前回からのつづき
島牧から国道229号線を北上し、弁慶岬に到着。
ここはその名のとおり、弁慶の像が目印となっております。
この岬の名前の由来には一つの物語があります。
780年余前、義経は常陸から多数の食糧と軍船を得て、寿都に回漕させた。
弁慶は毎日岬に出て、その到着を待った。
爾来この地を弁慶岬という。
(北海道伝説集より)
また他にも、
アイヌ語の「ベルケイ(先端が裂けたような)」が訛ったという説や、
松浦武四郎が、岬の形が獣の背に似ているところから
「ベニツケウ」と称したという説もあるそうです。
こちらはトイレ。
弁慶と牛若丸の出会いの場面ですね。
ところで、この岬は周辺に何の障害物もない高台にあるもんですから、
ただでさえ風が強いこの日は完全にふきっさらし状態となっておりました。
春を迎えたはずだというのに、とんでもなく風が冷たかったです。
波も高いわ。
・・・・・・
早いとこ、車に乗って先へと向かいましょう。
<この日の走行距離>厚沢部からここまで155キロ
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(北海道部門100位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
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弁慶は毎日岬に出て、その到着を待った。
爾来この地を弁慶岬という。
(北海道伝説集より)
また他にも、
アイヌ語の「ベルケイ(先端が裂けたような)」が訛ったという説や、
松浦武四郎が、岬の形が獣の背に似ているところから
「ベニツケウ」と称したという説もあるそうです。
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ところで、この岬は周辺に何の障害物もない高台にあるもんですから、
ただでさえ風が強いこの日は完全にふきっさらし状態となっておりました。
春を迎えたはずだというのに、とんでもなく風が冷たかったです。
波も高いわ。
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