こうした〈悪意〉を踏まえて『ムサシ』を見直してみると、『孝行狸』のほかにも表面通りではない、裏の意味合いがうかがえるエピソードが散見される。
たとえば乙女の仇討ち放棄。武蔵に教わった「無策の策」を実行し見事に父の仇である浅川甚兵衛の片腕を切り落とした乙女は、しかしとどめを差しにいくかわりに「この恨み・・・・・・いまわたくしが断ち切ります」と刀を捨てて甚兵衛の手当てを始める。
この作品のテーマとされる「復讐の連鎖を断ち切る」を体現したシーンであり、そもそも「復讐の連鎖を断ち切る」という言い回し自体がここと次のシーンでの乙女の台詞「恨みの鎖を断」つに由来している。
この乙女の仇討ち放棄を受けて、先まで自身も復讐心に燃えていたはずのまいは「ひとという生きものが美しく見えるのは、こんなときではないでしょうか。」「恨みを断ち切ったときの乙女どののあの清々しい姿に、なにかお感じになりませんでしたか。」と小次郎に語りかけ、乙女自身も武蔵に向かって「とても気分がいいんです」「恨みの鎖を断ったせいですわ。すがすがしくてさっぱりとしたこの気分、武蔵さまに分けてさしあげたい」などと言うのだが、ちょっと待てよと思う。
「恨みの鎖を断った」と言うが、乙女はともかくも甚兵衛の腕を切り落としているのである。命に別状はなくとも日常の挙措に不自由するようになるのは明らかだし、茶人として剣客・道場主としての生命は断たれたに等しい。先に宗矩が武蔵と小次郎に道場破りをしてもらって甚兵衛の評判を落とし干乾しにする案を出しているが、小娘に敗れたうえ片腕を失った甚兵衛が干乾し─生活に事欠くようになるのはまず間違いないだろう。
つまり乙女はしっかり復讐を果たしているのである。武蔵に剣術指南を乞うた時の「父の恨みをこの刃に込めて、せめて一ト太刀でも、あの浅川甚兵衛に浴びせてやりとうぞんじます」という目標を彼女は実現させているのだから。
本来甚兵衛に一太刀も浴びせることなく一切の報復行動を断念してこそ、初めて「恨みの鎖を断った」と宣言する資格があるんじゃないのか。
乙女に「小次郎さまとの恨みの鎖、思い切って断っておしまいになったら、きっと、すっきりなさるでしょうに」と言われた武蔵が「試合は明後日の朝、それが終われば、わたしも今の乙女どののように、すっきりしているはずです」と答えて乙女をがっくりさせているが、要は〈あなたがすっきりした気分になれたのは決闘を敢行したからこそなんだから自分もそうするよ〉と言っているわけで、これは明らかに武蔵に理がある。
父親を殺されたにもかかわらず腕一本で済ませたのだから十分立派ではないかと言われそうだが、『ムサシ』を語るうえでよく引き合いに出される〈アメリカ同時多発テロ以降の世界情勢〉にたとえるなら、アメリカが〈飛行機を三機ハイジャックされ、うち二機を世界貿易センターに突っ込まされたにもかかわらず、報復のアフガニスタン空爆を一回実施しただけで止めにした、空爆による死傷者の数も同時多発テロによる死傷者より少ない〉と誇るようなものである。
(もちろん実際には空爆は一度で終わらず、井上さんによれば誤爆によって亡くなったアフガニスタン市民の数は同時多発テロの犠牲者を優に超えている。(3)-※24参照)
やられっぱなしになれということではない。ただ一度でも多少なりとも報復を行った以上、相手に与えた被害が自分が受けた被害より小さいからと平和主義者のような顔をする資格があるのか。
それで「とても気分がいいんです」だの「すがすがしくてさっぱりとしたこの気分」だのと言い出された日には(さらにそれを同盟国が「ひとという生きものが美しく見えるのは、こんなとき」などと褒めそやしたなら)ふざけるなとしか言いようがない。乙女の行動はこれと同じことである。
そして命は取らず傷も手当てしてやったとはいえ、生涯不自由な体にされた甚兵衛が、この先生活が苦しくなるにつれて乙女を逆恨みして何らかの報復行動に出ないとは言い切れない。「恨みの鎖を断」つどころか、腕を切り落としたことで新たな恨みの芽を残してしまったのである。
