快晴。
これで、「サクラ(桜)」が満開になれば、「春ウララ」と言いたくなるのですけれども。
とはいえ、枝先についてる蕾が遠くからでも、はっきりわかるほど膨らんできました。「シダレザクラ(枝垂れ桜)」は、昨日の暖かさで、もう五分咲きほどになっています。本当に予報通り、今週末の土日が見頃になりそうです。
いつも通勤途中に「サクラ」の様子を伺っている小学校、昨日ハッと気づいたのですが、うかつにも。確か、この並びに、1本だけ大きな「ヤナギ(柳)」の樹があった…はず…。ところが…ない。ない、ない、見当たらない。かなり大きかったので、年寄りの樹だったのでしょう、もう切り倒されたのかもしれません。「サクラ」のピンクと、「ヤナギ」の柔らかな緑、本当にきれいだったのですけれどもね。
さて、学校です。
4月から、こちらで学びたいという在日の方が、パラパラと来られています。中には周りに日本語ができる人がいない…。生活するとなると、暢気に構えてもいられない…で、学ばねばとやって来る人もいる。
ただ、こういう方の中には、他の国の習慣が、自分の国とは違うということがなかなか理解できない…人もいる。まあ異国というのは初めてでしょうから、それも無理はありません。
他の学校を見に行っていないので、どの学校も学費やら入学金がだいたい同じであるということがわからない。「入学金は…」と言ったところで固まってしまい、説明しても、何がなにやらわからない…風になってしまう。
あるいは、知り人と一緒にやって来て、この人は日本語が上手だから、ついてきてもらったと言う。けれども、確かに一見日本語を流暢に話しているように見えるけれども、こちらの言う意味がわかっていない…という人を連れてくる場合もある。
自分の国のやり方で押し通そうとするのです。若ければ変われる場合もあるでしょうが、来日後、年を重ねていると、このやり方で日本でもやって来たというおかしな自信がもう身についてしまい、変われない。多分、周りの日本人はあまり外国人と接点のない人たちで、しかもいい人達なのでしょう。
残念ながらここに来るのは外国人ばかりであるし、教員も個別に外国人との接点が多い、あるいは多かった人ばかり。で、外国人には慣れている。で、これは日本のやり方だと強く言うことができる。譲りません。
下手に譲ってしまうと、留学生に悪影響が出てしまうのです。
留学生たちは、ほとんどが他国で生活したことがない、自分の国からその年になるまで出たことがない人たちです。ですから、日本のやり方をジワリジワリと1年半、ないしは2年かけて教えていくことができる。
もちろん、学校だけでできることではありません。アルバイト先でも、そのやり方ができなければ、首になってしまうかもしれませんもの、彼らは日本のやり方を覚えようと必死になります。
そこへ、ごり押しがまかり通ったり、それでいい目を見たりする人がいると、ああ、そうやった方が得なんだとなる。これはだめです。ですから、そういう人には厳しく対応せざるを得ないのです。当然のことながら、腹を立ててやめる人も出てきます。安くしろとか喚かれても譲りません。その金額なりのもの、あるいは頑張ればそれ以上のものが学べるようにしてありますもの。学ぶことに関して損得勘定ができる人なら、目先の勘定、いくら負けろ等とは言わないでしょうね、普通は。
というわけで、新学期が始まる前に、水面下での戦いは始まっています。この、ルール通りにやるという習慣が身につかねば、日本ではどこへ行っても、日本人との関係を作るのは難しいでしょう。
日々是好日
これで、「サクラ(桜)」が満開になれば、「春ウララ」と言いたくなるのですけれども。
とはいえ、枝先についてる蕾が遠くからでも、はっきりわかるほど膨らんできました。「シダレザクラ(枝垂れ桜)」は、昨日の暖かさで、もう五分咲きほどになっています。本当に予報通り、今週末の土日が見頃になりそうです。
いつも通勤途中に「サクラ」の様子を伺っている小学校、昨日ハッと気づいたのですが、うかつにも。確か、この並びに、1本だけ大きな「ヤナギ(柳)」の樹があった…はず…。ところが…ない。ない、ない、見当たらない。かなり大きかったので、年寄りの樹だったのでしょう、もう切り倒されたのかもしれません。「サクラ」のピンクと、「ヤナギ」の柔らかな緑、本当にきれいだったのですけれどもね。
さて、学校です。
4月から、こちらで学びたいという在日の方が、パラパラと来られています。中には周りに日本語ができる人がいない…。生活するとなると、暢気に構えてもいられない…で、学ばねばとやって来る人もいる。
ただ、こういう方の中には、他の国の習慣が、自分の国とは違うということがなかなか理解できない…人もいる。まあ異国というのは初めてでしょうから、それも無理はありません。
他の学校を見に行っていないので、どの学校も学費やら入学金がだいたい同じであるということがわからない。「入学金は…」と言ったところで固まってしまい、説明しても、何がなにやらわからない…風になってしまう。
あるいは、知り人と一緒にやって来て、この人は日本語が上手だから、ついてきてもらったと言う。けれども、確かに一見日本語を流暢に話しているように見えるけれども、こちらの言う意味がわかっていない…という人を連れてくる場合もある。
自分の国のやり方で押し通そうとするのです。若ければ変われる場合もあるでしょうが、来日後、年を重ねていると、このやり方で日本でもやって来たというおかしな自信がもう身についてしまい、変われない。多分、周りの日本人はあまり外国人と接点のない人たちで、しかもいい人達なのでしょう。
残念ながらここに来るのは外国人ばかりであるし、教員も個別に外国人との接点が多い、あるいは多かった人ばかり。で、外国人には慣れている。で、これは日本のやり方だと強く言うことができる。譲りません。
下手に譲ってしまうと、留学生に悪影響が出てしまうのです。
留学生たちは、ほとんどが他国で生活したことがない、自分の国からその年になるまで出たことがない人たちです。ですから、日本のやり方をジワリジワリと1年半、ないしは2年かけて教えていくことができる。
もちろん、学校だけでできることではありません。アルバイト先でも、そのやり方ができなければ、首になってしまうかもしれませんもの、彼らは日本のやり方を覚えようと必死になります。
そこへ、ごり押しがまかり通ったり、それでいい目を見たりする人がいると、ああ、そうやった方が得なんだとなる。これはだめです。ですから、そういう人には厳しく対応せざるを得ないのです。当然のことながら、腹を立ててやめる人も出てきます。安くしろとか喚かれても譲りません。その金額なりのもの、あるいは頑張ればそれ以上のものが学べるようにしてありますもの。学ぶことに関して損得勘定ができる人なら、目先の勘定、いくら負けろ等とは言わないでしょうね、普通は。
というわけで、新学期が始まる前に、水面下での戦いは始まっています。この、ルール通りにやるという習慣が身につかねば、日本ではどこへ行っても、日本人との関係を作るのは難しいでしょう。
日々是好日