最後に思うこと!

マンドリンに出会って55年いろいろありました。

グラン・パルティータ・マンドリン・カルテット 〜 G.P.M.Q.

2018年07月26日 | 思い出
2005年にちょっとしたきっかけからこのカルテットを結成する事になりました。高松から訪れていた宮武くんに、大阪市内のマンドリン専門店でばったり会い久しぶりだなあ、と話をしている時、彼がヴィナッチャのマンドラをそれも「ブレヴェタート」を持っているのを知りました。今までマンドリンのブレヴェタートは私も持っていましたが、マンドラは初めて見ました。これは貴重な事だ、有効に使えないかと考え、思わず「カルテットやらない?」と誘っていました。あとの二人はすでに頭に浮かんでいました。高橋くん(マンドリン)と石村くん(マンドリュート)です。
初めて京都に集まって練習した後、呑みに行った先で、石村くんが「グラン・パルティータ」という言葉を口にして、カルテットの名前をそれにしよう!とその場で決定しました。このカルテットの問題点は各自が遠距離に住んでいるという事。基本的には京都の石村くんの家で練習させてもらいましたが、4人が集まれる日程を決めるのが大変でした。それでも合宿と称して冬の有馬温泉でコテージを借りて練習したり、デビュー演奏会に向けて着々と準備をしました。演奏曲では野田雅巳さんに委嘱した「アルクイユの巨匠」がとても難しく京都在住の野田さんに来て頂きアドヴァイスをしてもらいました。

2006年6月に京都の府民ホールアルティと東京の市ケ谷ルーテル教会でグラン・パルティータ、デビュー演奏会をしました。
京都のチラシ。

市ケ谷ルーテル教会でのリハーサル。ちょうど東京にいた吉田くんがリハーサルを聴きに来てくれました。

演奏会の衣装。

演奏会は自分で言うのもなんですが、好評だったと思います。
熱心なファンは京都、東京とハシゴをしてくれました。

2008年には福岡のマンドリン・ギター専門店「フォレストヒル」の森岡社長の応援でCDを作って頂きました。録音も福岡でしましたので、いつもと反対の方向へ移動し、なんとかCDが出来上がり、今度はCD発売記念コンサートです。

CD用に本格的に写真撮影もしたのでチラシの写真もかっこいいでしょ。

真面目バージョン。

少しおふざけバージョン。

記念コンサートも無事に終わりましたが、録音と演奏会の疲れで休憩。遠距離恋愛はなかなか難しく、メンバーそれぞれの活動も忙しくなり、休業状態になってしまいました。2018年3月の「マンドリン アンサンブル カワグチアーナ」のラストコンサートで久しぶりに演奏しました。

ここで余談。
宮武省吾君との出会い:彼が高校1年の時、私が高松で演奏会をした時にマンドリンクラブの顧問の先生と初めて聴きに来てくれていたようです。
私がドイツから帰って来た頃に、彼がちょうど大学生で京都に来たので個人レッスンを受けに訪ねてくれました。大学を卒業してからは、ドイツ・ヴッパータールの音大のマンドリン科に留学して研鑽を積みました。彼は音楽性が豊かで、指揮も上手で、とても良い性格。お仲間もたくさんいます。欲を言えば、もうひといき、テクニックをもっと詰めていってほしい?今からでも、期待しています。

高橋和彦君との出会い:ギタリストの中野義久さんと九州演奏旅行で鹿児島に行った時に初めて聴きに来てくれて、その時はまだ大学で獣医学を学んでいたようです。でもその後マンドリンを生業にしよう、と京都に出て来て、バイトをしながら1年間個人レッスンを受けて、マンドリンの独奏コンクールで第2位「銀賞」を獲得しました。その後、素晴らしいピアニストも(公私ともに♡)獲得。お弟子さんにもコンクールの優勝者を出しています。

石村隆行君との出会い:彼は早くから音楽の素養があったので、音楽大学に進んでもよかったくらいの人でした。中学の時はギター、高校の時はマンドリンクラブの指揮者として活躍、大学からマンドリンを本格的に始めたのですが、レッスンでは真面目に練習をして来て、与えられた課題をクリアしなかったことはありませんでした(ただレッスンの時に必ず缶コーヒーを持参して、飲んでから始めました)。その後、イタリアのパドワに留学してマンドリンの研究(イタリアの先生に習いに行ったのですが、きっと彼の方が技術は上なのでそんなにレッスンは必要なかったでしょう)を続け、知識も豊富、今も多くの合奏曲の編曲を次々と行なっています。私の希望としてはもっと全国各地で演奏会をしてくれたらなあ、と思います。そうそう、とても若い方と結婚して二人の可愛いお嬢さんに恵まれる(ディズニーランドに行ったりする)なんて、失礼ながら想像もできませんでした。

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