MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1220 高齢者を誰が支えるか

2018年11月18日 | 社会・経済


 先日、家の近くのスーパーマーケットで買い物をしていたところ、大変印象に残る光景に出会いました。

 車いすに乗って陳列棚の間を回る(多分70代後半から80歳くらいでしょうか)高齢の女性がひとり。押しているのは20代中盤と思われる緑のポロシャツを着た人のよさげな痩せたメガネの若者です。

 それだけでしたら、どこにでもありそうな心温まる風景なのですが、気になったのは車椅子を押す青年に対する女性の態度でした。

 「ちょっとぉ、何やってんのよ」「そっちじゃないわよ、気が利かないわね」と、かなりご立腹の様子。若者の方も車椅子の扱いに慣れていないのか、商品の山に突っかかってお店の人に「あ、スミマセン」などと言いながら、声も次第に小さくなっていきます。

 「こっちだって1時間いくらでお金払ってんだから」「もう、いいわよ。会社に連絡しとくから」などと大きな声で叱責されている姿が可哀想で、周囲のお客さんたちも目をそらさざるを得ませんでした。

 そう、彼は恐らく訪問介護の会社から派遣されたホームヘルパーさんでしょう。よく見ればポロシャツの胸には、老人ホームや訪問介護サービスで知られる大手企業のロゴが(小さく)刺しゅうされています。

 確かに、介護保険の在宅サービスメニューの中には(自立支援として認められれば)買い物の補助なども含まれるようです。そうであれば、(彼女もたぶん)彼の給料の1~3割分くらいは自己負担として身銭を切っているということでしょう。

 しかし、そうは言ってもヘルパーは召使いではないのですから、思うように動いてくれないからといって顎で使って良いものでもありません。人手不足の介護業界にとって若い男性は貴重な戦力でもあり、(彼女には申し訳ないのですが)もう少しやさしく接してあげられないものかと(横目で見ながら)感じた次第です。

 そう言えば1月ほど前、訪問介護の現場で働く何人かの若者や女性たちとゆっくり話をする機会がありました。比較的自立度の高い家々を定期的に回って、掃除や入浴、片付けなどの日常のお世話を仕事としている人達です。

 彼らによれば、「お客さん」(彼らはそう呼んでいました)たちの生活は本当に様々で、ほとんど動けず寝たきりに近い人もいれば「どうしてこの人が?」と思えるような元気な人もいる。

 大きなお屋敷のお金持ちもいればアパートで本当に貧しい生活をしている人もいる。優しくていつもこちらを気遣ってくれる人もいれば、憎たらしくなるほど口の悪い人いるということです。

 中には、本来は介護保険の対象となっていないような植木の手入れやペットの世話、フローリングのワックスがけなどまで求める人やセクハラ・パワハラまがいの人もいて、仕事へのモチベーションを上げるのが大変だということでした。

 そして話によれば、そうした(問題のある)お客さんがよく口にするのは、「前の人はやってくれていた」という言葉。そして、「こっちはお金を払ってんだから」という言葉だということです。

 (保険料や自己負担などの)お金を払っているのだから「権利」がある。これまで日本を豊かにしてきたのは私たちなのだから「大切にされて当然」だという感覚を、日本の高度成長期を生きてきた多くの高齢者が持っているという話を聞きました。

 しかし、高齢者介護を現場で支える彼らの意見は少し違っていました。

 介護が必要な人は社会全体で支える…これは、これからの世の中を豊かで幸せにするシステムであり、彼らはそれを実現することを仕事に選びプライドを持って働いているということです。

 さて、現在、介護を受けている人の多くは「自分が払ってきた(そして現在払っている)保険料で介護を受けている」と考えがちですが、それは大きな誤解といえます。実際、介護保険財源のほとんどが現役世代の保険料と公的支出により賄われており、介護はまさに現役世代により支えられているのが現状です。

 介護保険制度が始まったのは平成12年(2000年)のこと。従って、現在介護保険の恩恵に浴している多くの人は、これまで18年間しか保険料を払っていません。

 さらに言えば、制度発足当時の保険料は全国平均で月額2911円に過ぎず、現在の5514円の3分の2。これが(団塊の世代が後期高齢者になることで)7年後の2025年には8165円まで上がる見込みとなっています。

 実は、お年寄りの暮らしを支えている「公的年金制度」も同様で、高齢者に支給されている年金の約半額が税金などの公的資金によって賄われています。

 また、自営業者などを対象とする国民年金制度が始まったのは1961年のこと。さらに基礎年金制度が創設され、現在の国民皆保険の枠組みが固まったのは1985年のことに過ぎません。

 その保険料は、公的年金により「支えられる側」が少なかった1980年頃までは月額100円~3000円台で間に合っていたものが、現在では17000円程度にまで増額され、若い世代ほど負担が大きくなっているのが現状です。

 とは言え、現在70代、80代の人たちが現役として暮らした時代の日本には、頼りになる公的年金や介護保険という制度はありませんでした。55歳ころには多くのサラリーマンが定年を迎え高齢者は「子どもに養われる」「親戚縁者が面倒を見る」のが当たり前だった時代です。

 それは、多くの高齢者が、「家」制度や社会のネットワークの中で生かされていた時代と言って良いでしょう。たくさんの兄弟が親を支え、本家の嫁が舅や姑の面倒を見る。身寄りのない高齢者は近所が気遣い、助け合ったという社会がかつての日本にはあったということです。

 しかし、時代はそうした関係をもはや受け入れることができなくなりました。

 当然ながら、そこには「それに代わる仕組み」が必要となりました。そういう意味では、年金制度や介護保険制度が生まれたのはある意味必然であり、現在、私たちが手にしている「個人主義」や「自由」の代償だったと言えるかもしれません。

 これから先の日本人が、このバーターを「適正」で「釣り合った」ものと感じるかどうかはわかりませんが、少なくとも現代社会を自由に生きる我々は、(幾つになっても)介護保険制度や年金制度を通じた「社会」という存在に「感謝」の気持ちを忘れずにいる必要があるような気がします。