日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

誤りと判っていても、口から出てしまう…こともある。

2018-06-01 09:36:31 | 日本語学校
晴れ。

来週には、「梅雨」が始まりそうそうです。もちろん、今か今かと待っているわけではなく、「8日までは、来ないでくれ…」と思っているのです。多分、無理でしょうけれども。

8日は、皆で「鎌倉」へ行く予定なのです。

予定では、「鎌倉駅」から「若宮大路」を通って、「鶴岡八幡宮」へ行き、「江ノ電」に乗って、「高徳院」の「大仏」様のところで、昼食。それから、「アジサイ(紫陽花)」で有名な「長谷寺」へ行き、そのまま下って「由比ヶ浜」へと至る。帰りは、「江ノ電」で、「江ノ島駅」から「湘南江の島駅」へ行き、モノレールに乗り換え「大船駅」へ。そこから一路「東京駅」へ。「東京駅」からは「大手町駅」まで徒歩、そして「東西線」で、ここ「行徳」に戻る。

雨の中に佇む「アジサイ」の花を見るのはいいけれども、「由比ヶ浜」ではね。さすがに困ります。山のない国から来た人達が、束の間、海の波と戯るれることができるのはこの時だけ。「由比ヶ浜」へ至ったとき、雨が降っていると、海の中へザブザブと入っていくのは、ちょっとためらわれるでしょう。

以前、内モンゴルの人達が、なかなか海から上がって来なかった時のように、波が押し寄せるたびに、ジャンプして喜ぶなんてこともできないでしょう。

来週は、水・木と雨が降りそうですから、金曜日のことが心配になります。

そうこうしているうちに、この辺りでも、「ホタルブクロ(蛍袋)」や、「シャガ(著莪)」の花が姿を消し、夏の花(盆過ぎというのが私の思い込みなのですけれども)、「カンナ」が大きな花を咲かせています。まあ、「タチアオイ(立葵)」は、まだのようですが(実はこの辺り…私の行動半径は知れているので、どの辺にどのような花が咲くかは、何となく判っているのです。で、そのころになると目でそれを探してしまう…)。

さて、学校です。

スリランカの学生のこと。どうも「先生、これが欲しいですか(「こうする必要がありますか」と言うべきなのですが)」という言い方が抜けきらない。「それは誤りです。云々」と、説明を繰り返しているうちに、使わなくなる人も出てくるのですが、1ヶ月ほどもすると、また使っている…それに気づくとまた注意する(の、繰り返し)。

よく使ってしまうので、判っていないかというと、そうでもない。意味はわかっているし、使うべきではないということも判っている。でも、気がつくと口をついて…出てしまう。こういうのを、しっかりと改めるのは、なかなか難しいようです。

それに、「~てあげる」「~てもらう」「~てくれる」も、ややもすると、使い方が曖昧になってしまう。『初級』で教えたときにはそれなりに入っていた(その時は)…、でも、日常生活で使う機会が少ないからか、使うべきでないときに「~てあげます」なんて言ってしまう。これは相手の心証を害しますから、却って使わない方がいいときの方が多くなってしまう…。

ネパールの学生は、「~してもらいたいです」くらいの意味のところを、「~てもいいです」と言ってしまう。相手には、上から目線のように感じられてしまうのです。これも、日本人の中にいると、不利に働いてしまいます。

文法的には誤りでなくても、言われた方の気持ちを考えると、見過ごすわけにはいきません。こういうところが、国ごとに出てくるのです。これは国民性とは違うところで出てきます。母語の言い回しの影響であったり、あるいは習慣であったりするのですが、こういうのは変えるのが本当に難しい。

私も、中国にいるとき、つい「ごめんなさい」とか、「済みません」を使ってしまうのです。すると友達からは「見外」という言葉で、非難ではないけれどもからかわれてしまう。最後には、友達同士ですから、しょうがないみたいな感じで「認めて」もらっていたのですが、そうではない場合、使わないようにしようとすると、こちらが非常に疲れてしまう。

これが、年若くして、中国に行ってしまうと、すぐに影響されて、今度は日本社会に馴染めなくなってしまう。

どちらにも適応できるというのはなかなか難しいことなのです。

学生達も、この学校を出た後、進学して、大学に行けば、後四年、専門学校であっても、後二年か三年は日本にいることになる。その上、ほとんどの学生は日本での就職を望んでいますから、まだまだ日本にいることになる。

日本の社会というか、日本の会社社会でそつなく生きていくためには、特にこの文末の表現というのは大切になります。

面倒がられても、しつこいと思われても、言い続けていかなければならないことなのでしょう。何事でもそうでしょうが、教える立場のものは、嫌われることを恐れていては何も出来ません。「嫌がるなら嫌がって見ろ、嫌うなら嫌って見ろ」くらいの肚づもりが肝要になってくるのです。教師という職業は、いわゆる、だれからも好かれたいという「いい人」には、きつい仕事なのかも知れません。

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