と も に 過 ご し た 時 間

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2008年11月30日 | Weblog
家へ着き、母を安置した僕たちに感慨に浸る時間はなかった。
まず通夜と告別式の日程を決め、更に勤め先を始めとして親族、菩提寺、火葬場へ
矢継ぎ早に連絡を入れた。
また、祭壇の規模やら料理やら供花やら香典返しやらの、
葬儀に関わる費用について綿密に打ち合わせを行った。
廉価版から華美なものまで幅広く用意された夫々の項目には呆れたが、
いちいち反応している余裕がないほど僕たちの作業は膨大だった。
特に普段から母とは離れて生活していたために、彼女の交友関係などは全くと言っていいほど知らず、案内を出す会葬者のリストの作成には相当な時間を要した。
当初はこれらの手続きが煩わしくて仕方がなかったが、ざくざくと効率的に物事を処理するうちに、ふと平静さを取り戻しつつある自分に気がついた。

みんなこうやって現実を受け入れてきたのだろうか。そう考えると、
ひとつ一つの作業がとても愛おしく感じられた。

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2008年11月23日 | Weblog
電話での手続きを進めていると、意外な事実が判明した。
父の葬儀の直後から僕は互助会に加入しており、
僕の名義で毎月共済金が支払われていることが告げられた。
僕に思い当たる節は全くなかったが、これが今は亡き母の手配によるものだとすぐに気づいた。
父が亡くなった当時、僕はまだ世間知らずの若者だった。
ゆえに奔走する母の姿を見ても何も感じ入ることはなかったが、
今はただ彼女の首尾の良さに感心する他なかった。

霊安室で葬祭業者の到着を待つ間、僕たちはじっと横たわる母と対面した。
落とされた照明と、僅かに揺らぐ蝋燭の光が静謐な空気を作っていた。
程なく搬出口の扉が静かに開き、業者が恭しく一礼して入ってきた。
彼らは型通りのお悔やみの口上の後、手早く母を車に乗せ替え
僕たちにも同乗するよう求めた。
その前に僕は病院や担当医へ一言でもと思い挨拶を希望したが、
付き添いの看護士からやんわりと断られてしまった。
ひとまず従兄弟たちには帰ってもらうことにし、
母の遺体は彼女が長く暮らした家へ安置することにした。
車に揺られている間、病院から家へと向かう道程を業者に説明しながら
もう母を隣に乗せてドライブすることはないのだな、と
僕はぼんやりと考えていた。

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2008年11月15日 | Weblog
その場にいた誰もが無言だった。
静かに時間だけが過ぎていった。

静寂を破ったのはノックの音だった。
看護士が一礼して入ってきて、手には死亡診断書を携えていた。
霊安室にご案内しますので、暫く待合室でお待ちください。看護士が消え入りそうな声で告げると、僕たちは黙って従った。
来てくれてありがとうね。伯母の声が沈黙を破った。
ありがとう、と彼女はもう一度繰り返した。
いえ、僕こそ遅くなってしまって。すいません、ありがとうございました。
僕はしどろもどろになって答えるのがやっとだった。
それでも待合室で長椅子に腰掛けると、どうにか会話が生まれた。
弟は僕に母の容態を知らせた後、直ぐに彼女の生家にも電話をし、
伯母や従兄弟に来てくれるよう連絡したのだった。
しかし懸命な努力にも関わらず、母の最期を看取ったのは弟だけのようだった。
僕は弟に救われた気がした。
もし母が独りで最期を迎えたらと考えると、心底ぞっとした。

お葬式の準備、しなきゃいけないね。伯母の声に僕ははっとした。
彼女は現実を確りと受け止め、然るべき行動を起こすよう僕たちを促した。
葬儀屋さんの当てある?訊かれて僕は当てなど思いつかなかったが、
何とか父が亡くなった時に依頼した業者の記憶を辿ってみた。
極めて頼りない記憶だったが、似たような名前をケータイで検索し、
住所で当たりを付けた番号に電話をかけてみた。
果たして1度目の呼び出し音の後にあっけなく電話はつながり、
丁寧な受け答えに従って僕は状況の説明を始めた。

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2008年11月08日 | Weblog
病院の最寄り駅に着いた僕は、タクシーを拾った。
最早事実は覆らないし、歩いても10分もかからない距離だったが、
とにかく一刻も早く母のもとへ駆けつけたかった。
激しい後悔だった。
何故仕事を優先してしまったのだろう。
弟と同じように仕事を休めばよかった。
僕は自責の念と自己嫌悪に嘖まれた。
これまで山ほど失敗はしてきたが、これほどのものはなかった。
途轍もない過ちを犯したという意識が足取りを重くした。
しかし、だからと言って僕が逃げることは赦されなかった。

