日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「日本語の文章を読んで、意味を掴む」というのは、こちらが思っているより、彼等にとっては、大変なことのようです。

2019-06-24 12:13:50 | 日本語学校

雨。

本格的な、「梅雨」時の雨です。「あじさい」の葉に打ち付ける雨の音に懐かしささえ覚えます。子供の頃は、この音を聞くと、すぐにそばに寄ってみたくなったものでしたが、今は、遠くから眺めて、音を想像しながら楽しんでいます。もちろん、傍によってしみじみと見つめているのもいいのですけれども。

さて、今日、途中で、「キョウチクトウ(夾竹桃)」の花が満開になっているお宅を見つけました。歩いてきたからでしょうね、いつもとルートが違うと、景色も違ってきます。

色は珍しい(?)深紅。よく見かけられる赤とは全然違う黒がかなり入っている色です。

「キョウチクトウ」が咲いていると…もう夏休みになったような気がしてきます。「カンナ」の花もそう。もっとも「カンナ」の場合は、休みの終わり、どこかさびしげな雰囲気が夕暮れ時と重なって思い出されてくるのですが。

けれども、「ホタルブクロ(蛍袋)」はまだ見かけませんね。やはりもう育てるのを止めたのかしらん。今は、見たくなれば、里山を歩きに行く…というふうにはなれませんから、よけいそう感じてしまうのかもしれません。やはり山野草はいい。特に梅雨の頃のものは。

さて、学校です。

「Aクラス」の「『N2』の読解」は、引き続き、私が持っているので、学生達は慣れたもの。ヘラヘラして授業を受けています。ところが同じクラスでも「『N3』の読解」の方は、別の教員が持ち、クラブ活動並みに締められています。まあ、いい経験です。

今年、ベトナムに行った時、ハノイでは日本の予備校から派遣された人達が、日本並みの日本語教育をし始めていると感じたのですが(数年前からその傾向はあったのですが、チャンスと見たのでしょう、すぐに、その人達は起業していました)、その時の話。

ここと同じように「読解力」をつけさせるのに悩んでいるとのこと。

日本では、ある意味、本好きな子がクラスに何人かいて、別に試験勉強などをしなくとも、国語のテストだけは点が取れることがあるのですが、ベトナムでは、そういうこともないようで、読解力をつけるのに、苦労していました。

これは、別に、ベトナムだけの問題ではありません。インドもネパールもスリランカもパキスタンもバングラデシュもフィリピンもタイもミャンマーもそうでした。

中国でも、(同じ東アジア文化圏だし、漢字の国だからと安心していてはなりません)中には大学を出ていても、指示語や内容を問う問題に答えられない人もいました。とはいえ、中国人は漢字を拾い読みするだけで、ある程度は意味が掴めますから、他の国の人達と比べることはできません。

「Aクラス」でも、かなり苦労しながら教えているのですが、それでも、やっと1か月ほどで、指示語の近くにあるものであったら、三分の一くらいは、それが指示するものを言えるようになりました。ただ、なりはしたものの、どうも見ているところ、確とした自信はないようなのです。それに、主語などを聞いた時、最初はとんでもない答えが返っていたのですが、最近は、どうもコツを掴んだようで、一応、答えは出る。ただ。このコツというのが、どうも怪しくて、多分このあたりだろうな程度の勘で言っているのではないかと思われるのです。しかも一人が言えばすぐに何人かが争って言ったりするので、間違っている時は、さあ、大変。この、答えるというのも、もしかしたら、反射神経の然らしめているところなのかな…。

ただ、「文意を掴む」だけは、こんなのではできません。しーんと静まりかえってしまいます。よく、とんでもない答えが出てきたりするのですが、それは、接続詞、指示語、主語などを確認した上で、訊いても、そうなる場合があるのです。

ベトナム人の場合は、単に、読書が足りないからと思うだけなのですが、時々そうではない国の人がいて、苦労します。

これは日本語力というよりも、知識が欠如しているが故の課題なのでしょう。思い込みからの答えであったり、時には、他国と自分の国とはいろいろな部分で異なっているということや、それらに対する考え方の相違がわからなかったりして、誤答が生じるのです。しかも、そういう「知識が欠けている」ということ自体を認められない者も若干名いるので、そうなると、少々面倒になってきます。もちろん、1年以上も学校に通っていれば、折に触れ、指導はしてあるので、かなり数は減ってきているのですが、まだそれが呑み込めていない者も残っているので、「N3」や「N2」の読解の指導の時に、障害になってきます。

もとより、自分の国に誇りを持つのはいいことです。自分の国に自信が持てずに異国で暮らすことほど辛いことはありません。どこの国にも他国に勝るものがあり、それが文化であったり、自然であったり、人情であったりするのですが、ただ、むやみやたらと「自分の国は優れている。他国(ここは日本)より上だ」というのが表に出てくるのはいただけません。そういう気持ちで文章を読めば、それは、自然と文意がゆがめられてしまうでしょう。だいたい、日本人が書いた文章ですもの。彼等の国を個別に意識なんぞしてはいません。

「N2」くらいまでは、大して文章は読ませられていません(説明しなければ、読めませんもの)し、アルバイト先で知り合う日本人とも、それほど深い話なんぞはできていないでしょう。それで日本人を判断し、「日本人はあれも知らない、これも知らない」と己を誇ってみてもどうしようもないこと。それが判らない人もいるのです。それゆえ、授業中、その時々で、教室で彼等に知らしめていくより術はないのです。これは国籍を問いません。そういう人は日本にもいるでしょうし。

ただ、母国で生活している分には困らないし、母国で、それを喚けば、同調する者も少なくはないでしょう。その国の人にとっては心地よい言葉ですから。

今、「読ませる、意味を掴ませる」という作業をしていると、普通に授業をしていては見えないものも見えてくることがあるのです。ちょっと困るかな…。

日々是好日
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