それももともと腕一本で勘弁してやるつもりで決闘に臨んだのではなく、殺す気満々だったのがいざ事に及んだらにわかに日和ったという、要はその場の思いつきで行動した結果なのだ。その程度の覚悟なら最初から復讐など企てるんじゃない。
確かにやってみなくてはわからない事、実際やってみて初めて身に沁みてその重大性に気づくという事だって世の中にはあるだろう。乙女も相手に重傷を負わせて初めて血で血を洗う復讐の無残さを実感した。
しかし実際のところやってみなければわからなかった、不可抗力だったで済ませている物事の多くは、想像力不足や怠慢、他人の意見に耳を貸さなかったことによって引き起こされたのではないか。乙女のケースでも沢庵や宗矩が口々に復讐を止めたのに彼らの話を全く聞こうとしなかった。復讐を思い止まる機会は十分あったはずなのに頭に血が上ったためにその機会を見逃してしまったのだ。
あげくにまいや忠助をも巻き込み(彼らが積極的に巻き込まれたとはいえ)彼らをも死地に立たせておきながら、勝手にもう復讐は止めると宣言して〈いち抜け〉してしまう。
普通ならまいや忠助、僧侶のくせに自分も仇討ちに参加しようとまでしていた平心から〈今さら何を言ってるんだ〉と抗議の声が上がってもおかしくない。
彼らだけでなく仇討ちのため是非にと乞うて剣術を指南してもらった武蔵に対しても大概失礼である。いきなり仇討ちを途中で(半端に)止めたあげく上から目線で「すがすがしくてさっぱりとしたこの気分、武蔵さまに分けてさしあげたい」とはどの口が言うのか。今度は〈さっきまでのわたしは燃えたぎる日輪でしたが、今はお月さまのように大人しく光っているのです〉とでも言うつもりか。
宗矩は「この恨み・・・・・・いまわたくしが断ち切ります」と言って自分自身に刃を向けてから刀を捨てた乙女を、自身の心の三毒を斬った、無自覚のうちに活人剣の奥義を究めたものとして「乙女どのには、そのうちに柳生新陰流のうちの活人剣の免許状を贈ろう」と賞賛したが、すぐ前で宗矩自身が語っているように、活人剣はあくまで「己れの心のうちの三つの毒を切り捨ててから、相手に刃を向け」るのが肝要。まず刀を向け、相手の片腕を切り落としてから三毒を断ったのではまるで手遅れである。
そりゃ全く反省しないよりは反省した方が、殺すよりは半殺しで思い留まる方がまだしもではあろうが、到底活人剣の免許皆伝には当たるまい。そもそも腕を切り落としたこと自体は、後悔してる気配が全くないしなあ。
もっともこれらは全て乙女が書いた芝居だとわかってみれば一応は理解できる。もともと馴れ合いの芝居だったからこそ、平心もまいも乙女の突然の変心に驚きも怒りもせずに彼女の決意を褒めそやす─褒めそやすのにかこつけて、ここぞとばかり武蔵と小次郎に恨みの鎖を切ることの素晴らしさを説こうとする。
二人とも乙女の決意に感銘を受けそれを支持するというのなら、まず乙女に倣って甚兵衛たちの手当てに向かって当然の状況である。まいなど自身の手で敵の額に傷を負わせているのにまるで他人事のような顔をしているが、一連の騒動が武蔵と小次郎を教化する目的で仕掛けられたものであるゆえに、本当の意味で怪我をしたわけでもない斬られ役の介抱などより二人の説得の方が優先するのだ。
沢庵や宗矩が乙女らの仇討ちを止めようとするさいに「殺生はいかん、命あるものを殺めてはいかん」「争いごとはいけませんよ。つまらんことだ」と言うばかりで〈返り討ちにあって命を無駄に捨てるだけだから止めなさい〉とは言わない、多くの弟子を抱えるほどの剣客に素人が挑もうというのだから逆に殺される可能性が高いのに彼女たちの命を気遣う様子が見られない不自然さも、この決闘が狂言とわかってみれば納得できる。乙女(たち)の命を慮る発言をしたのはこれが芝居だとは知らない武蔵の「切ると同時に、あなたも切られるよ」くらいなものだ。
戯曲のト書きには乙女が刀を捨てて甚兵衛の血止めに行った直後に「まだ茫然としている武蔵に平心が、小次郎に、まいが寄り添って」、恨みの鎖を切るのがうんぬんの話を聞かされた二人が「なにか怪しいものを感じて、顔を見合わせる」「二人の様子を、一同がひそかに窺っている気配がある」とあって、乙女仇討ちエピソードの不自然さ、武蔵と小次郎を除く一同が二人に何かを仕掛けている気配を観客に対して匂わせているのだが、実際の舞台ではそれがあまり感じられなかったのは少し残念なところだ。
