・近くから見てみると 大阪府議会では
このままがいいのか、びしっと決めるのがいいのか、どちらでしょうね・・・・
あまりにもみすぼらしいなぁ(-_-;)

大理石の階段を進んでいくと

3回までの吹き抜けになってます。
このイメージは旧第四師団の玄関とよく似てますね(現、ミライザ、大阪城天守閣前のミュージアム)







3階から下の眺め




3階の廊下をウロウロしていると 松井知事さんの退庁に遭遇 歩きながら視線が私に すぐに前を向き
足早に階段で玄関で待機している車両へ行かれました。
動きは、きびきびしてますね・・・・好感(^-^)

2代目の庁舎 建っていた場所は 元 西町奉行所跡で現在はマイドーム大阪が建ってます。
なにわの商売挨拶 まいどおおきに・・・・長いなぁ 
元気よく”まいどっ”と言います ⇒ 毎度 ⇒ マイド ⇒ マイドーム(展示場、会議室)の名称

この建物も ちょっと行ってみたくなりました。 行くとこが増えて来たなぁ どうしようかなぁ(^-^)

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大阪城 西外堀と石垣

2018-08-17 06:08:17 | 旅行記

 西外堀から 千貫櫓 多門櫓方面を眺めると
400年の歴史が 見える感じ(たいそうな(笑い・・・・)

左から千貫櫓 次いで多門櫓 ちょっと小さな門が 登城用の正門になるのかな 大手門で~す。

映り込みを狙ったが あまり変化がないなぁ(笑い・・・・


少し南側へ移動してみると 草木が邪魔だった 上手くいきません。


場所により こんな風にも見えま~す。
 
少し引いてみると こんな感じです。


千貫櫓と青空の映り込み・・・・イマイチだね(-_-;)        石垣の反りが ちょっと綺麗に見えます。
 



昔は この近くに下馬に札があったような記憶がありま~す。
右端が 大手門で~す


西外堀を眺めると 水面当たり すべて直線と思ってましたが 微妙な角度が付いてますね。
初めて気が付いたところです。


なんとなく 撮ってみましたが 石垣、それぞれ色んな顔をしているように感じました
全国の諸大名が腕を競った証でしょうね 工期、美しさ、丈夫さ(400年経っても 崩れていない・・・・
凄い!! 幾多の地震を生き残ってます。)
これからも ゆっくり見て回ろうかな(^-^) 
詳細を調べる方法を見つけないと・・・・ 

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かき船(大阪府公館)

2018-08-16 06:08:16 | 旅行記

大阪府公館の大サロンを出ると カキ船が 凄く精巧な作りですね~

浪花のかき舟 説明版より。この説明は、かき舟製作者 松本国太郎さんです。

水の都大阪には、道頓堀川、土佐堀川、江戸堀川、西横堀川、など、街を縦横に結ぶ
水路を形成する堀川がある。
そうした堀川の端にかならずと言ってよいほど見られたのが「かき舟」である。
 毎年、晩秋になると広島からやってきて翌三月まで川面に薄暗い障子の灯りをうつす
かき舟は、浪花n冬の風物詩でもあった。 舟の中では「寄席のおどり」などが 
よく演じられてにぎわったが、昭和四十年代になってしだいにその姿を消していった。
ちなみに明治三十年頃のかき舟のメニューによると、かき飯十五銭、酢かき九銭
どて鍋十銭であった。
ミナミの街を東西に走る道頓堀川、ここにも往年のかき舟があり。フナや雑魚をすくって
遊ぶこどもがいたが、その恩影は今はもう残っていない。

灘波のワッハ上方内に展示されていた かき舟がATCエイジレスセンタにも展示、どうやら
ATCから大阪府公館へ引っ越ししたのかも、この作品は 松本さんからの寄付と思います。

かき舟 たぶん7~80cmくらい 非常に成功にできてます。 障子、ふすま など
動くのでは 触って壊れるかと思い 触ってません。(*_*)


引き戸上手くできてますね この旦那 春団治のイメージかも


かき飯の食事中かも 後の飾り窓 10cmも無いんですよ 凄く良くできてます。




昭和40年頃 そういえば 肥後橋?渡辺橋付近に 大きな船があったなぁ~ こんなにでかい船では
無かったが、長い間、料理舟があった記憶が ほのかに残ってました。

明治のころ 広島から やって来て牡蠣を提供していたとは 知らなかったぁ(*_*)

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大阪城 堀シリーズ その1

2018-08-15 18:51:59 | 旅行記

 あれ~ 予約時間を間違った~ ドジだね~ アップする順番が変わってます。
この後、また、大阪府公館へ戻りま~す 悪しからず。
(予約日時設定が上手くいかなかった(-_-;) こんなことは初めて 困ったものだ
確認をしっかりしないと 1日に2回アップになってしまいます。)

 大阪府公邸の見学を終えて 東側の上町通りへ ちょっと大阪府庁を観てから 

西堀・北堀をじっくり・・・でもないですが 撮ってみました。
大阪城角の北西隅・・・・・方角では戌亥(いぬい)から 乾櫓の名称だとか
いろんあ決まりごとがありそう・・・・
この櫓、外から見ると四角に見えますが、内側(西の丸庭園側)から見るとL字
型で~す。解体修理時に 屋根瓦に元和6年(1620年)の刻印が確認されてます。 
徳川家康が築城してからまもなく400年になりますね(^-^)

乾櫓


石垣の反り具合が 微妙に違うなぁ~・・・・なぜかな?


