日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「同じ」とは、何が同じなのかな…。よく判らないときがあります。

2018-05-15 09:28:26 | 日本語学校
快晴。

今、辺りはしーんと静まりかえっています。先ほどまでは、太鼓が主か、子供たちの声が主か、判らないほど、賑やかでしたのに。

もっとも、ここまで声を張り上げていると、今日は勉強にならないでしょうね。運動会のための早朝練習が続いています。練習もだんだん熱が入ってきているよう。きっと各クラスから応援団員が選ばれ(四年生以上かな、それとも高学年だけかな)、彼等の、笛によるチャッチャッチャも板についてきたことでしょう。

その笛の音、仕草に合わせ、一糸乱れぬかけ声が続く。小学生の頃から、私たちはこういう指導を受けてきたのですね。思いやれば、運動会なんて、何も「ミカン(蜜柑)」や「クリ(栗)」だけのものではなかった…(私たちの頃の運動会は10月でした)。当時は気がつかなかったようなことをいろいろと気づかされています。子供たちの応援の声から。

さて、学校です。

日本のよいところ(なぜか、本には悪いところはなかったので)を、学生達に出させようとすると、これが難しい。嫌なところ、悪いところはたくさん出てくるのでしょうけれども。こういうことから、学生達には、まだ、日本の良さなんて感じられていないんだということがよく判ります。

例えば、交通事情。やはり国の発達の度合いに依るのか、温度差が見られます。発達していない…と、思われる国の方が、日本の交通は便利だとは言いません。自分の国も便利だと言います。

これはやせ我慢ではなく、本当にそう思っているようなのです。不便と思っていないどころか、不満も感じていない。こういうモノだで、困らない…。多分、そうなのでしょう。このまま、100年くらいは行くなと思えてきます…。

ネパールの学生は何も考えていない、感じていないのに対して、ベトナムの学生は、ベトナムには地下鉄がない。日本は便利だと言います。

多分、ネパールの学生は、国を出るまでは、それで何ら不便を感じたことはなかった。そして、今も国を思えば甘く、切なく…、あの頃は…となるのでしょう。

ネパールに行ったとき、ホテルでもよく停電しました。もっとも、ホテルはすぐにつくのですが。それをガイドさんに言うと、「今はとてもよくなった。前は1日に数時間しか電気がないときもあったし、一度停電するとなかなか電気が来ないということもあった。その時はみんな薪や木の枝を拾ってきた」。

私が子供のころ…と、言いますと、日本でも、停電はありました。今は、もし、停電なんぞが起きたら、それこそ大騒ぎになるでしょう。でも、当時は、台風が来ると、きっと停電になると思っていました。

小学校では、台風が直撃することが判った段階(だいたい2時限目か3時限目)で、クラスごとに列を作って、講堂に行くように放送が入ります。皆が行くと、地域ごとに集められ、責任者が決められ、高学年が下の人たちの世話をしながら家まで送り届けます。こういうときは子供だけでなく、地域の大人も何人か来ていますから、必ず一人か二人の大人がついているのですが、いないときには教師もその中に加わります。

家に着くと、ろうそくやら懐中電灯、マッチなどが準備されており、御飯も早めにできていました。いつもと違うと言うのは、子供にとってうれしいこと。大人とは違います。非日常の日だからこそ、記憶に残っているのでしょう。

大人にとっては大変で、面倒な日。でも子供にとっては、いつもと違うだけで、どこかウキウキ、ドキドキしてしまうような、特別な日でした。この停電を、不便だと思っていたかというと、決して、そうは思っていませんでしたね。きっと彼等もそんなものだったのかもしれません、日本に来る前まで、高校生だったのでしょうから。

ベトナムは海外からの資本が多く集まり、工場も多くある。それに合わせて、道が整備され、大きな橋やら、高速道路やらができている。数年前には何時間もかかっていた所が、今ではその何分の一かの時間で行けるようになっている。便利さを既に味わってから日本に来ているのでしょう。だから、もっと便利になるはず、もっと速くなるはずと思える。

しかしながら、ネパールは…、難しいだろうなと、素人目には映ります。おっとりとした人達だし、勉強も大して真剣にはしません。日本に二年もいれば、それなりに話せたり、聞き取れたりするものなのですが、そのレベルから、それほど上に行くという人はなかなかいないのです。それに、欲もないようですし。

アルバイトで疲れた(もうしたくない、だから)お金がたくさんあったらいいなとまでは考えるけれども、そのためにどうしなければならないかは考えられないのです。だから、本人は頑張ったと言うけれども、こちらから見れば、「そうかな」というところで、終わってしまう。

だいたい、普通のレベル(く頑張り度)の、東アジア圏の学生を見慣れている目には、「ただ、学校に来て座っているだけだろう。もちろん、言われたことはするけれども、ある程度以上の要求は、出してもしない、いや、きっとできないのだろう。ダラダラとする時間が長いので」というふうに映る。

集中力というのは、もしかしたら、「何かに夢中になったことがある」経験が核になって培われることなのかもしれません。好きなこと、やりたいと思えるようなことが身近になければ、ダラダラと閉め忘れた水道の栓みたいになっても、しかたがないことなのかもしれません。

それを非難するこちらの方が無理を言っているのかもしれないなとも思うこともあるのです。

日々是好日
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 「停滞期」にでも、入ったの... | トップ | 進学した先で、外国人が一人... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語学校」カテゴリの最新記事