日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『藤棚』の写真からの偶感」。「『何でも見せる』上での心構え」。

2009-04-28 08:07:30 | 日本語の授業
 今朝も上天気です。一週間はこのお天気が続くそうですから、金曜日、横浜も、きっとすばらしいお天気で、私たちを迎えてくれることでしょう。

 さて、今年も、この頃になりますと、「あしかが(足利)フラワーパーク」の広告(見事な「藤棚」の写真)が、新聞に挟まれて、やって来ます。なんと言っても「足利」ですからね、学生達を連れて行くには、少し遠い(一日仕事になります)。しかし、この写真だけは、いつも彼らに見せています。本当に惚れ惚れするくらい見事な「藤棚」と「藤の老木の姿」です。

 こういう罪のない「写真」に限らず、学生達に紹介するのは、何でもいいのです。日本語を学ぼうと日本へやって来ている学生達には。
 私は、自分がいいと思ったら、何でも拘りなく、彼らに見せています。日本へ来て、日本語を学んでくれている人達です。彼らにとって、いったい何が、日本を理解していく上で役立つのか、実際のところ、私にも、わからないのです。

 勿論、日本と彼らの国との間の、いわゆる「歴史問題」もあります。彼らが、それぞれの国で受けてきた「教育の程度の差」もあります。彼ら自身の「資質」も関係してきますし、「各民族の文化や習慣の違い」も考慮せねばならぬでしょう。
 私が言っているのは、それらを、肚の底に、しっかりと入れた上での、「何でもいい」なのです。

 つまり、それが原因で、何か厄介なことが起こっても、「受けて立つ」くらいの「肚」を据えていなければ、軽々に紹介するのは、避けた方がいいと思うのです。そうした上での、「何でも紹介する」でなければならないと思うのです。「何でも見せてやる」でなければならないと思うのです。

 「人と人との関係」というのは、傍から見ているよりも、ずっと微妙なもので、それがきっかけで、恨まれたり罵られたりするのが怖かったら、何もしないほうがいいのです。所詮、外国人同士なのですから、自分と同じことを感じて(考えて)、ものを見てくれているとは思わぬ方がいいのです。

 ただ、このように腹を据えた上で、つきあっていきますと、驚くほど心の交流が出来ることがあります。

 そのためにも、私たちは、常に相反する二つの面を考えながら、仕事をしていかねばなりません。
一つは、互いが、異なった風土で生まれ、(自分たちとは)異なった文化・宗教の下で育てられたきた者であるということ。
もう一つは、「どのような事があろうと、同じ人間だ」と腹の底から思い合うということ、そして、それを行動で示すということ。

 これは、どちらが欠けてもいけません。片方だけでは、互いにこころよくつきあうことは出来ないのです。

 ただ、学校では、日本の習慣のほうに、寄り添ってもらいます。彼らは日本にいるのですから、この風土の中では、日本の習慣を守った方が暮らしやすいのです。勿論、常に彼らは、無理をしているのだということを忘れないようにはしていますが。

 それに、一言加えますと、こうできるのは、今、自分の手元にいる学生に対してだけです。私とても、自分の手を離れている学生には、手は出せません。今、彼らが、どういう気持ちで生きているのかを、もう察することができないのです。

 ここ(この学校)にいる間は、自分(教師)の出来ることをしていくが、ここを「(彼らが)卒業」したら、学んだことを生かしながら、それぞれの道を歩んでいってもらいたい。また、そうできるようにしておくのが、本来ならば、教師の仕事というものなのでしょう。

日々是好日
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