前回からのつづき
湧洞沼から次に忠類へと向かいました。
忠類村は合併して幕別町となりましたが、
現在もここにかつての忠類駅がそのままの形で残されております。
忠類駅は1930年(昭和5年)10月に広尾線の駅として開業。
昭和初期の地域の開拓に寄与してきた路線には、
やがて糠平、広尾との間に準急が運行されるようになります。
木材や農産物をはじめとする貨物輸送、旅客輸送は
昭和40年代にともにピークをむかえます。
その後、国道236号線の開通により
バスの便が良くなったことから、
乗客が列車からバスへと乗り替わっていき、
バスの利用者数が列車を上回るようになります。
こうした中、1982年(昭和57年)には広尾線が
国鉄の赤字ローカル線として廃止対象路線に選定されます。
地元では沿線自治体による存続運動が展開されるものの、
1987年(昭和62年)に広尾線は廃線となり、
忠類駅も廃駅となって、バス路線へ転換されてしまいました。
駅舎内はそのまま営業出来てしまうんじゃないかと
思うような状態で保存されております。
窓口には担当者のお名前もそのまま残されておりました(笑)
<この日の走行距離>釧路からここまで144キロ(湧洞沼から31キロ)
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(北海道部門110位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
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忠類村は合併して幕別町となりましたが、
現在もここにかつての忠類駅がそのままの形で残されております。
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昭和初期の地域の開拓に寄与してきた路線には、
やがて糠平、広尾との間に準急が運行されるようになります。
木材や農産物をはじめとする貨物輸送、旅客輸送は
昭和40年代にともにピークをむかえます。
その後、国道236号線の開通により
バスの便が良くなったことから、
乗客が列車からバスへと乗り替わっていき、
バスの利用者数が列車を上回るようになります。
こうした中、1982年(昭和57年)には広尾線が
国鉄の赤字ローカル線として廃止対象路線に選定されます。
地元では沿線自治体による存続運動が展開されるものの、
1987年(昭和62年)に広尾線は廃線となり、
忠類駅も廃駅となって、バス路線へ転換されてしまいました。
駅舎内はそのまま営業出来てしまうんじゃないかと
思うような状態で保存されております。
窓口には担当者のお名前もそのまま残されておりました(笑)
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