たそがれおじさんのぐうたら人生(TOGZ) 

「とかち」をこよなく愛するおじさんが自転車で巡る十勝野風景を発信(十勝が丘展望台から日高山脈眺望12/2)

センチュリーラン深川 3~本番編(ゴール一番乗り)

2011年06月21日 | 自転車

ここ3年連続で宿としているこの旅館、おじさんの事情もわかってくださり、630には朝食を準備していただき受付・出走までに時間の余裕があります。

 

19日は、絶好のスポーツ日和となりました。745、会場となっている陸上競技場駐車場に着き、受付を済ませました。「2011センチュリーラン深川大会」は100名を限定とした大会ですが、113名の参加がありました。

 

プログラムを見ると、十勝からはおじさんを含め3名がエントリーされていました。二人とも面識のある方だったので、会場であいさつを交わしました。帯広のSさんは、Oakwayの然別ヒルクライムでご一緒してから存在を知ったという方です。TBP隊長のOさんと同年齢です。今シーズンはこれまで3000kmほど乗り込んだと言っていました。おじさんは半分にも満たないと思います。

 

久しぶりの再会を深川で果たしたので、会場前で記念の1枚を撮り、お互いの健闘を交わしました。

 

                                                                                

 

今回、80kmが最も多く第7グループまであります。おじさんは何でも中途半端、というよりか熱中してしまい後遺症に悩まされるものですから、55kmの常連です。このグループは4グループで34名ほどです。年齢層は34歳~74歳まで、おじさんは高齢順位5番です。目標は5番目以内に帰ってくることです。

 

90080kmの第1グループから1分置きに10名グループで出走です。おじさんのグループでは、若手で朝630、東神楽町の自宅から深川まで来たというAさん(この人もTBP隊長と同じ年齢でした)が協調体制作りにいいのではないかと思い声をかけました。その時点ではそのようなこと(協調とは)は言いません。状況次第ですから....

 

スタートまで少し時間があったので、携帯デジカメでスタート前の様子を写しました。おじさんは、55kmの一番先なので前の人たちは、80km67グループの人達です。

 

                             

 

7分後、おじさんの第8グループの出発です。国道や線路を横断するのでここは自分の都合では事故のもと。前の信号が赤だったので、止まるのももったいないので前方からスピードをコントロールして、青を待ちます。線路を越えてやっと信号機から解放され、自分のペースでのライディングです。

 

グループでは、前に出る人もなくおじさんペースでバイクは進みます。先に出発したグループも少し踏ん張れば追いつくと思ったので、ペースを落としこの種のイベントでは初めて(いや、1回美瑛でもありました)走行中の写真を携帯デジカメに収めました。深川が空知地方の水田地帯であることがよくわかる1枚になりました。

 

                             

 

少しペースを落としたので、後ろを見たら案の定、東神楽のAさんが追いついたようです。おじさん声をかけました。「よかったら、一緒しませんか」と。Aさん、「家から来たので、精一杯です。」といいつつも、くっついてきました。前に出なくてもお供がいるだけで、元気が出ます。最初の坂までに前の集団のしっぽを捉えました。Aさんとはこのあたりで離れてしまったようです。

 

後は、おじさん苦手の坂道でどれだけ踏ん張れるかです。そうだったのですが、なんとこの坂で、前グループの人たちの4番目くらいの人にも追い付いてしまいました。TBPのきつい練習のおかげでしょう。また、超コンパクトも好結果を生んでいるものと思います。坂の途中でダンシングも取り入れたこともよかったかと思います。特に坂の頂上付近では、目いっぱいダンシングをして、次の下り坂につなげました。

 

一方、超コンパクトのデメリットも味わいました。下りの長いところで前グループで追い越した人に逆に追い越されてしまいました。ケイデンス120でも足りませんでした。ここは仕方ありません。

 

平地に入って、一人旅が始まりました。少しして後方の旭川のKさん(お名前は、チェックポイントで話を交わしてわかったのですが)が追いついで抜いていこうとしたので、すぐ後方にくっついて声をかけました。「一緒しませんか」と、Kさんも「了解!」とのこと。

 

まず前を捉えることが第1目標でドラフティングで先頭交代です。とりあえず疲れを感じたらアウトに出ることにしました(この走行は、oakway武藤氏かTBPkazuさんからかわかりませんが教えてもらった走行です)。この走行は、頭に出るときスムーズに前へ進めるので有効だったと思います。

 

二人の協調が成功して、下り坂で抜かれた人に追いつきました。この方はDHバーをつけて本格的装備でした。この方を先頭にしばらく走行したら、前の2人組みに追いつきそうな距離まで来ました。

 

