日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

また、進学を考えなければならない頃になりました。本当に大変です。

2018-07-17 09:11:35 | 日本語学校

晴れ

ここでも毎日が熱帯夜で、苦しい…ような気がします。暑い…。

だいたい、まだ7月というのに、なんて暑さなのでしょう。子供のときには30度超えで街は騒然としていたような気がするのですが、今では35度超えですからね。30度なんて目じゃない。

しかも、雨の降り方だって尋常じゃない。きっと雪の降り方もそうなるのでしょう。梅雨がないはずの北海道に梅雨前線が張り出して大雨なんてことが現実に起こっているのですから。

南国から来て、暑さに慣れているはずの学生達が、暑い、暑いと茹だっています。昔のように、夕方に、打ち水をし、蚊遣りを焚いて…なんている生活であったら、お日様が姿を消した後は、扇風機くらいで間に合ったのでしょうけれども。最近は、夜、部屋を冷やさないことには、眠れません。こうやって、人の体は退化していくのでしょうか。

さて、学校です。

寝る時にエアコンの温度を下げすぎて、風邪を引いた…ということだったので、冷房病の話をしたのですが、熱中症までは、話が至っていなかった…。

連日、熱中症で運ばれる人がいる…。このことも彼等にはよく判らないようです。体温よりも外気が高くなったら、そりゃあ、大変なことなのです。ただ、彼等のところでは、道は土のところが少なくないし、木々や草も多いだろうし…、昼の熱を吸収してくれるところが少なくないのでしょう。

日本のように、ビルの屋上や外壁を緑化しなければならないとか、熱をため込まないような素材の開発に勤しむとか、そういう事を考えずに済むのでしょう。一度発展してしまうと、そこに住んでいる人間は、もうそれを手放せなくなってしまうのです。夏涼しく、冬暖かく過ごせるエアコンを、「捨てられるか?」と訊かれれば、我慢大会でなし、多分というより絶対に無理でしょう。無理をすれば、すぐに死に至ってしまうほど、もう人の体は脆弱になってしまっている。

しかも、学生達のところでは、それぞれお国ごとの電気事情というものがあり、それほどエアコンは普及していないようですし、それに、必要ないのでしょう。

彼等は、日本の緑化事情や、街の温度を下げるための多くの開発事業のDVDを見せたり、そういう開発の文章を読んだとて、ピンとも何とも来ないのです。

動物実験の文章もそう、そういうことは関心外のものであり、好きとか嫌いとか、読みたいとか読みたくないとか、そういう段階のことではないのです。

試験の時、また授業の時でも、まず関心を持たせるのに苦労します。

西欧やアメリカ、そういう国から来ている人は、そういう文章は身近であるし、読むのにそれほど困らない。それに、来ている人は、だいたいが日本の文化、歴史、習慣などに関心があっる。ところが、そうではない国の人も多数存在しているのです。働きにではなく、一応勉強に来られるわけですから、母国での生活もそれほど逼迫しているわけではない。異国に送り出すだけの経済的な余裕は親にはある。

とはいえ、日本に遣ることが、まず豊かさへの足がかりと考えていう向きもなきにしもあらず、それどころか、多いのです、そちらの方が。だから、日本のことは、自動車くらいしか知らない。これも自国を走っているから…。あるいは日本の自動車の工場があるから…。

というわけで、2年目の進路を決める段階になりますと、大困り。「どうしよう。何を勉強しますか(日本語が少しできるようになったからといって帰る気はない)」。訊かれてもこちらが困る。「私は、あなたじゃない」。とにかく、入りやすい専門学校か、安い専門学校を探そうとする。

やりたいこと、学びたいことではないのです。もちろん、それがはっきりしている学生もいます。けれども、恐ろしいことに、そんな人に限って、簡単には入れると思っている。ハードルは高いのです。まず、日本語のレベル、そして経済的なこと。

いい学校、優秀な学校はそれなりにある程度の日本語のレベルを要求する。自分の日本語のレベルがそれを満たしていないというのが判らない。無理でしょうと言っても、どうにかなると思っている。…はっきり言えば、「どうにもなりません」。それに出席率。

日本人なら、あることを学びたいと思ったら、それなりに努力する。身の程、自分のレベルは判っていますから。言葉が判らなければ、何も学べないというのも判っている。

ところが、そうではないのです。漢字が読めない、意味が分からなくて、何が学べるのだろうと思うのですが、アルバイトで「培った」日本語で、十分だと思っている。

なにも「読む・書く」を重視しているわけではないのですが、彼等はあまりに「聞く・話す」の世界にいすぎるのです。しかも、いわゆる「話し言葉」の世界での「聞く・話す」なのです、それは。「書き言葉」での「聞く・話す」ではないのです。だから日常会話レベルで終わりなのに、それが判らない。「みんな(日本人は)、日本語が上手だと言います」で、しらっとしている。

こういう人達をどうしたらいいのでしょうねえ。国で、しっかりとそういう思想に馴らされてしまっている。「文章を読んで、文意を読み取って…」などができないのです。そういう訓練を高校生までにされていないのです。できるのは、こちらから見ても「頭がいい」と思える一握りの学生だけです。そういう学生は特に教育を必要としない、ほっといてもできるのです。それなのに、大多数の普通の学生達は、読み取れなくとも、全く意に介しません。それどころか、訊けば、勝手に答えます。判らなくとも、言わなくちゃと思っているのでしょう。

文意を問うたり、指示されているものを訊いたりすると、およそ、あり得ないような答えや、信じられないような答えを出してきます。それを訂正し、根気強く理由を説明し、また接続詞や文末表現などから答えを導き出せるようなやり方を教えていっても、なかなかできません。半年あまりで、3、4人がどうにかこうにかなるかならないかの程度なのです。

「N2」までは、時間と小器用さでどうにかなっても、「N1」は、無理でしょうね。蓄えがないのです、そこまでの。

日々是好日
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