中学生のころ、良く眺めた光景です そのころにはカイツブリも見かけてました。

その頃は OBPのビル群は もちろんないで~す。



昔を思い出しながら 南へ移動 

西の丸公園の西側の石垣、一部が突き出してます。 この上に櫓があったのかも・・・詳細不明?

石垣をよく見ると 上の方は右の方へ広がってますが 水辺は少し食い込んでいるのでは
なにか意味がありそう・・・・理由が分かると 面白いなぁ・・・・時間をかけて調べてみようかな(*_*)

台形部分の左側です。

西堀沿いの石垣・・・・ぼちぼち干潟向き始めて来た 赤みがかってます。


千貫櫓(左)多門櫓(右) すぐ横は大手門です

堀と石垣 ちょっと面白そうです。・・・・いつまで続くかな?

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レトロなシャンデリア(大阪府公館)

2018-08-15 06:08:15 | 旅行記

色んな思い出、しかも60数年前を 思い起こさせてくれた大阪府公館には
ちょっといい感じのシャンデリアが・・・

大サロンの天井



全部で3灯でした。

小サロンの天井


知事室の天井

アップしてみました。


玄関ロビーの天井 ここはちょっと豪華ですね


建築当時のままのようですね 大正時代のシャンデリア いい感じでした。

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大阪府公邸 内部編

2018-08-14 06:08:14 | 旅行記

いや~ ほんとに毎日暑い~(>_<)
昨日、いつもの公園へ行ってみると 歩道、、公園内の歩道を歩くと 下からの熱気が
ほんとに凄い、 池の淵の地面へ行くと 風が通り抜け、下からの照り返しを少なく
気持ちがいい~ 気温を高いと思うが そんなに堪えないものでした。
たまには、コンデジ無しの散歩を楽しんでました。

 色んな思い出を蘇らせてくれた 公邸 もちろん初めてのことです。
通学時に見えたのは、表札と塀の思いで 建物がどんな色で、形も
全く記憶にはないところです。

左側の見学用ルートから入ると 左手 大サロン
私には 会議室と見えました。


大サロンの奥の方から出ると 廊下の向こうに知事室が 現在はもずやんの部屋になってます


廊下を進んでいくと 右手に小サロン これも会議室では

床には 絨毯が 模様が入っており ちょっといい感じですね。


暖炉でしょうね なぜかブラウン管テレビが 今ではデジタル放送、受信できるのかな???

ちょっと貴重品的価値ありですね

広報担当副知事だったかな もずやんの席で~す。

ガラスの地球儀がいいなぁ・・・


玄関を入ったところには 記念撮影用パネルが


外を眺めると


離れの和室

こじんまりとして まとまった感じの建物でした。

次回は 室内のシャンデリアとカキ船の予定で~す。

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大阪府公館(95歳で~す)

2018-08-13 06:08:13 | 旅行記

大阪市内の官庁街迄、所用で・・・・・ 待ち時間を気にしてましたが 
驚くほどスムース、手違い申請しても追いかけてきて、間違い訂正を
アドバイスして頂き、凄く助かりました。
最近の官公庁、部署によっては、オンライン化も進み、直接請求が円滑に
なってました。(@_@)
証明書も手に入り、付近をブラブラ~

おっ 懐かしい場所が、一般公開されてました。
昭和30年代に 大阪府知事公舎前を通り 中学校へ通ってました。 
当時は確か 赤間文三さんの表札がかかってました。
調べてみると 知事が公選で選ばれた初代の大阪府知事さんですね、知らなかった(^-^)
就任期間 1947年~1959年(昭和22年~昭和34年)へ~12年間も続いていたんですね(@_@)
当初は国の物だったんですね 昭和28年に 無償で大阪府へ譲渡されるまで、国選知事が住み
続けたとか、話によると、横山ノックさん(タレント知事 パンパカパーンのフレーズ 古いなぁ)が
居住したのが、最後とか。
 平成4年には 知事に関連する行事に使用されるようになり 名称も 大阪府知事公館と変更 
平成20年には イベントなどに使用することが多くなり 名称も大阪府公館に変わってました。
久しぶりに 前を通り、初めて内部を見せてもらい やっと判ったところです。
建物内は 1923年建設(大正12年)です たぶん当時としては 斬新な設計ではと思います。
天井灯にシャンデリア風の照明器具が多く見かけました。

建物概要
・建 築 年   大正12年(1923年)
・敷地面積  2,700.92平方メートル
・構     造   鉄筋コンクリート造 2階建
・建 築 費   国有財産特別措置法に基づき国より無償譲受
・延床面積  652.18平方メートル 

門扉 表札には大阪府公館となってました。 学校への通学時に ここが赤間文三でした







飾りっ気のない シンプルな感じで~す。

右側から眺めると

灯りが見えているところが 知事執務室では 今では 広報担当副知事もずやんの席になってま~す(@_@)

庭には 花壇の小径に季節の花が植えられてます。


西側に隣接するのは茶室でした。

8畳間(床の間付き)と6畳間のでした 茶室らしき雰囲気は 茶箪笥だけでしたね 釜が見えなかった。

この垣根?塀? 全く変わっていなかった・・・・非常に懐かしい眺めで~す。約60数年前と変わりなし(*_*)
 
徒歩通学は毎日ではなく 早起きの日だけで~す。 寝坊すると、市電が来なかったぁと
言い訳を「起きるのが遅いから遅刻すのだ」と説教された思い出もあります。
距離にして2.6km 時間は30分以上かかっていたのでは・・・
とりあえず外観から紹介しました。

内部は次回、お楽しみに~

最後までご覧いただきありがとうございます。