ここでおじさんの出番です。この方にも声をかけ、「よかったらいっしょに追いませんか」と、前に出ました。前の2人組は7080m前あたりでしたので、ここは無理をして一気に先頭を引き何とか追い付きました。後ろを見ると旭川Kさんだけでした。DHバーの方にはドラフティングのみで、お世話になりました。

 

しばらくの間、前の2人にお世話になりながらの走行をしました。くっつくだけですから、本当に楽です。こんな時おじさんは、ケイデンスを落としギヤを重めにしたペダリングをします。これがよいか悪いかはわかりませんが、おじさんにとっては楽な走行です。

 

チェックポイントの数キロ手前でなんか物足りなさを感じてしまい、Kさんに「行くぞ!」の声をかけ、頭に出ました。間もなくチェックポイントも見えてきたところで、Kさん以外の人たちの車輪の音も聞こえたようなので、ここはゴールスプリントと見立てて、思いっきりペダルを踏んでしまいました。

 

Kさんとの協調体制が成功して、チェックポイント40kmはすっごく楽しみました。旭川Kさん、あの際は本当にありがとうございました。Kさんなしでは今回の深川は語れません。(帰ってからプログラムを見てわかったことですが、昨年美瑛センチュリーライドで、出会った東川町のKさん、このグループにいたことが分かりました。後の祭りです)

 

チェックポイントで、冷たい水とバナナを食べ、旭川Kさんと健闘をたたえ合いお別れ、Kさんはここから折り返し、おじさんはこのままゴールへと向かいました。

 

8グループが55kmの先頭なもんだから、おじさんの前に人なし。昨年はチェックポイントを忘れて10kmも行ったところから引き返すという、とぼけた行動をしてしまったことを思い起こすと一層リベンジ心が湧いてきて、力も入ります。

 

でも頭を行くということは快感です。心にも余裕が出てきます。チェックポイントから7kmほど行ったところで、今日2回目の携帯デジカメを引っ張り出して景色を楽しみました。この写真の右側には、水田が広がっています。本当に米どころということが実感できます。

 

                             

 

ゴール手前の2.5kmほどの直線を曲がるとき、ちょっと後ろを振り返ってみましたが、自転車の姿は確認できませんでした。80kmの人たちと合流するところでも出会う人はいません。踏切を渡って、信号待ちに出会ってしまいました。まるまる時間待ち状態でしたが、とりあえず誰も来ません。

 

おじさん、TBPではいつもけっつですが、センチュリー深川大会では1番先にゴールした人となりました。

間もなくして55kmの人が入ってきました。おじさんの2分後にスタートした、旭川のIさんという方でした。

 

ここでも旭川のIさんと声を交わしたところ、1年間帯広にいたということや今も帯広の某クラブに所属しているということでした。おじさんも知っているクラブなもんですから、いろいろと話も弾み、記念写真を撮らせていただきました。

 

                             

 

旭川のIさん、この体格。このコースに丘が4つほどあったおかげで、おじさんは何とか一番最初にゴールした人となれました。これが平たん基調のコースだったら、旭川I さんのパワーでおじさんの前にいたことは間違いなしです。

 

1100ちょっとすぎたところで、奥さんとの約束もあったので会場を後にして、丘にある温泉で汗を流しました。温泉前にはルピナスが見事に咲いています。

 

                             

 

丘を下りてきて、道の駅で買い物や昼食を食べ、神居古澤を目指しました。

1月の沖縄に続く、道内での初遠征もまず無事に終わって、ホッ。


センチュリー深川 2~旭川編

2011年06月21日 | 日記

美瑛のナブさんの家を出る頃から雨が降り出し、今日は外の風景を堪能するにはよくありません。東川町には織田先生の家具をはじめ、こだわりの調度品を納めるために建てたという家と3000坪の敷地(一部林)を観るために経由しました。途中から見る大雪の山々もすそ野がかすんで見えるだけでした。

肝心の織田邸も先導者との距離が合わず、おじさんはよく確認できず、旭川での最初の訪問地、東海大旭川校に着きました。

旭川は家具の街といわれるだけに、東海大学には芸術工学部「くらしとデザイン学科」と呼ばれる学科があり、織田憲嗣さんは学科の教授ということです。

校内では、オランダのデザイナー「フィン・ユール」という方の特別展が開催され、織田先生所蔵コレクションの作品も多く出品されていました。

おじさんは、これまで椅子などにはあまり興味がありませんでしたが、機能性とデザインを意識した「イス」というもののこだわりに、好き嫌いをぬきにして新鮮さを感じていました。

あまり効能書きは述べられませんが、いくつか紹介します。ここの作品は座ってもいいということでしたので、腰をおろしてみました。なんかすごい人の作品と聞いただけでも座り心地は良い気がしていました。

                       

