前回からのつづき
奥行臼駅から道なりに歩いて行きますと、
間もなくして車両が見えてきました。
これらは旧別海村営軌道で使用されていた車両です。
この場所には風連線の奥行臼停留所がありました。
この地域では、明治期に始まった開拓を進めるため、
物資と開拓者の輸送を行う軌道が敷設されました。
戦後にいたるまで当面の間は馬力によって運行されておりましたが、
昭和39年(1964年)に動力化され、こうした車両が導入されたのです。
この荷台には農家から集荷されたミルクの入った缶が積み込まれたそうです。
こちらは車両を転回させるための転車台の跡です。
こんなのも残されているんですね。
風連線はこの地域の重要な交通機関としての役割を果たしてきましたが、
道路網が整備された昭和46年3月に廃止となりました。
廃止から40年以上。
かつてここに車両が走っていたという雰囲気は周りにはなく、
長い年月の流れを感じさせられました。
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(北海道部門120位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
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昭和39年(1964年)に動力化され、こうした車両が導入されたのです。
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