日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

同国人の「おいしい話」には、詳しく聞いてから、反応すべし。

2019-06-14 08:37:06 | 日本語学校

晴れ。

今夜から「荒れそう」という予報が出ていますが、今のところ、昨日同様、青空が広がっています。いい天気です。

随分前に、アスファルトの隙間から、芽を出し、見事な姿になった「根性大根君」が話題になりました。話題になりますと、あちらでもこちらでも、「根性君」が発見され、一躍、街を賑わし、それを見守る人々の姿が映し出されました。邪魔者という感じではなく、自分たちの姿を投影したものとして。「私たちにとっても辛い世の中だけれども、君はその環境の中で必死に生きている」。涙ぐましい存在として見るようになったのです。

そして、今年、学校の周りでも、春から梅雨にかけて、いくつかの「根性君」の姿が見られました。アスファルトの端っこを食い破るようにして、きれいな花を咲かせていたり、石垣の割れ目にも隙間なくセメントが塗り込められているというのに、そこからも芽を出し蔓を伸ばしていたり。

すぐに感情移入してしまうのは、国民性かもしれません。植物に対しても、もちろん、動物や虫に対してもです。

習慣で、「ワン子さんが来るから…」とか、「ニャンちゃん、何を考えていますか」とか、呼びかけたり、話しかけたりしているのを見て、外国人学生の中には、「猫に『さん』をつけている」と言って笑う者もいました。

ところが、慣れというのは恐ろしいもので、いつの間にか、笑っていた当のその人が、「先生、あの角に、猫さんがいた」なんて言っていましたもの。そのたびに、「しまった」と半分…ほど思うのですが、それと共に、まあ、いいか、それを聞いて親しみを感じこそすれ、嫌な思いをする日本人なんていないだろうから…なんても、思ってしまいます。

さて、学校です。

外国で生活するというのは、本当に大変なことで、それまでは親がやってくれていた「掃除・洗濯・炊事」などはもちろんのこと、「勉強」も「アルバイト」もしなければなりません。まめな人も、たまにいることはいるのですが、まあ、ほんのわずか。たいていは音を上げ、掃除(ゴミ出しも含めます)が最初にいい加減になってしまいます。

そんなとき、随分前に来日して、今は日本で働いている同国人の話(月給)などを聞き、「それくらいのお金で十分。そんなに頑張らなくてもいいか…」となってしまう、というのもわかることはわかるのですが。

けれども、それが「いつ、どんな仕事をしてもらっているのか」を詳しく聞けば、ちょっと考えを変えてしまうかもしれません。

この学校にも、日本で働いている外国人が「日本語を教えて欲しい」と来ることがあります。その時、詳しく話を聞いているのですが、たいていの場合、そういう人達の仕事は「夜勤」なのです。

「実際に日本で仕事をしてみると、メールの返事を書く時に、敬語やら、特殊な言いまわしやら、専門用語やらに苦労してしまう。それらを勉強したい」。

これは、こういうところでは無理でしょう。専門の言葉というのは、既に分野が決まっていれば、専門学校で学ぶか、それらに関する専門の本を読むかして学ぶしかないのです。こういう人が言っているのは、おそらくビジネス用語なのでしょう。それは、日本語学校を卒業した学生達が、ビジネスの専門学校に行って学んでいます。特化してものは、普通は日本語学校の守備外です。それがなかなかわかってもらえない。

その上、時間を聞くと、なかなか難しいのです。だって、仕事をしながらですから。この学校は、土曜と日曜は開校していません。そういう人は仕事があるので、土日にと希望するのですが、それは無理です。すると、朝来て勉強すると言うのです。仕事先からそのまま来ると言うのですが、そう、言われるたびに、「ちょっと無理でしょう。仕事先で日本人の友だちを作って、その人に教えてもらった方がいい」と、やんわりと断っています。

こういう人は、年齢も、留学生達と違い、かなり上なのです。留学生達は、若さでどこか突っ走ることが出来るのですが、年が長けてしまうとそうは簡単には行かないでしょう。

以前、中国の人で、仕事を辞めて、まだビザのある半年ほどの間に、「N1」をとって帰ると言う人がいましたが、この場合は大丈夫でした。ただ、本人の資質の問題で、少々手こずりましたが。

留学生の中には、そういう詳しい話(苦労している話)は聞かずに、単に、「今、いくらもらっている」だけを聞いて、それなら、どこかの専門学校に行って、テキトーに働けばいいやと思ってしまうこともあるようで、一度それで躓いてしまうと、なかなか立ち直れません。

もとより、一番大切なのは、やりたいことがあること。それがまだ発見出来ていなくとも、知的好奇心があること。

それがなくなってしまったら、もう「おじさんだよ」と言ってあるのですが、留学生には。好奇心があるから、勉強し、わからないことを知りたいと思ったり、知らない世界を見たいと思ったりするのでしょう。「何か」が、なくては、人は動けないものです。疲れるか飽きるかして、投げやりになってしまうだけです。

それが嵩じると、勉強している人の邪魔をするしかありません。悪意ではなくとも、それは邪魔になります。授業に関係のないことを突然言ってみたり、話を勉強から逸らそうと皆の気を引くような面白い話を言ってみたりして、何かしてみたいのです。だって、自分以外は皆、授業に集中しているわけですから。

かわいそうですが、授業中は相手にできません。こういう学生が何を言おうと、関係なく、授業を進めていきます。すると、話しかけられたら応じなければならないという習慣がついている、そういう国から来た人達も、こちらの態度に従うようになってきます。授業中は教卓に就いている教師を見るという習慣はそれ以前につけてありますから。もちろん、授業中でなければ何を話そうと勝手なのですが、彼等も、直にそんなことはしていられなくなります(進学しなければなりませんから)。

そういう経験のない人達も、切羽詰まった状態のはずです。…まあ、それでも、最後までお国振りを「発揮した」ままの人も、いることはいるのですが…。

日々是好日
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