今朝は曇り空。天気予報では夕立があるやに言っていましたが、さてどうなりますことやら。
東京と千葉のお天気を見比べながらの推量では、「おそらく雨が降るでしょう」とふんだのですが。
さて、昨日の女学生は、『みんなの日本語』の14課から、25課までを一応やることが出来ました。朝は10時から12時まで、昼は1時から4時過ぎまで、「一対一で」です。この時間、同じ状態で勉強を続けることが出来ましたから、たいしたものです。
本心を言いますと、途中で、疲れて「休む」と言い出すのではないかと、危惧していたのです。そうすると、四日間では、41課までいけません。しかし、それも杞憂に終わりました。集中力は途切れることがありませんでしたから。
さすが、親御さんが「どうしてもいい大学に入れたい」。本人も「勉強したい(学問したい、の方でしょうか)」と望んで、日本に来ただけのことはあります。
もちろん、大学入試というのは、何が起こるか解らない一発勝負の試験ですから、「絶対」とは言えませんが、「人事を尽くして」の部分だけは、この学校にいるときに、どうにかなりそうです。
前から、聡明な女性であることは解っていたのですが、来校時の印象は「暗い」「無口」でしたから、なかなか自分の心を開かないのだろうと思っていました。ところが、一対一の五時間を通して、随分「無邪気な」子であることがわかりました。「素直」に教師の言う通りにできるから、上達していけるのでしょう。
「学ぶ」という上では、「言語」も「芸事」に通じるところがあります。教える人間を、信じることが出来なければ、上達することは出来ません。天才でない限り、普通の人間には「自力」でやれる部分には限度があります。しかも、時間もかかります。
この子のように、「学びたいこと」が他にある場合、「日本語」はそのための「道具」でしかありません。一刻も早く「その求める道」へ進んでいくためには、いかに効率よく日本語を習得していけるかが、鍵になります。
この分で行けば、来年の初めには「中級」が終わっているでしょう。そして「上級」が始まり、それと並行して、「留学生試験」の準備をすることが出来るようになるでしょう。「上級」さえ終わっていれば、後は「新聞」の記事や「文学」、「古典」などを授業で入れることも出来ます。そうすれば、大学に入っても、他の日本人学生に、大きな引け目を感じることもないでしょう。
「留学生対策」をとる場合、「大学に入学するまで」だけではなく、「入学後一年か、二年」までを視野に入れておかねばなりません。
大学に入ろう、がんばろうと思って日本に来た就学生でも、日本に来ると、母国ではなかなか手にできないお金を(アルバイトレベルでも)、手に入れることができます。意志が強く、目的がはっきりしている学生であれば、それでもがんばれるのですが、そうではない学生の場合、それだけで舞い上がってしまって、勉強どころではなくなってしまい、稼ぐことに夢中になってしまうのです。
そうなると、学校というものは、ただ彼らが日本にいられるための道具(ビザをもらえますから)になってしまいます。こうなった学生に、いくら勉強のことを言っても無駄でしょう。もしかしたら、彼らに子供が出来、大学受験などを考え始める頃にでもならなければ、私たちの言葉の意味なんて、わからないのかもしれません。
確かに今まで、少なからぬ外国人に日本語の「授業」をしてきましたが、「教えた」と言えるのは、そのうちのどれほどの学生でしょう。
この学校も、日本語教育振興協会の認可を受けてから、もう五年になりました。「この学校に在籍していただけ(教室に座っていただけ)」の学生だけでなく、ポツポツと「教えた」と言うことができる学生も巣立ち始めています。こうなってくると、私も楽しいし(私だけでなく教員はみんな楽しい)、やりがいも出てきます。学生にしても、「結果」が目に見える形で出てきますので、挫けそうになっても、踏ん張ることができるのでしょう。
もちろん、アルバイトをしなければ、進学できない学生もいます。けれど、目的さえあれば、勉学に励んでさえいれば、「大学に入ってから」ではなく、「日本語学校に在籍中」であっても、奨学金を得ることができます。
「いい循環」が始まれば、すべてがよくなります。身近な学生達が「悪い循環」に呑み込まれてしまわないよう見守るのも、そして呑み込まれそうになったら、引きずり上げてやるのも、こういう仕事をしている教師達の務めの一部でしょう。
