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♯1060 シビリアンコントロールと日報問題

2018年05月06日 | 国際・政治


 学校法人森友学園の用地取得や加計学園の獣医学部新設の経緯に安倍晋三首相の口利きがあったのではないかとされる(いわゆる)「モリカケ」問題は、そのゴロの良さや「忖度」などと呼ばれる動機の分かりやすさ、さらには次々と現れる登場人物の強いキャラなどもあって国民をなかなか飽きさせません。

 発覚から既に1年を経ようとしているにもかかわらず、現在でもメディアはこの問題を追い続け、国民の注目を背景に国会における野党の追及も収まる気配を見せません。

 さらに最近では、防衛省による組織ぐるみの日報隠ぺい問題などがこれに続き、国民の間に「安倍疲れ」とも呼ばれる倦厭感が広まっていることから、盤石を誇った安倍政権も、ここに来て与党内の「安倍離れ」に見舞われているように見受けられます。

 安倍政権に降りかかるこうした不祥事に共通しているのは、(言うまでもなく)国会での首相や大臣、省庁幹部の答弁と矛盾しないよう、官僚たちがなんの躊躇もなく文書を隠蔽したり改ざんしたりしてきたという事実です。

 参議院予算委員会の質疑で柳瀬元秘書官の証人喚問について問われ「(柳瀬氏には)知っていることを全て明らかにしてもらいたい」と言い放ったくらいですから、恐らくは安倍首相本人が直接頼んだわけではないのでしょう。しかし、だからと言って首相が本気で「(彼らが勝手にやったことで)自分のせいじゃない」と考えているとすれば、それは余りに「おこちゃま」に過ぎるというものです。

 特に自衛隊の日報問題に関しては、人命や憲法に直接関係することだけに笑い事ではすみません。暴力装置としての「武力」へのシビリアンコントロールの観点からも、問題点を整理し見直すべきものはしっかりと見直す必要があるのは自明です。

 自衛隊が派遣されたイラクや南スーダンで、「戦闘行為」に類する状況があったのかなかったのか?「当事者である自衛隊に任せておけば」「政府や国民は知らなくていい」では済まされない問題です。

 実際、今年の4月16日に公表されたイラクに派遣された陸上自衛隊の日報には、複数にわたって「戦闘」の記述があったとされています。また、最盛期には300名に及ぶ自衛隊員が駐屯していた南スーダンでは、2016年7月7日から12日まで自衛隊基地が反政府ゲリラに襲撃され、防衛する自衛隊と激しい銃撃戦になったと伝えられています。

 公務員である自衛隊員が戦闘を余儀なくされ自らも他国民に向かって発砲していたとすれば、(その是非はともかくとして)その事実をきちんと把握し、公表し、必要な対応をとるのが派遣国家の義務であることは言うまでもないでしょう。

 自衛隊日報問題を巡るこうした状況に関し「週刊プレイボーイ」誌の4月23日号では、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が「イラク日報問題で、自衛隊の制服組はなぜ国会で説明しないのか」と題する興味深い一文を寄せています。

 日本におけるシビリアンコントロールとは、「背広組」と呼ばれる防衛省の文官が「制服組」と呼ばれる武官を統治することを指していると橘氏はこの論評で説明しています。

 防衛大臣は直接、幕僚長ら「制服組」の幹部にではなく、事務方トップの防衛省事務次官など「背広組」に指示を出す。北朝鮮のミサイル実験のような安全保障にかかわる事態でも、国会で自衛隊の見解を説明するのは「背広組」の官僚の職務となっているということです。

 一方、今回イラク派遣時の日報を「隠していた」とされるのは、陸自や空自などを直接指揮する(いわゆる)「制服組」です。そして、軍隊(=制服組)の常識で考えれば、彼らが部隊の貴重な活動記録である日報を破棄するはずはなく、どこかに保管されているのは公然の秘密だったはずだと橘氏は見ています。

 では、なぜ彼らはそれを「存在しない」と報告したか?それは、国会で釈明するのは「背広組」の仕事で、自分たちには関係ないと思っていたからだというのがというのが今回の問題に対する橘氏の基本的な認識です。つまり、現場の自衛官にとって、国会などは所詮「他人ごと」に過ぎないからだということです。

 近代国家はすべての暴力を独占しますが、そのなかで最大の「暴力装置」が軍であることは言うまでもありません。

 世界標準のシビリアンコントロールとは、選挙で選ばれた政治家=国会が(その)「軍」を統制することですが、氏は、今回の出来事で明らかにされたのは、現場の自衛官は国会のことなどまったく気にしていないという現実だと指摘しています。

 無論、ここで自衛官だけを責めることはできないと氏は言います。正直、私にも、自衛隊の制服組に「日報」を隠し「戦闘行為」の有無を隠すことで得られる(何か)メリットのようなものがあったとは思えません。

 野党はなにかあるたびに「責任者を喚問せよ」と言うけれど、日報問題で責任を負うべき空自や陸自の幕僚長を直接国会に呼ぼうとはしない。なぜなら、「制服組を国会に立たせてはならない」という暗黙の了解があるからだということです。

 これは、陸軍大臣や海軍大臣などの軍人が国会を蹂躙し、日本を破滅へと引きずり込んだ「負の記憶」があるからではないかと橘氏はこの論評で説明しています。

 その結果、自衛隊(の部隊の運用)は国会とは切り離され、この国のシビリアンコントロールは名ばかりのものになってしまった。氏によれば、ここで論じるべきは安倍政権への忖度などではなく、表面化したこの深刻な問題だということです。

 確かに、彼らにとっては、国家の決定により「行け」と言われたから(そこが内戦状態にあろうが、日常的な戦闘地帯であろうが)命令に従って行ったまでのこと。そこでどうするかは現場の責任者の判断に委ねられるべきものであり、許された装備と国家と上官への忠誠心の下で、身の危険を顧みず、派遣された隊員たちは(正に命を懸けて)遂行すべき任務を淡々とこなしてきたということでしょう。

 なので、国会への説明や(つまらん)政治的な駆け引きは「そっちでやってよ」という(制服組の)気持ちもわからないではありません。彼らにとって「戦闘」があったかなかったかは、あくまで「結果」であって、「目的」や「行く意味」とは無関係なところにあるからです。

 つまり、まず把握すべきは「そこで何があったか」であり、衆目の中で事後に議論すべきは(客観的な事実に基づく)は派遣の合法性や判断の合理性、さらには装備や人員などが適切であったかというような戦術的な問題ということでしょう。

 一方で、政府にとって外地に派兵した部隊の行動が把握できていないということは、万一彼らが(先の大戦での帝国陸軍のように)自身の判断で戦局を拡大していっても分からないということにも繋がります。

 で、あればこそ、シビリアンコントロールを徹底するために必要なのは「そこで何があったのか」「どのような判断が下されたのか」という記録であることは間違いないでしょう。

 今回問題になった「日報」は、それらを明らかにする最も重要な資料であり、「臭いものには蓋」では済みません。これは、もはや安倍政権への忖度云々というレベルのものではなく、再発防止に向け政府として厳しい態度で臨むべき問題であると私も改めて感じる所以です。


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