日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

30日に、留学生が、一人やって来ました。昨日は「補講」がありました。

2019-05-03 09:28:07 | 日本語学校

晴れ。

正に「五月晴れ」です。

初めての「10連休」ということで、楽しみにしていた者も確かにいたようですが、反対に困っている者あり、鬱陶しがっている者あり…、というわけで、連休前半のお天気同様、どうも気分もはっきりしなかったような…。

数十年前のことになりますが、「どうして日本には(公の)休みが、こんなに多いんだ」と、中国人に聞かれたことがありました。「普段は休めないから」という答えに、わけがわからんという顔をされ、ちょっと困ったことがありました。日本ではなかなか休めないということをうまく説明出来なかったのです。出来たとしても、おそらくわかってはくれなかったでしょう。

当時、中国では、「親がふるさとから来るから、駅に迎えに行く」と言っては休み、「親が病気だから」と言っては休み、「ちょいと風邪気味だから」と言っては休む…ような人が、多かった…(病気だと言って休んだのに、街で買い物をしているのを見かけて、えっ?でも、だれもそれを言ったりしません。自分だってするからでしょう)。そんな中国人からすれば、普段休めないというのが、どうして???だったのでしょう。

今は、中国も変わっているでしょうけれども…。とはいえ、なにせ、大きな国です。パッと皆が一時に変わるようにはならないでしょう。

この、日本人の「普段休めない」という「当たり前のこと」が、この「10連休」を機に、今、問題にされています。

非正規労働者が増えたこともあるでしょう。しかも正規と非正規とでは待遇が格段に違うと言う現実があります。これでは、国を挙げての「祝祭日」が問題になって当然です。あくまで、皆、同じような環境の下にあるというのが前提での、「公の休み」なのですから。

しかしながら、これが問題になることは決して悪いことじゃない。ここまで休みが続いてしまうと、それは誰だって「あれっ」と思いますもの。日々の生活に支障をきたすという面だって出てきますもの。だって、国を挙げての「公の休み」なんですから。休んでも何の障害もないとなれば「休まにゃ、損、損」となってしまいます。もう少し、個人の都合で休めるといいのですけれどもね。国が休みを作らなきゃ休めないなんて、変といえば確かにヘン。

もちろん、多分、友だちがふるさとから来たから休むと、しょっちゅう休むというのは論外ですが。

さて、学校です。

いつの間にか、皐月になっていた…ような気がします。代替わりということで、テレビはその報道で大騒ぎ。静かに見守るということも大切であるような気がするのですが、民放もNHKも同じような騒ぎ方でした。で、気がついたら、初夏。

学校までの道も、かなりの変化が起きています。「タンポポ」の綿毛なんて、もう疎らになっていて、今にも坊主頭になってしまいそう。この前まで裸ん坊だった「ヤナギ」の樹も、もう見事な新緑に姿を変え、ユッサユッサと長い枝を揺らしていました。花の季節が終わって、緑の季節になったのだなあ。

昨日は、私が「補講」の当番にあたっていたので、学校に来て、新入生に「10課」の復習と、「11課」の授業をしたのです。学校に来てからすぐ、三階に行き、板書などの準備をしておいたのですが、一番最初に来たタイの学生が、一階に下りていこうとします。いつも三階でしょと言うと、いえ、一階。彼の場合は、「ひらがな」から始めて三ヶ月なので、それほど話が進みません。で、留学生を待っていると、やはり一階という。それで慌てて、三階から下の運んでいきます。

で、一列目が揃ったところで、30日のこと(前回の補講です)を聞くと、声を揃えて、「『10課』は終わりました」と言う。変だな、10課の残りと書いてあったのだけれども…と思いながら(そこは新入生ですから、はっきりと問いただすことは無理…であろうと思い)、そのまま、「では、11課の単語から読んでいきます」。

すると、4月30日に来たばかりのベトナムの学生が、「単語????なんですか」。すぐに3週間ほど前に来ていた新入生の先輩が「ことば」と教えてやります。

読んでいると、一人が、「先生」と言う。見ると、「10課」の問題を指し、「ここ、ここ」。それを見て、だれかが「まだです」。んんん…。でも、問題だけやるわけにはいきません。それで、「10課」の単語を一通り読み、B問題を簡単に繰り返し、問題を片付けていきます。それから、「11課」に進み、最後に「漢字」を少々やり、12時半を過ぎたところで、5月7日にやるところを告げて終わりにしました。

30日に来た学生は、ベトナムで「50課」を終えたそうで、「10課」とか「11課」なんて、ヘン!!!という顔をして臨んでいたのですが、あっちこっちで変な癖がついていましたから、その都度、注意していきます。だんだん、普通の顔になってきたので、元は素直なのだということがよくわかります。

まず、全部を読もうとしない(読まなくても判るというところなのでしょう)。問題も答えだけ言えればいいと思っている。つまり「過程」が消えているのです。「答え」だけでなく、全部読むように言い、読ませてみると、助詞が消えた読み方をしている。これでは、きちんとした受け答えも出来ませんし、まずは以後の読解問題でも解くのが難しくなるでしょう。

「初級」のうちは単語を一つでもきちんと覚えている者がえらく見える。本当は文法の方が大切なのですが、それは見えない。だいたい、「初級」なんて、単語を覚えていれば、それとなく「理解出来る」程度のものなので、それほど気にはならないのです。ところが、「N3」の内容に入ってくると、「初級」の頃の簡単な文法の大切さが身に沁みてわかってきて、そういう人に限って、焦り出す。
 
日本で日本語で学ぶというのは、単に学ぶのが「日本語」というわけではありません。日本人が普段話す言葉に慣れるということも含まれていますし、彼我の思考回路の違いなどに気がつくこともあるのです。

「初級」のうちは、互いに「共通語」がありませんから、どこでそれに気がつくか、あるいは気がつかずとも、どこまで教師の言うことを素直に聞けるかで、それから先の進度が異なってきます。

何を学ぶにせよ、素直が一番と言うことになって来ます。

その点、彼の場合、すぐにわかって、こちらの言うとおりにするようになりましたし、「わかりません」を何度も言うようになりましたから、多分、もう大丈夫でしょう。帰りには、少々肩を落としていたのですが(天狗の鼻が少し折れたかな)、そこは3週間前に来た先輩がいます。肩を叩き、「大丈夫。来たばかりだから。すぐにわかります」と言って慰めていました。

もちろん、私たちだって、「コイツ」と思って、苛めているわけじゃありません。御山の大将は伸びないから困ると思っているだけです。彼等の国の小さなクラスで「出来ていた」から、「出来る」と思って日本でやっていると、とんでもないことになってしまいます。漢字も、まだ「補講のクラス」では「N5」の最初でしたが、「止め」も「跳ね」もできていないし、「辶」も一本線で終わっている。注意するとだんだん焦ってきて、「どうしたらいいですか。できません」などと言い出す。筆ペンのことを話し、(100円ショップに行ったことがないと言ったので、安いからそこで)買ってくるように言うと、早速、もう一人の3週間の先輩がすぐに手渡して、練習するように言っていました。

もちろん、一発で出来るようになるわけでもなく、こちらが手を添えてやっても、なかなかうまくいきません。どんどん壁にぶち当たるといいですね。かなり素直になっていましたから、7日の授業(23課から)の時には、いい顔になっているでしょう。学ぼうという顔になっていないと、何も身につきません。

日々是好日

コメント   この記事についてブログを書く
« 「留学生試験」の総合問題 | トップ | 連休明け、7月の「日本語能... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語学校」カテゴリの最新記事