たとえば乙女の仇討ち放棄。武蔵に教わった「無策の策」を実行し見事に父の仇である浅川甚兵衛の片腕を切り落とした乙女は、しかしとどめを差しにいくかわりに「この恨み・・・・・・いまわたくしが断ち切ります」と刀を捨てて甚兵衛の手当てを始める。
この作品のテーマとされる「復讐の連鎖を断ち切る」を体現したシーンであり、そもそも「復讐の連鎖を断ち切る」という言い回し自体がここと次のシーンでの乙女の台詞「恨みの鎖を断」つに由来している。
この乙女の仇討ち放棄を受けて、先まで自身も復讐心に燃えていたはずのまいは「ひとという生きものが美しく見えるのは、こんなときではないでしょうか。」「恨みを断ち切ったときの乙女どののあの清々しい姿に、なにかお感じになりませんでしたか。」と小次郎に語りかけ、乙女自身も武蔵に向かって「とても気分がいいんです」「恨みの鎖を断ったせいですわ。すがすがしくてさっぱりとしたこの気分、武蔵さまに分けてさしあげたい」などと言うのだが、ちょっと待てよと思う。
「恨みの鎖を断った」と言うが、乙女はともかくも甚兵衛の腕を切り落としているのである。命に別状はなくとも日常の挙措に不自由するようになるのは明らかだし、茶人として剣客・道場主としての生命は断たれたに等しい。先に宗矩が武蔵と小次郎に道場破りをしてもらって甚兵衛の評判を落とし干乾しにする案を出しているが、小娘に敗れたうえ片腕を失った甚兵衛が干乾し─生活に事欠くようになるのはまず間違いないだろう。
つまり乙女はしっかり復讐を果たしているのである。武蔵に剣術指南を乞うた時の「父の恨みをこの刃に込めて、せめて一ト太刀でも、あの浅川甚兵衛に浴びせてやりとうぞんじます」という目標を彼女は実現させているのだから。
本来甚兵衛に一太刀も浴びせることなく一切の報復行動を断念してこそ、初めて「恨みの鎖を断った」と宣言する資格があるんじゃないのか。
乙女に「小次郎さまとの恨みの鎖、思い切って断っておしまいになったら、きっと、すっきりなさるでしょうに」と言われた武蔵が「試合は明後日の朝、それが終われば、わたしも今の乙女どののように、すっきりしているはずです」と答えて乙女をがっくりさせているが、要は〈あなたがすっきりした気分になれたのは決闘を敢行したからこそなんだから自分もそうするよ〉と言っているわけで、これは明らかに武蔵に理がある。
父親を殺されたにもかかわらず腕一本で済ませたのだから十分立派ではないかと言われそうだが、『ムサシ』を語るうえでよく引き合いに出される〈アメリカ同時多発テロ以降の世界情勢〉にたとえるなら、アメリカが〈飛行機を三機ハイジャックされ、うち二機を世界貿易センターに突っ込まされたにもかかわらず、報復のアフガニスタン空爆を一回実施しただけで止めにした、空爆による死傷者の数も同時多発テロによる死傷者より少ない〉と誇るようなものである。
(もちろん実際には空爆は一度で終わらず、井上さんによれば誤爆によって亡くなったアフガニスタン市民の数は同時多発テロの犠牲者を優に超えている。(3)-※24参照)
やられっぱなしになれということではない。ただ一度でも多少なりとも報復を行った以上、相手に与えた被害が自分が受けた被害より小さいからと平和主義者のような顔をする資格があるのか。
それで「とても気分がいいんです」だの「すがすがしくてさっぱりとしたこの気分」だのと言い出された日には(さらにそれを同盟国が「ひとという生きものが美しく見えるのは、こんなとき」などと褒めそやしたなら)ふざけるなとしか言いようがない。乙女の行動はこれと同じことである。
そして命は取らず傷も手当てしてやったとはいえ、生涯不自由な体にされた甚兵衛が、この先生活が苦しくなるにつれて乙女を逆恨みして何らかの報復行動に出ないとは言い切れない。「恨みの鎖を断」つどころか、腕を切り落としたことで新たな恨みの芽を残してしまったのである。
それももともと腕一本で勘弁してやるつもりで決闘に臨んだのではなく、殺す気満々だったのがいざ事に及んだらにわかに日和ったという、要はその場の思いつきで行動した結果なのだ。その程度の覚悟なら最初から復讐など企てるんじゃない。
