私は1996年に埼玉医科大学付属病院を辞めてから、株式会社ごりらという特徴のある名前の会社で6年間整骨院の院長をしていました。
この期間に、ワールドビジョンジャパンを通して、タイとザイールの子供達の支援(チャイルドスポンサー)をしていました。
しかし、2002年に原宿に独立開業したとき、先行きが不透明でそれどころではなくなり、チャイルドスポンサーを断念しました。
このときの開業形式には問題があり、今では非常に良い経験だったと感じています。
このような経験があるからこそ、開業支援セミナーなどで、いろいろな失敗談を話すことが出来るのです。
失敗談の逆の事を考えると、だいたいの事はうまくいきそうですね。
この夏、スリランカのチャイルドスポンサーを再開しました。
この仕事は、“世のため人のため”に始めたわけではなく、変形性股関節症に対する考え方に間違いが多いということに気づいたので、それを患者さんたちに知らせたい一心ではじめました。
しかし、今後会社が軌道に乗ったら、何かの形で社会に還元して行きたいと思う。
そんな思いがある。
他には、1999年に決意し、皆さんに約束してきたことへの思いがありますね。
それは・・・・。
つづく
この期間に、ワールドビジョンジャパンを通して、タイとザイールの子供達の支援(チャイルドスポンサー)をしていました。
しかし、2002年に原宿に独立開業したとき、先行きが不透明でそれどころではなくなり、チャイルドスポンサーを断念しました。
このときの開業形式には問題があり、今では非常に良い経験だったと感じています。
このような経験があるからこそ、開業支援セミナーなどで、いろいろな失敗談を話すことが出来るのです。
失敗談の逆の事を考えると、だいたいの事はうまくいきそうですね。
この夏、スリランカのチャイルドスポンサーを再開しました。
この仕事は、“世のため人のため”に始めたわけではなく、変形性股関節症に対する考え方に間違いが多いということに気づいたので、それを患者さんたちに知らせたい一心ではじめました。
しかし、今後会社が軌道に乗ったら、何かの形で社会に還元して行きたいと思う。
そんな思いがある。
他には、1999年に決意し、皆さんに約束してきたことへの思いがありますね。
それは・・・・。
つづく