日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

私は貧しい人にお金をあげます。だから私はいい人です。…????

2018-06-15 08:15:21 | 日本語学校
曇り。

直に本格的な雨になるそうです。学生達はどうするかな。だいたい「突破」を決め込んでいる学生ですら、帰りには「傘がない。せんせ~い」と甘える輩もいるくらいなのですから。

もっとも、数年ほども前に、知り合いを入学させたいと来られた日本人女性が「寄贈」してくれた20本ほどの傘も、ものの2,3ヶ月も経たぬうちに全滅してしまったということもあり、(学生に)そう言われても、「皆、傘がない」としか言わないことにしています。

人の物という認識がないのか、単なる面倒(返却するのが)であったのか、それとも悪しき習慣である「貸して当然」という傲慢さからのものだったのかはわかりませんが。

私のもので、この数十年、ずっと存在し続けた傘(忘れても、なぜか戻って来たのです)も、「一度貸したが最後とはこのことか」という有り様。当時はまだ馴れていなかったので「濡れるのが気の毒」ということで、貸してしまったのです。それが、運悪く金曜日でした。月曜日に持って来ていない…で、催促する。翌日も、翌々日も持って来ない。「あまりしつこく言うのも申し訳ないか」と、普通(日本人同士の場合)は互いのことを考えて言わないのですが。でも、外国人だからもしやということもあろうと、次にきつく催促すると、友達に貸した…えっ、借り物でしょ。では、友達に返してもらえ。次は、友達がなくした、です。

と言うわけで、今ではよほどのことがない限り貸さないようにしています。濡れても、自分の責任。梅雨時に限らず、折り畳みの傘は常に持っておくように言ってありますし、何か言えば学校がやってくれるだろうと自分で考える習慣のない人が多すぎるというのも理由の一つです。

前に、新幹線の掃除の様子を、DVDで見せたことがありました。すごいと思ったらしいのですが、そこで一言。「乗客が汚しに汚していたら、これはできません。皆が気をつけて汚さないようにしているから、掃除の人も(もちろん、手順を考えたり、工夫はしているでしょうが)、こういう短時間での作業ができるのです。『仕事は相身互い。相手の人が楽になれるように(お互い様であるから)』が、できる国でなければ無理でしょう」

果たしてこれが判ったかどうか。

もう二十数年前になるでしょうが、当時、友人と中国国内を列車で移動していた時のこと。習慣でごみをビニール袋に入れ、掃除にきた車掌に渡すと、「ありがとう」。その後偶然に、車掌が窓から、他のごみと一緒に、そのごみ袋を捨てているのを発見して、ショックを受けたことがありました。何のためにごみを集めていたのか判らない…。無駄だったのか…です。
 
それで席に戻ってから、やって来た車掌にそれを訊きただすと、「線路で、そのごみを拾って生活している人がいる。もし、捨ててやらなかったら、彼等はどうやって生活するのだ」。これは日本人には考えられない「理屈」です。その時は、彼にどう言ってやったらいいか判らなくて、絶句したままで終わってしまったのですが、「少なくとも、こういう考え方は『社会主義を標榜する国』ではないな」と、思いました。

人が捨てたごみを拾って生活する。それを公然と認めている社会に、平等とか公平という観念は育たないだろうと感じたのです。

日本人も、今、「格差が広がっている」と声を上げていますが、それは格差がないのが当然という社会だから挙げている声であって(それが共通理解だからです)、それを当然とし、その上で成り立っている社会では、そんな声など上がりはしないでしょう。

それは、ここに来ている留学生にも感じられるものです。

自分の国にお金がない人がいる。貧しい人がいる。それは、皆、知っています。じゃあ、どうするかというと、「お金をあげます」と言う。

日本人だったら、「違うだろう」です。まず、だれでも同じ教育を受けられるような仕組みを作らなければならないだろうし、お金がない人にお金をやるのではなくて、仕事を準備するべきだと思うでしょう。働く場がないからお金がないのです。

しかしながら、彼等とて、留学させられるだけの金を身内が用意できていたとしても、国へ帰れば、仕事はないと言います。だから、日本人的な理屈は成り立たないのです。

初めの頃は、「『お金がない人にはお金をあげます』。その心は、『だから私はいい人です』という得意顔」が、虫ずが走るほど嫌いで、若いのにどうしてそんな上から目線ができるのだと思っていました。けれども、彼等は、ずっとそのような社会にいて、少しも「問題を感じていない」のです。お金のない人に現金を渡すことのできる人、すなわちいい人とだれもが認める。その「常識」の上で、成り立っている社会。それは人の尊厳を傷つけるものだなどとは、毛ほども思っていない社会。

そして、日本に来てもそれを少しも疑っていない人達。疑えないのでしょう。高校を出てすぐに来ていなければ、変われないのだろうなと思うことがたびたびあります。

もちろん、日本にも問題は多々あります。けれども彼等の抱えている問題ほど根深くはない、こういう一点に於いては。なにせ、彼等自身がそれを問題としていないのですから。

日々是好日
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 先週の金曜日、「鎌倉」へ行... | トップ | 7月から、新しいクラスで、臨... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語学校」カテゴリの最新記事