"ひとり遊び"の記録

山歩きやMac、そして最近ハマったカメラ(リコーGRD4&シグマDP3Merrill)と写真の”備忘録”として

大阪城周辺の上町台地

2015-07-17 12:47:43 | DP3 Merrill

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大坂城・六番櫓と外堀

先日の読書会で「約6000年前現在の上町台地は、海上に突き出た岬であったほど海抜は高かった」と、改めて知りました。

抜粋~日本史の謎は「地形」で解ける[文明・文化篇]・p214
<大阪の地名にある「難波」や「浪速(なにわ・なみはや)」は名前の通り海の波にさらわれていて、河内(かわち)もまさに「河の内」であった。16世紀後半の時代、大阪・摂津地方でこの石山の上町台地だけが乾いた高台であった。~中略~「石山」つまり上町台地は戦国の世を平定するため絶対的に重要な地であった。>

  • 現在の大坂城の場所に石山本願寺があったそうです。大坂城に散歩に行くと、本願寺の史跡も見受けられます。
  • 奈良の平城宮から西に位置し、宗教上にも物流面からも重要な位置だったらしい。
  • 織田信長の時代、石山本願寺は村上水軍や毛利軍と連携して、信長にとっては脅威だったようです。
  • 豊臣秀吉は、その影響を受けて石山本願寺の跡地に大坂城を築いたようです。
  • 中央大通りの難波宮跡公園の東端には、「難波宮の東からは河内湖を眺めることのできる迎賓館がありました」旨の案内板がありました。 
本を読んだり、散歩の途中で見聞きした情報を勘案して、「それだけ高かった水位はどうして低くなったの?」「海水量が減ったの?」という疑問がいつまでも残ります。
悩むなあ!?
 
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