確かにやってみなくてはわからない事、実際やってみて初めて身に沁みてその重大性に気づくという事だって世の中にはあるだろう。乙女も相手に重傷を負わせて初めて血で血を洗う復讐の無残さを実感した。
しかし実際のところやってみなければわからなかった、不可抗力だったで済ませている物事の多くは、想像力不足や怠慢、他人の意見に耳を貸さなかったことによって引き起こされたのではないか。乙女のケースでも沢庵や宗矩が口々に復讐を止めたのに彼らの話を全く聞こうとしなかった。復讐を思い止まる機会は十分あったはずなのに頭に血が上ったためにその機会を見逃してしまったのだ。
あげくにまいや忠助をも巻き込み(彼らが積極的に巻き込まれたとはいえ)彼らをも死地に立たせておきながら、勝手にもう復讐は止めると宣言して〈いち抜け〉してしまう。
普通ならまいや忠助、僧侶のくせに自分も仇討ちに参加しようとまでしていた平心から〈今さら何を言ってるんだ〉と抗議の声が上がってもおかしくない。
彼らだけでなく仇討ちのため是非にと乞うて剣術を指南してもらった武蔵に対しても大概失礼である。いきなり仇討ちを途中で(半端に)止めたあげく上から目線で「すがすがしくてさっぱりとしたこの気分、武蔵さまに分けてさしあげたい」とはどの口が言うのか。今度は〈さっきまでのわたしは燃えたぎる日輪でしたが、今はお月さまのように大人しく光っているのです〉とでも言うつもりか。
宗矩は「この恨み・・・・・・いまわたくしが断ち切ります」と言って自分自身に刃を向けてから刀を捨てた乙女を、自身の心の三毒を斬った、無自覚のうちに活人剣の奥義を究めたものとして「乙女どのには、そのうちに柳生新陰流のうちの活人剣の免許状を贈ろう」と賞賛したが、すぐ前で宗矩自身が語っているように、活人剣はあくまで「己れの心のうちの三つの毒を切り捨ててから、相手に刃を向け」るのが肝要。まず刀を向け、相手の片腕を切り落としてから三毒を断ったのではまるで手遅れである。
そりゃ全く反省しないよりは反省した方が、殺すよりは半殺しで思い留まる方がまだしもではあろうが、到底活人剣の免許皆伝には当たるまい。そもそも腕を切り落としたこと自体は、後悔してる気配が全くないしなあ。
もっともこれらは全て乙女が書いた芝居だとわかってみれば一応は理解できる。もともと馴れ合いの芝居だったからこそ、平心もまいも乙女の突然の変心に驚きも怒りもせずに彼女の決意を褒めそやす─褒めそやすのにかこつけて、ここぞとばかり武蔵と小次郎に恨みの鎖を切ることの素晴らしさを説こうとする。
二人とも乙女の決意に感銘を受けそれを支持するというのなら、まず乙女に倣って甚兵衛たちの手当てに向かって当然の状況である。まいなど自身の手で敵の額に傷を負わせているのにまるで他人事のような顔をしているが、一連の騒動が武蔵と小次郎を教化する目的で仕掛けられたものであるゆえに、本当の意味で怪我をしたわけでもない斬られ役の介抱などより二人の説得の方が優先するのだ。
沢庵や宗矩が乙女らの仇討ちを止めようとするさいに「殺生はいかん、命あるものを殺めてはいかん」「争いごとはいけませんよ。つまらんことだ」と言うばかりで〈返り討ちにあって命を無駄に捨てるだけだから止めなさい〉とは言わない、多くの弟子を抱えるほどの剣客に素人が挑もうというのだから逆に殺される可能性が高いのに彼女たちの命を気遣う様子が見られない不自然さも、この決闘が狂言とわかってみれば納得できる。乙女(たち)の命を慮る発言をしたのはこれが芝居だとは知らない武蔵の「切ると同時に、あなたも切られるよ」くらいなものだ。
戯曲のト書きには乙女が刀を捨てて甚兵衛の血止めに行った直後に「まだ茫然としている武蔵に平心が、小次郎に、まいが寄り添って」、恨みの鎖を切るのがうんぬんの話を聞かされた二人が「なにか怪しいものを感じて、顔を見合わせる」「二人の様子を、一同がひそかに窺っている気配がある」とあって、乙女仇討ちエピソードの不自然さ、武蔵と小次郎を除く一同が二人に何かを仕掛けている気配を観客に対して匂わせているのだが、実際の舞台ではそれがあまり感じられなかったのは少し残念なところだ。