日々是好日
東京と千葉のお天気を見比べながらの推量では、「おそらく雨が降るでしょう」とふんだのですが。
さて、昨日の女学生は、『みんなの日本語』の14課から、25課までを一応やることが出来ました。朝は10時から12時まで、昼は1時から4時過ぎまで、「一対一で」です。この時間、同じ状態で勉強を続けることが出来ましたから、たいしたものです。
本心を言いますと、途中で、疲れて「休む」と言い出すのではないかと、危惧していたのです。そうすると、四日間では、41課までいけません。しかし、それも杞憂に終わりました。集中力は途切れることがありませんでしたから。
さすが、親御さんが「どうしてもいい大学に入れたい」。本人も「勉強したい(学問したい、の方でしょうか)」と望んで、日本に来ただけのことはあります。
もちろん、大学入試というのは、何が起こるか解らない一発勝負の試験ですから、「絶対」とは言えませんが、「人事を尽くして」の部分だけは、この学校にいるときに、どうにかなりそうです。
前から、聡明な女性であることは解っていたのですが、来校時の印象は「暗い」「無口」でしたから、なかなか自分の心を開かないのだろうと思っていました。ところが、一対一の五時間を通して、随分「無邪気な」子であることがわかりました。「素直」に教師の言う通りにできるから、上達していけるのでしょう。
「学ぶ」という上では、「言語」も「芸事」に通じるところがあります。教える人間を、信じることが出来なければ、上達することは出来ません。天才でない限り、普通の人間には「自力」でやれる部分には限度があります。しかも、時間もかかります。
この子のように、「学びたいこと」が他にある場合、「日本語」はそのための「道具」でしかありません。一刻も早く「その求める道」へ進んでいくためには、いかに効率よく日本語を習得していけるかが、鍵になります。
この分で行けば、来年の初めには「中級」が終わっているでしょう。そして「上級」が始まり、それと並行して、「留学生試験」の準備をすることが出来るようになるでしょう。「上級」さえ終わっていれば、後は「新聞」の記事や「文学」、「古典」などを授業で入れることも出来ます。そうすれば、大学に入っても、他の日本人学生に、大きな引け目を感じることもないでしょう。
「留学生対策」をとる場合、「大学に入学するまで」だけではなく、「入学後一年か、二年」までを視野に入れておかねばなりません。
大学に入ろう、がんばろうと思って日本に来た就学生でも、日本に来ると、母国ではなかなか手にできないお金を(アルバイトレベルでも)、手に入れることができます。意志が強く、目的がはっきりしている学生であれば、それでもがんばれるのですが、そうではない学生の場合、それだけで舞い上がってしまって、勉強どころではなくなってしまい、稼ぐことに夢中になってしまうのです。
そうなると、学校というものは、ただ彼らが日本にいられるための道具(ビザをもらえますから)になってしまいます。こうなった学生に、いくら勉強のことを言っても無駄でしょう。もしかしたら、彼らに子供が出来、大学受験などを考え始める頃にでもならなければ、私たちの言葉の意味なんて、わからないのかもしれません。
確かに今まで、少なからぬ外国人に日本語の「授業」をしてきましたが、「教えた」と言えるのは、そのうちのどれほどの学生でしょう。
この学校も、日本語教育振興協会の認可を受けてから、もう五年になりました。「この学校に在籍していただけ(教室に座っていただけ)」の学生だけでなく、ポツポツと「教えた」と言うことができる学生も巣立ち始めています。こうなってくると、私も楽しいし(私だけでなく教員はみんな楽しい)、やりがいも出てきます。学生にしても、「結果」が目に見える形で出てきますので、挫けそうになっても、踏ん張ることができるのでしょう。
もちろん、アルバイトをしなければ、進学できない学生もいます。けれど、目的さえあれば、勉学に励んでさえいれば、「大学に入ってから」ではなく、「日本語学校に在籍中」であっても、奨学金を得ることができます。
「いい循環」が始まれば、すべてがよくなります。身近な学生達が「悪い循環」に呑み込まれてしまわないよう見守るのも、そして呑み込まれそうになったら、引きずり上げてやるのも、こういう仕事をしている教師達の務めの一部でしょう。
日々是好日