つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

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中国風信18 「一人っ子政策」の廃止(『粉体技術』7-12、2015.12より転載)

2017-09-19 00:47:54 | 日記
 2015年10月、中国の「一人っ子政策」が廃止される、というニュースが伝えられた。「一人っ子政策」については以前も書いたことがあるが(2013年6月号)、再度、論じてみよう。
 中国では1979年以来、「一組の夫婦に子供一人」が基本とされてきたが、前にも述べたように、もっと生んでもよい場合が種々規定されていた。近年は合計特殊出生率が1.6人程度という少子高齢化の中で規定も緩和され、昨年には、夫婦のどちらかが一人っ子なら二人の子供が持てるようになっていた。今回、中国共産党中央委員会は全ての夫婦が子供を二人生んでよい、と決定した。とはいえ今後、自由に子供が持てるようになるというわけではない。中国では規定に従って計画出産を行うことは憲法に明記される公民の義務であり、それは当分の間、変わりそうにない。
 日本の感覚からすると、一人であれ二人であれ、子供の数を政府が決めること自体が異様に思えるし、これは国際的なコンセンサスとなっているリプロダクティブ・ライツ(生と生殖に関する自己決定権)の一般的な考え方からも受け容れがたい。中国でも、最近はそのように考えて計画出産に反対する人も出てきたが、一般的には、政府が子供の数を決めることは空気のように当たり前になっていて、問題はもっぱら、許される数が何人かをめぐるものであった。筆者は何度も中国で「日本では子供は何人まで生んでいい規定なのか」と聞かれて、「日本では政府が子供の数を決めることはない。自由に生んでいい」と答えては、驚かれた経験がある。このような感覚は、「一人っ子政策」より前から始まっていた中国の計画出産の中で生まれてきたものである。
 中国の計画出産は、はやくも1950年代後半に始まっている。当時、長く続いた戦乱が終わって中華人民共和国が成立し、ベビーブームが起きた。予想外の人口増に対して、産児制限を政策的に普及させ始めたことは、その少し前の日本の家族計画の導入とよく似ている。しかし日本では1950年代に家族計画が全国的に普及して出生率が急速に下がったのと異なって、中国では広大な農村にバースコントロールを普及させるのは容易でない上、何度も政策が変わった。「大躍進」政策とその失敗や文化大革命による中断を経て、ようやく本格的に計画出産が推進されるようになったのは1970年代である。すでに上海などの都市部では出生率は相当低くなっていたが、農村部を含む全国で子供二人を提唱する計画出産が強力に推進された結果、70年代の十年間で、中国の合計特殊出生率は五人台から二人台へと急落した。
 広大な農村を含む中国全国でこのように急速な出生率の低下が実現したのは、医療と一体化した社会主義の行政システムによって計画出産が推進されたからだ。近代的なバースコントロールなど知らなかった農村の女性にとって、それは多くの子供を生む義務からの解放という側面もあった。こうして政府が生殖に介入することが常態となった基盤の上に、ベビーブーマーたちが生殖年齢に突入する80年代の急激な人口増を抑えるため、1979年から「一人っ子政策」が始まったのだ。
 80年代、強制力を伴う「一人っ子政策」は、女児や女児を産んだ女性への虐待、強制的な妊娠中絶などの多くの悲劇を生み、政府は強い反対に逢って規定を緩めながらも断固として出産統制を行う姿勢は崩さなかった。90年代前半にもより強力に計画出産は推進された。中国経済が離陸した90年代後半、ようやく出生率は低位安定するようになり、計画出産をめぐる衝突もやや収まった。21世紀に入って、人口学者は早くから全面的な子供二人政策への移行を提言していたが、今まで実現しなかったのには、計画出産に関わる組織や利権が巨大化しているという事情などもあったろう。
 生と生殖の自己決定権は人類共通の目標だが、その実現へのルートは多様である。中国は中国の道を辿って、その歩みを進めているのだろう。
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