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『月と六ペンス』(読書メモ)

サマセット・モーム(金原瑞人訳)『月と六ペンス』新潮文庫

画家のポール・ゴーギャンをモデルにした小説。ちなみに、月は「狂気もしくは夜空に輝く美」を、六ペンスは「世俗や日常」を象徴しているらしい(訳者あとがき)。

ロンドンで株の仲買人をしていたストリックランドは、突然家族を捨て、パリで画家になる。女性、名誉、お金に目もくれず、一心不乱に絵に打ち込む彼は、やがてタヒチへ。

この小説で描かれているストリックランドは性格破綻者であるため、正直なところ、好きにはなれない。しかし、美に取りつかれた彼の言葉は印象的である。

「おれは、描かなくてはいけない、といっているんだ。描かずにはいられないんだ」(p. 79)

タヒチで家族を持ち、病気にかかり、死の直前まで絵を描き続ける美への執念は怖いほど。世間的には幸せとはいえない彼の生涯ではあるが「自分らしさに満ち溢れる人生」であったといえるだろう。

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「思い」を言葉で伝える

バーンスタインに師事し、海外のオーケストラを指揮してきた大植英次さんは、「格調は高く、敷居は低く」をテーマに、誰もが楽しめる「大阪クラシック」を開催している。

ある公演で、観客の子供が演奏中にぐずりだし、他の観客が不快感を示したことがあったらしい。その雰囲気を察知した大植さんは「普段コンサートに来られない人にこそ聴いてほしい」という大阪クラシックの思いを観客に語り出した

その瞬間から観客の雰囲気は一変し、その親子に席を譲る人などが現れ、会場が一体化したという。

このエピソードを読み、「思い」を言葉で伝えることの大切さが伝わってきた。

出所:Works, No.152, p. 44-45.

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『ラ・ラ・ランド』(映画メモ)

『ラ・ラ・ランド』(2016年、デミアン・チャゼル監督)

先日、テレビをつけていたらこの映画が始まったので、そのまま観てしまった(ミュージカルは乗せられる)。

女優オーディションに落ちまくるミア(エマ・ストーン)と、ジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)が出会い、ぶつかりながらも成長しあう恋愛物語。『ハーフ・ネルソン』に出ていたライアン・ゴズリングがいい味だしてた。

お互いがいたからこそ、自分の夢に向かって歩めた二人だが、そんなにうまくいかないのが人生である。

エンディングの演出は良かったが、最後のスマイルをもう少し抑えてほしかった…










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もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる
(マタイによる福音書6章14節)

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文学と競争

『オイディプス王』の作者ソポクレス(紀元前497/6頃~前406/7頃)は、古代ギリシャの三大詩人の一人。あと二人は、アイスキュロスとエウリピデス。

ソポクレスは、アテネの演劇祭・大ディオニューシア祭に30回参加し、18回優勝したという経歴の持ち主。ちなみに、アイスキュロスは優勝14回、エウリピデスは5回とのこと。

文学作品でも競争していたとは、さすがオリンピック発祥の国である。

現在も、芥川賞・直木賞などたくさんの賞があるが、正直なところ「意味があるのか?」と感じていた。しかし、ソポクレスの作品を読み、ライバルを意識しながら切磋琢磨することも、優れた文学を生み出す上で大切かもしれない、と思った。

出所:ソポクレス(河合祥一郎訳)『オイディプス王』光文社古典新訳文庫

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『オイディプス王』(読書メモ)

ソポクレス(河合祥一郎訳)『オイディプス王』光文社古典新訳文庫

エディプス・コンプレックスで有名なオイディプス王の物語。

古代ギリシャの時代、紀元前429年頃に書かれた本作の完成度は高く、胸に迫ってくるものがあった。

父親を殺し、母と交わる」という呪いの預言から逃れるために故国を出たオイディプスは、テーバイ国を救い王となる。しかし、そこに待ち受けていたのは、逃れたはずの呪いであった。

本書を読んで強く感じたのは、オイディプスに「父を殺し、母と交わる」という「意図や欲求」がなかったこと。むしろ「そうならないように」していたにもかかわらず、「そうなってしまった」というところに悲劇がある。

人間の意図や努力ではどうにもならない「運命」の恐ろしさを感じるとともに、そうした運命から逃れる手立てはなかったのだろうか、と考えてしまった。


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『酔いどれ天使』(映画メモ)

『酔いどれ天使』(1948年、黒澤明監督)

最近観た黒澤映画「姿三四郎」「素晴らしき日曜日」はイマイチだったが、この映画は良かった。

町医者の真田(志村喬)は、アル中気味ではあるが、患者思いの赤ひげ先生。ある日、抗争で傷を負ったヤクザ松永(三船敏郎)が治療にやってくると、結核にかかっていることを見抜く。しつこく治療を迫る真田に反発する松永だったが、少しずつ友情のようなものが芽生え始める。しかし、やっかいな兄貴分が出所してきたことで、事態は悪い方へと向かっていく…

この映画を観て驚いたのは、戦争直後の汚い街が舞台であるにもかかわらず、詩的な雰囲気をもっていること。三船敏郎が死の恐怖に追いかけられる場面などは、ヨーロッパの前衛映画のようだった。

なお、映画では終始、真田が松永を(愛情を込めて)怒鳴りまくっている。少し怒鳴りすぎではあるものの、「叱ってくれる人」の大切さが伝わってくる作品である。

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哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる

哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる
(詩編116章6節)


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『ナイン・ストーリーズ』(読書メモ)

J.D.サリンジャー(野崎孝訳)『ナイン・ストーリーズ』新潮文庫

先日『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/パプワース16、1924年』を読んだので、『ナイン・ストーリーズ』を読もうと思ったら、実は大学生の頃に読んでいたことが分かった(ちなみに、読んだのは1985年10月20日14:53である(僕は読んだ日時を本に書く癖がある))。

改めて読んでみたところ、最後の「テディ」が怖かった。サリンジャー最後の作品「パプワース16、1924年」にとても似ていてビックリした。

両作品とも、子供(10歳と7歳)が主人公なのだが、やたらと達観していて、輪廻の思想が思いっきり出ている。「なんだこれ?」と思う反面、とても共感できるのは不思議である。

人生の「はかなさ」と「希望」が交じり合っているという点では、日本的なのかもしれない、と思った。













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『わたしは、ダニエル・ブレイク』(映画メモ)

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年、ケン・ローチ監督)

イギリスの福祉政策を批判した作品。

40年間、大工としてまじめに働いてきたダニエル・ブレイク(デイブ・ジョーンズ)は心臓病で仕事ができなくなってしまう。しかし、制度の不備から医療補助を受けることができず、なぜか就職活動をしなければならないはめに。

そんな中、役所で偶然出会ったシングルマザー、ケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)とその子供たちをサポートするうちに、暖かい交流が始まる。

この映画で衝撃的だったのが、ケイティが食べ物をもらうためにフードバンクに行く場面。空腹の極限状態だったケイティは、突然缶詰を空けて食べてしまったのだ。その後、壊れた靴を履いていた娘のデイジーが学校でいじめられているのを知り、身体を売ってお金を稼ぐことを決意する…

一方、徐々に追い詰められていくブレイクは、ケイティ一家をサポートすることができなくなり家に引きこもってしまう。そんな彼をデイジーが訪ねていく場面が感動的である。

あなたは以前わたしたちを助けてくれたでしょ。私にも助けさせて

厳しい社会を生きる上で、支え合える仲間の大切さを感じた。


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