ダブルのソファでしょうか。似たようなものはどこかで見たような気はしましたが、家具屋さんではあまり見かけません。そもそも、売れればよいということととは別世界なのです。

                       

この椅子は機能性が重視されていると思いました。床を支える部分は平面ではなく、円形局面になっています。床の影からもわかります。この椅子はゆったりと腰を下ろすというより、チョットしたおしゃべりやパソコンでの仕事のとき腰にいいのではないかと思いました。発想がいいなあ。

                      

ここでは結構な時間を費やしてしまいました。旭川美術館で織田先生と会うことになっていますが、先生も先約が入っていて、時間の遅れはちょうどよいずれになっていたようです。

美術館には14:00頃着き、織田先生の取り計らいで無料入館での作品鑑賞となりました。ここからは撮影禁止ですので入場入り口で映像は終わり。

                      

中には、織田憲嗣教授の所蔵する北欧諸国(デンマーク・スウェーデン・ノルウェイ・フィンランド)のモダンデザインの黄金期といわれる1950~60年代を中心とした家具(イス80脚を中心に)やクラフトなど300点が展示されていました。

どれもおじさんの日常からはかけ離れたものばかりです。それがゆえに、おじさんにない世界が広がり新鮮でもあります。一通り観賞し展示会場を出たところで、織田先生の先約であった喜多俊之氏(この方も権威あるデザイナーであることを後から知りました)も挨拶をしてくださり、織田先生とじかに触れ合える時間ができました。

ということで、織田先生を伴って再度展示会場に行くことになりました。ここでは、織田先生に直に作品や自身の思いを聞く貴重な時間となりました。おじさん、記憶の人でないのでメモだけ取りました。記録もおじさんの都合だけですが....。

1 織田先生の感性は学生時代と変わっていない。コレクションとなった椅子への魅力も学生時代からであって、その頃から買い集めたものが後年になって評価され出したまでのことだと言っていました。感性は普遍的であるともいっていました。織田先生の感性に先見の明ありか。

2 最近の家具の大量生産や安さだけを追求することには大いに疑問ありと言っていました。ヒトとモノの接点がないがしろにされていると言っていました。(そういえば、おじさんロードバイクの主治医oakway武藤氏も同じようなことをおっしゃっていたなあ)

3 1914年以来いまだつくられている椅子もある。機能・デザインが評価されている結果だと思う。(最近の風潮として)・買い替え・間に合わせ・差し替えなど、消費文化と対比してみていただきたい。

4 健全なモノ作りは、使い手の立場、生活者の立場に立った視点が大切と思う。

5 ものを買うときには、よーく吟味をして買うことが重要。不要なものが家の中に入りすぎている。断・捨・離は、ぜひ実行してみていただきたい。(昨日郵便受けに「断行 捨行 離行お手伝いします」というチラシが入っていました)

展示会場では、作品についてのお話もいっぱいありましたが、メモには残っていませんでした。でも、作品を観賞しながらの上記のメモはおじさんなりの学びでした。展示会場で1講義を受講したようなものです。

なんだかんだで、16:00近く、織田先生を囲んで展示会場入り口で記念撮影を行い、それぞれの帰途につきました。

おじさんは、これから深川に向かいます。旅館に着くには早すぎるしと思いながら、R12号線を走っていたら、丘の上にチャペルのような建物群が見えたので、目を向けたら、なんたら工芸村という文字が飛び込んできたので、Uターンして入って行くと、そこは「北海道伝統美術工芸村」というところでした。その中の一角に、おじさんもよく観光土産店で見るユーカラ織の「優佳良織工芸館」もありましたので、ここのみの限定で入館しました。

ユーカラ織は、羊毛を染めてつくった毛糸をもとに、北海道の自然を織り込んだ独特の作品です。ここも入場後の撮影は禁止です。優佳良織、その貢献者である木内彩さんの写真とともに入り口近くで1枚。

                      

館内の売店では、優佳良織の土産物がいっぱいありました。ここは織田先生の話の通り「不要な物は買うな」の言葉がまだ記憶に残っていたので、写真で、雰囲気だけ残すことにしました。

                      

この時点で、まだお昼ごはんらしきものは食べていません。旅館での夕食は19:00とお願いしているので、小腹を満たすぐらいのものが必要と思い、国道わきのローソンでサンドウィッチを食べ、深川を目指しました。

途中、神居古澤を通りました。おじさんは、9年間ほど旭川に住んでいたことやここから旭川市内に伸びるサイクリングロードを通ったことから、ここが景勝地であることを知っています。奥さんは来たことがないと言っていたので、深川のイベントの帰りも旭川経由で帰り、帰り道で神居古澤に寄ることとしました。

18:00駅前の旅館に着き、この日の一日を終了しました。