日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「季節の花」。「草花のこと」。

2014-01-08 08:35:54 | 日本語の授業
 曇り。

 今日は午前中にも雨が降り出すとの予報でしたが、お日様の光はまだ射し込んでいます。今日も11度から5度の間で生活をしていくことになりそうですが、早朝は都心でも7度と言っていましたから、ここはもう少し高かったのかもしれません。

 「寒の入り」(1月5日)も終わり、「七草」も昨日で済みました。今年は「大寒」が1月20日と言いますから、まだまだもっと寒くなる日が控えているわけで、身体の首の部分(首、手首、足首)は、特に暖かくせよというのを、繰り返し学生達に言っていかなければなりません。「立春」(2月4日)は、まだ1か月ほども先のことなのですから。

 とはいえ、日本に長く住んでいる南国生まれの人達に聞くと、皆「もう、慣れた」と言います。「大丈夫」とも言うのです。そういう彼らの姿を見ていますと、「小寒だ」「大寒だ」「もうすぐ立春だ」などと、アタフタと寒さに過敏になっている私たちがちょっとおかしいのかなと言う気もするのですが、もしかしたら、これこそが、この変化に富んだ列島に生まれた「日本人」と言うものなのかもしれません。

 季節という「移り変わり」に耳を傾け、全身で感じながら、生きていく習慣が子どもの時から培われているのですもの。思想などの「主義」は、すぐに色褪せてしまいます。「修飾語」が廃れていくのと同じように。けれども、この大地がある限り、またこの大地に暮らしたという記憶がある限り、「日本語」は消失しないでしょうし、豊かさも失わないでしょう。なんとなれば、常にこの言語に魅力を感じ、知りたいという人達が出てくるでしょうから。

 さて、学校です。

 今日から「新学期」。「新学期」が始まるとはいえ、学生はみんな来るかしらん。いつも「新学期」が始まるたびに、そう思います。そして、いつも学生達はやって来て、もちろん、数人、遅刻者も、欠席者も出てくるのですが、つつがなく1日は終わっていくのです。

 学生達が来た時に、きっと一番最初に目にするのは、玄関脇の真っ赤な「サザンカ(山茶花)」でしょう。玄関の靴置き場の上に飾られている「季節物」の他に、やはり季節の花が迎えてくれるというのはいいですね。もっとも、ほとんどの学生達は「花」に無関心なのですが。南の国の人間だから仕方がないか…というふうに、いつも半ば諦めているのですが、本当は気がついてほしいのです。

 花のことをいつも聞いてきたのは、中国の内モンゴルから来た「モンゴル民族」の学生達、しかも男子学生達の方が多かったのです。

 その聞き方というのも、
「あれ、あれ。あれです。見たことがあります。あれは何という花ですか」
とか、
「樹に花がついています。樹に花がついているなんて…。本当の花ですか」
とか。

 そういえば、前に、こんなことを聞いた学生もいました。
「公園に樹がたくさんありますね。どうしてですか」「…(小声で)そんなの、当たり前じゃ」

 確かに、内モンゴルの樹とは「樹力」が違うのです。日本のそれは、多分、十二分に雨が降っており、しかもお日様も当たっている…からなのかもしれませんが、彼らの目から見れば、木の葉が「ワサワサ」と繁っているように見えたのでしょう。ただこれも、私たち日本人からすれば、「車の排気ガスによって、こういうものに強い樹しか植えられない。困ったことだ」という世界なのですが。

 漢民族には、花のことを「これ(日本語でスミレです)は、中国語で何と言いますか」と聞いても、「ああ、あれは雑草」。…そんなん、名前じゃないと、いくらこちらが思っても、それは通じませんでした。地面に「生えている草花」は、すべて、「雑草」。聞かれて、「何だろうね」なんて答えが返ってきたことなんてありませんでした。

 「自然そのまま」の大地がすべてという民族と、耕し、耕し、人工的なものに作り替えてこそ「なんぼ」の民族との違いなのかもしれません。内モンゴルから来たモンゴル民族は、草木に特に敏感でした。

 これは「モンゴル国」から来たモンゴル民族もそうでした。日本の草花を見て、それが自分の国の草原にあるのと同じだと、「同じ。モンゴルにもあります」と、言っていましたもの。

 日本では、ここ数十年、絶滅しそうな「希少野生動植物種」が重視され、小中学校などでも、教育の一環として保護する所が出てきています。

 「在るもの」を如何にして守っていくか、これは、「伝統を守っていく」のも同じ。新しいものを創りだしていくのも難しいけれども、そこに「在るもの」を存在させていくのは、もっと難しい。経済効率ばかりを追求して「公害」という「化け物」を創りだしてしまった人間は、特に、そのことを心がけていかなければならないのでしょう。

 とはいえ、まだ、そういう状態になっていることを意識していない人達に、「大気汚染」や「生き物が失われる」かもしれないことを伝え、その大切さに気づかせていくのは、とても難しいことなのです。特に、日本語を教える教科書の大半が、「先進国の目」で書かれているとあっては。

日々是好日
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