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♯1089 医師不足への本音

2018年06月10日 | 社会・経済


 現在の労働基準法では、労働時間を「1日8時間・1週40時間」内と規定していますが、労働基準監督署への届け出状況から、全国の病院勤務医の40.6%が週60時間以上勤務していることがわかります。

 2017年に公表された厚生労働省の「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」によれば、大学病院では1週間の平均勤務時間が63時間26分に達しているほか、診療科目別では「救急科」(平均勤務時間が週63時間54分)や「外科系」(同59時間28分)、「産婦人科」(同59時間22分)などで労働時間が特に長くなっています。

 現実問題として、現場を預かる医師たちの勤務状況は厳しく、例えば秋田県医師会の調査では、県内の病院で時間外労働をした勤務医のうちの15%が、月80時間の「過労死ライン」を超えていたということです。

 さらに、医師の「当直」は原則として時間外勤務に含まれていないため、勤務医の労働実態が(表に出てくる数字以上に)凄まじいものになっていることは想像に難くありません。中でも、人口減少や顕著な高齢化が進む地方部では、医師の確保ができないとの理由から地域の病院が次々と閉鎖を余儀なくされているのが実態です。

 普通に考えれば、現場からのこうした「医者が足りない」との声を受け医師の育成を図る政策が進められそうなものですが、実際には(文部科学省が管理している)医学部の定員を大幅に増やすという動きは(少なくとも今のところは)ありません。

 日本医師会などではむしろ、将来「医師あまり」の状況が訪れるとの懸念から、定員の削減に向けた議論が始められているところです。

 勿論、開業医や病院経営者の立場に立てば、医師が増えればそれだけ商売敵が増えパイ(病人)の奪い合いになるのですから、若いライバルを増やしたいというインセンティブはなかなか働かないのが実情でしょう。

 また、医療にかかる社会保障費の増大を食い止めたい政府にとっても、医師の増加により国民の医療へのアクセスが良くなることで医療費の増嵩をもたらす可能性があることから、医学部定員の拡大には慎重な意見が多いようです。

 こうしたことから、厚生労働省は日本が医師不足の状況にあることを(長年)認めておらず、これを「医師の偏在」とみなして研修医を医師が足りない地域や診療科目へ誘導するなどの「偏在対策」を進めてきたところです。

 しかし、その結果、状況が改善に向かいつつあるという話はあまり聞いたことがありません。むしろ地方部では急激な高齢化も相まって医療過疎がさらに進みつつあり、医師一人当たりの負担も大きくなっているという話をしばしば耳にするところです。

 大学医学部の定数自体は(一時的な「地域枠」の設定などにより)確かに以前より拡大されています。しかし、それでも(厚労省や医師会が言うように)「医師が足りないわけではない」としたら、なぜ医療現場の医師の負担が大きくなっているように感じるのでしょうか?

 こうした問題に対し、時事通信社の福祉・医療分野の専門情報誌「厚生福祉」の1月16日号には、NPO法人医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が、「医師偏在の本当の理由」と題する(ある意味「本音ベース」の)大変興味深い論評を寄せています。

 この論評で上氏は、医師偏在対策として厚労省が進めようとしている医療法の改正を、「暴挙としか言いようがない」と強く非難しています。

 これは、厚労省が診療科ごとに各都道府県の医療需要を予測し、必要な専門医数の目安を示して勤務先を誘導するというもの。さらに導入されたばかりの新専門医制度でも研修病院が都市部や大学病院などに偏らないよう、日本専門医機構が都道府県と協議することを(法律で)義務付けようとするものです。

 この方針に対し上氏は、「書き方は穏やかだが、その中身は国家統制そのものだ」と厳しく断じています。

 氏によれば、国家が医療需要を予測し医師の総数を増やすことなく医師を計画的に振り分けるなどというのは、20世紀の共産主義国のような発想で上手く行くはずがないということです。

 確かに素案には、医学部地域枠の拡充や即行後の地域勤務の義務化など若手医師をがんじがらめにする具体策が並んでいます。しかしそもそも、若手医師が田舎での勤務を嫌がるから、あるいは楽な診療科ばかりを選ぶから医師が「偏在」しているわけではないというのが、日本の医師不足の現状に対する上氏の認識です。

 我が国の医師偏在の悪化原因は(実は)女性医師の増加にあるというのがこの論評における上氏の見立てです。

 2004年から14年までの10年間に女性医師の数は4万5000人から6万4000人へと42%も増加し、今や医師の5人に1人が女性の時代を迎えています。これを20代に限れば女医の比率は35パーセントにまで跳ね上がり、すでに医師数の問題は女医の存在抜きには考えられないと上氏は言います。

 氏は、女性医師の特徴として、男性医師よりも都市部での勤務を好む傾向が強いことを挙げています。勿論その理由は、都会が好きで僻地が嫌いだからなどではなくて、地方部では子どもが十分な教育を受けられないと感じているからだということです。

 一方、現在議論されている新専門医制度は、彼女たちに決して優しくないと上氏はしています。専門医の資格を取るためには最低でも4年間、地方の認定施設などで研修を行うことが課されている。内科などの主要診療科では専門医資格を取得するのは難しく、彼女たちのライフプランに合わないということです。

 それなら…と、彼女たちが最初から育児と両立できる診療科を選ぶのは至極当然のことだと上氏は考えています。女性医師たちに人気なのは、当直や呼び出しの少ない皮膚科、眼科、麻酔科などで、実際にそれぞれの診療科に女性が占める割合は49%、37%、37%に及ぶということです。

 また、現在でも女性医師の3割が、出産・子育てを理由に医師をやめている現状を氏は指摘しています。よって、ここに地方勤務を義務付ければ、医師を続けることにこだわりはない女性医師たちが辞職するだけだというのが氏の見解です。

 ところが、厚労省は各都道府県の医科大学などに設置された「地域医療支援センター」の機能を強化し、医師の配置調整ができるようにする方針だと上氏は説明しています。

 この枠組みは(実質的には)厚労省が都道府県に丸投げし、それを都道府県が地元の大学医局などに丸投げする構図なのですが、個人の意思を考慮しない数合わせの強権的な配置は、従前の(いわゆる)「医局人事」よりもさらに大きな混乱をもたらすだろうと氏は見ています。

 実際、強制的に過疎地域に配属されることになる若手医師の中には既に「海外で働くこと」を考えている者も多いし、地方に出る若手の穴を埋めるために大学病院での激務を求められる中高年の医師の中には、企業の産業医になったり製薬会社で働いたりというキャリアを選択するものも増えるだろうということです。

 上氏は、医師不足や医師偏在と言われる状況は、元をただせば厚労省の失政に他ならないと断じています。

 厚労省は1980年代、将来医師は余ると主張し医学部定員を削減し、この方針は閣議決定され2009年に撤回されるまで四半世紀にわたり続いてきた。この点を反省することなく最近になって再び時代遅れの国家統制を押し付けようとしても、結局、上手く行くはずはないということです。

 氏はこの論評を、官僚と医師会などの業界団体から推薦された有識者に政策議論を独占させてはならないと結んでいます。

 やり方はどうあれ、その影響を直接受けるのは現場の医療従事者であり、患者となる国民であることは間違いありません。

 立場立場でそれぞれ思惑はあると思いますが、こと命に直結することの多い医療提供体制の整備に関しては、国民全体の利益となるようオープンな議論を望むところです。


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