母の病室があるフロアに辿り着くと、従兄弟の姿が見えた。
伯母も一緒だった。彼らも僕に気づいたようだった。
僕は一度立ち止まり、頭を下げ、再びゆっくりと歩みだした。
彼らは泣いてはいなかったが、目は充血し、瞼も赤く腫れていた。
僕は何も言えなかった。言葉が出てこなかった。
僕は目を伏せて、黙ったまま病室に入った。
ベッドの端で弟が突っ伏して泣いているのが見えた。
中央には母が静かに横たわり、顔には真っ白な布がかけられていた。
兄ちゃん、遅かったね。僕を認めた弟が口を開いた。
うん。やっと、着いたよ、母さん。僕もたどたどしく言葉を発した。
白い布を捲って、母の顔を目にした途端に涙が溢れ出した。

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2008年10月25日 | Weblog
僕はいつもより30分ほど遅れて出社し、どうにか会議にも間に合い、
それからは通常通り定時まで仕事をこなした。
ひとまず仕事を一区切りし、弟に母の経過を尋ねようと
非常階段に出た僕はケータイを開いた。
そして開いたまさにその時、ケータイが着信して震えた。
弟からだった。
もしもし、どうしかた?僕は普通に電話に出た。
ちょうど今こっちからもかけようと思ったところだ、と言おうとしたが
僕の声は弟の叫びににかき消された。
兄ちゃん、すぐ来て、母さんが、意識がなくなった。医者が家族を呼べって言ってる。とにかく早く来て。彼の声は震えていた。僕の全身も一瞬震えた。
それから周りの音が聞こえなくなった。
受話器が何か悲鳴に近い音を発しているのはわかったが、
内容が脳にまで届いてこなかった。
兄ちゃん、聞いてる?弟の怒声で僕は我に返った。
...うん、聞こえてる、急ぐよ、一旦切る、悪い、あとでまたかける。
僕はぶつ切りに答えてケータイを閉じた。
そしてオフィスに戻り、上司に再び病院に行く旨を報告して
机周りを簡単に整理した。僕は特に詳しく説明しなかったが、
何となく上司は状況を理解してくれたようだった。

それからの僕の行動は素早かった。
エレベーターを使わず非常階段を一気に駆け下り、そのまま駅まで走り、
改札を抜けてちょうど入線してきた電車に飛び乗った。
途中で乗換えのために電車を降りると、再び弟から電話がかかってきた。
もしもし、今、向かってるよ。あと30分くらいだ。僕は早足で駆けながら電話に出た。
しかし返事はなく、ノイズらしき音が聞こえてきた。
どうした?なにかあった?僕は電波が弱いのだと思った。
母さんが。弟の声がとぎれとぎれに聞こえた。
母さんが。死んじゃったよ。
僕は足を止めた。呼吸も鼓動も、全てが止まった気がした。
母さんが死んじゃったよ。弟が同じ言葉を繰り返した。
ノイズと思ったのは弟の鼻をすする音だった。
...そうか。やっとの思いで僕は口を開いた。
そうか。すまない、ありがとう。とにかく向かうよ。それだけ言って
僕は電話を切った。
僕は母の最期の瞬間に間に合わなかった。

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2008年10月13日 | Weblog
ベッドの上の母は、いつもと変わらぬ笑顔を見せていた。
少々疲れが顔に出ていたが、大分持ち直した様子だった。
もうすぐ先生が見えますので、暫くお待ちください。そう言って
看護士はドアを閉めた。
頼むよ本当に。弟がへなへなと椅子に崩れ落ちた。
僕は突っ立ったまま溜め息をつくのが精一杯だった。
何にせよ大事に至らずに済んだのは良かったと言う他はなく、
僕も力なくパイプ椅子を広げて腰を下ろした。
時計に目を遣ると9時を少し回ったところだった。
それから暫く待ったが、一向に主治医が来る様子はなく
僕はそわそわし始めた。
今日の僕は職場で比較的重要度の高い会議が午前中にあり、
できることなら出席したいと思っていた。
勿論母の容態次第では比較の対象にはならないが、
今の彼女を見る限りそれほどの不安は感じなかった。
今日、この後どうする?僕は弟の気持ちを確かめた。
もう会社休むよ。今日は1日そばにいる。兄ちゃんは、仕事、なんだね。
弟は僕の意図をすぐに理解してくれたようだった。
ありがとう、頼むよ。僕は感謝と申し訳ない気持ちから頭を下げた。
というわけで、仕事行きます。必要なら電話して。仕事が引けたら、こっちからもかけるし。母さん、元気で。またね。僕は母と弟を交互に見ながら手を振った。
行ってらっしゃい。悪いわね。母も僕に手を振り返した。
僕は軽く頷いてから病室を後にした。

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2008年10月04日 | Weblog
救急車は病院の門をくぐり、そのまま緊急搬入口から院内に入った。
母はストレッチャーに乗ったまま集中治療室に向かい、
僕と弟はやや手前の待合室に通された。
別れる直前、彼女は痛みに顔を歪めながら僕たちを振り返り、
今日は浄化槽の点検の日だから、不在だと連絡をするように告げた。
えっ、と思っている僕の横で、弟が上着の内ポケットを弄っていた。
何だって?僕は母を見送りながら弟に尋ねた。
いや、メモと検査の連絡票を渡されたんだけど。あ、あった、こっちだ。
彼は上着ではなく鞄から葉書大の紙片を取り出して僕に見せた。
切羽詰まった状況とあまりに日常的なやり取りとが交錯して、僕は笑ってしまった。
自分で救急車を呼ぶよう息子に指示しておきながら、家の管理も怠らない。
まったくもって気丈な人だ。我が母ながら僕は心底感服した。
そして緊張と弛緩が立て続けに起こり、毒気を抜かれて眠気を感じた僕は
弟に断って暫くその場で横になった。



