54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

日記 池内紀 ドイツ語テキスト

2019-09-10 17:15:41 | 日記・雑記2011.1~
9月5日新聞に池内紀さん78歳の訃報 6日産経抄の文を読みファンとして投稿しておきたくなった 
ドイツ語テキスト(1995~2019までの一部)池内さんのを探し読み始めたら次々読みたくなった
捨てないでよかった! こういうのを読んで私は訪問地を決めたんだな~と 
2006.1月号「融和の精神 教会建築家」から
ドレスデンの聖母教会は広島の原爆ドームのように戦禍の証人役として半壊したままの壁が聳えていたが 
1993年工事が始まった 費用は寄付 1995年訪れたときは足場が組まれた矢先 2003年再訪時はドームにかかる矢先 現場主任と足場を登りつめいずれドームに覆われるはずの渡り板に立った時たどたどしいドイツ語で「ここに立てるのは天使たちとボクたちだけですね」というと無愛想だった現場主任が予定1時間を3時間も丁寧に案内してくれた どうやら目に見えぬ天使が助けてくれたらしいのだ (いけうち・おさむ)

この文を読み池内さんのうれしそうな顔が浮かんだ 私はドレスデンへ2回行った 8回目1998.5.26-27と
16回目2003.7.20 何と池内さんも2003年に! 下:117頁右下1995年聖母教会写真覚えていて懐かしい
2019.3月号 「ドイツ文学ごちそう帖36 先端科学を食べる-ゲーテ『ファウスト』」から
ワイマール公国宰相ゲーテは気象予報士第一号、時代の先端科学をとりこみ楽しく人類の悲劇を描いた
ゲーテの事はほかの冊子にも親しみやすい人柄が書いてあり苦手なファウストを読んでみたくなる
2001.7月号 「ゲーテ顧問官の町づくり ワイマール」から
像ゲーテ160㎝とシラー180㎝は身長が実際と違い過ぎる ゲーテは26歳の時ワイマールに来たが18歳の頼りない国王に小うるさい侍従や貴族 約束の日に迎えに来ないのでイタリア旅行に出たがハイデルベルクで追いつかれ戻され一生をここで 四行詩「いかなるときにも 口論は禁物 バカと争うと バカをみる」 ゲーテは自分に言いきかせていたに違いない 貧乏公国の財務官はもっぱら酒でウサを晴らし年々太っていった どの肖像画もかなり下腹が出ている たぶんワインの飲みすぎ
一人旅でゲーテに関する地がよくあったがこういう文を読んでおけばイメージは大分変わったのに…
2002.6月号 「天国の裏門 フランクフルト(Oder)」
ドイツとポーランドの国境でハンザ都市として栄え16世紀初めには北ドイツ最初の大学ができた ベルリンに近いオーダー川沿いの町 クライストが生まれ…… 私は旅してないがアム・マインと勘違いしたっけ

次々読んで書きたいこといっぱいだが面倒 忘備録として色々連想する町をリンク 略①=1回目旅
06.1月号「教会建築家」③アーヘン大聖堂 ⑪ヒルデスハイムミヒャエル教会 ②バンベルク聖ぺーターとゲオルク教会 ①ケルン・マインツ大聖堂(マッティさんがフランクフルトでゲーテの生家へまず連れていってくれた ケルン大聖堂ブログにないので下写真)  他に01.9月号⑤フルダ 02.8月号④リューネブルク 02.7月号①ハンブルク 01.7月号他⑤ワイマール ⑳ワイマール ⑳ワイマール ⑳ワイマール
最後にゲーテ宿泊のスイスの田舎ミュンスターもリンクしておきたくなったリンク1 リンク2
ドイツ語講座は小塩節先生が応用編担当 著書「ブレンナー峠を越えて」で私の一人旅は始まった


①ケルン大聖堂 ②マインツ ③06.1月号右下にドレスデン聖母教会 ④左上に小塩先生   右:9/6産経抄

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