前回からのつづき
野付半島から国道244号線を南下して、
次に立ち寄ったのが別海郊外にある奥行臼駅(おくゆきうすえき)です。
根室原野の開拓と産業振興を図るために旧国鉄の標津線が敷設され、
その中の駅として、奥行臼駅が開業したのが1933年(昭和8年)のこと。
以後、標津線の廃止によって廃駅となる1989年(平成元年)まで、
56年間、この地域の産業・生活・文化の発展に寄与してきました。
この駅舎は開拓期の歴史的建造物として保存されているものでして、
線路は後に復元されたものですが、当時の面影を今も残しております。
ただ、廃駅から20年以上の歳月が流れ、さすがに建物も朽ちてきており、
周囲の様子もすっかり変わってしまいました。
かつてここには列車が往来し、多くの人が乗り降りしていたかと思うと、
時の流れの大きさというものを感じずにはいられません。
この線路の先に向かって列車が走る日は2度とやって来る事はありませんが、
これから先もここでは静かに時間だけが流れ続けていくのです。
<この日の走行距離>釧路からここまで190キロ(ナラワラから55キロ)
↓一日一回ポチッとクリックしてね
(北海道部門120位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
↓こちらもよろしく
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その中の駅として、奥行臼駅が開業したのが1933年(昭和8年)のこと。
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線路は後に復元されたものですが、当時の面影を今も残しております。
ただ、廃駅から20年以上の歳月が流れ、さすがに建物も朽ちてきており、
周囲の様子もすっかり変わってしまいました。
かつてここには列車が往来し、多くの人が乗り降りしていたかと思うと、
時の流れの大きさというものを感じずにはいられません。
この線路の先に向かって列車が走る日は2度とやって来る事はありませんが、
これから先もここでは静かに時間だけが流れ続けていくのです。
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