不意にノックの音がして僕は目を覚ました。
ドアに目を遣ると、戸が開く音がして看護士が入ってきた。
そして、お母様が病室を移られたのでご案内します、と言った。
やはり寝ていたらしい弟と共にがたがたと席を立ち、
僕は看護士の後に続いた。
エレベーターに乗り、フロアを2つ上がって看護士が案内した部屋は
やや大ぶりな個室だった。
失礼します。看護士がアルコールで手を消毒し、
ノックに続いて声をかけた。
すると中から、どうぞ、という返事があった。
聞き慣れた母の声に違いなかった。

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2008年09月27日 | Weblog
7-1-2
僕が戻った時には既に救急車が到着していて、
今まさに母がストレッチャーに乗せられたところだった。
傍らには弟が付き添い、焦れたように何やら叫んでいた。
僕は単車を脇に寄せてから、救急車と母の車の間をすり抜けて開けっ放しだった玄関を施錠し、再び戻って救急車に乗り込んだ。
あ、早かったね、いつ来たの?弟が驚いて尋ねた。
僕に気づかないほど切羽詰まっていたのだろうか。
今だよ今、玄関は閉めといた。それで?状況について僕も訊き返した。
弟が言うには、今朝起きだしてみたら彼女の苦しそうな姿が目に入り、
慌てて駆け寄ると救急車を呼ぶよう頼まれたそうだ。
尋常な様子ではなかったらしく、すぐに119番し、
それから僕へ連絡をくれたのだった。
弟の説明を聞く間にも母は苦しげに顔を歪め、唸っていた。
どうやら意識はあるようで、僕は少しだけ安堵した。
僕は彼女の手を握り、母さん、来たよ、と声をかけた。
うん、うんと頷いた彼女の額は汗で光っていた。
ハンカチで拭いたかったが、持たずに出てきてしまったので
仕方なくポケットティッシュでそっと抑えた。
家族の方ですか?不意に訊かれ、僕ははっと顔を上げた。
当たり前じゃないか。少し苛立を滲ませながら、
そうです、と救命士に向かって答えた。
そして車が全く動き出していないことに初めて気がついた。
救急車に乗ったのは初めてだった。
そして、こんなにも出発に手間取るものだとも初めて知った。
僕たちは日頃通院しているがんセンターに向かうよう訴えたが、
病院の都合を確認するまでは出せないと制止された。
他にも最寄りの医療機関や救急病院など、
複数の受け入れ先と連絡を取っているようだった。
一体いつになったら行き先がきまるのだろう。
苛々が積もり、徐々に車内の空気が張りつめていった。
救急車は僕たち家族を乗せてから15分ほどの後、
漸くサイレンと共に動き出した。

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2008年09月20日 | Weblog
2007年4月2日。
普段通り起きた僕は、キッチンで朝食の準備をしていた。
鍋を火にかけ、お湯を沸かしていたら不意にケータイが震えた。
まだ7時を過ぎたばかりの早い時間に誰だろう、
間違い電話だろうかと訝しみながらケータイを手に取った。
着信先には弟の番号が表示されていた。
おはよう、どうした?僕は戸惑いながら電話に出た。
もしもし、兄ちゃん?起きてる?母さんが、母さんがちょっと急に具合が悪いって言い出して、今救急車呼んでる。すぐ来れる?
弟の声は取り乱していて、少し怒気を含んでいた。
すぐ来れるよね?早くね、急いでね!
普段母の傍にいない僕を詰るようにも聞こえた。
僕は、これから向かうが、最悪先に救急車が着いて病院へ向かったら
メールで知らせてほしいと頼んで電話を切った。
母の身に何があったのだろう。出かける支度をしながら、僕は考えを巡らせた。
またアナフィラキシーショック?そう何度も出るものなのか?
それとも他の新しい、未知の何かなのかだろうか。
考えたところで結論が出る筈もなかったが、とりあえずは起きていて、
すぐに行動を起こせただけまだマシだと考え直した僕は、
慌ただしく部屋中を駆け回った。
そして着替えを済ませ、靴を履き、キーとメットを持って閉じめをしてから、
作りかけの朝食をそのままにして単車に跨がった。

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2008年09月06日 | Weblog
2007年3月22日。
母はこの日、還暦の誕生日を迎えた。
60にしては彼女は若々しかった。
薬の副作用で顔がやや浮腫み、反対に体は随分細くなり
頭髪もボリュームは落ちてきてはいたが、
身だしなみと気持ちを整えることで快活さを保っていた。
僕たち兄弟は母へのプレゼントにフラワーケーキを贈った。
赤いちゃんちゃんこはどうかと思ったので、
代わりに赤いカーディガンを添えた。
普段から花が好きだと言っていた彼女は、ありがとうと言って
静かに笑った。