日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「ネパールの有名人はブッダです」と、明るく言う人たち。

2018-02-27 08:48:23 | 日本語学校
曇り。

冬の間、ほぼ毎週と言っていいほど、電車の中から、富士山を見ていました。その富士山も、二月に入ってからは見えない日がありました。ということは、春になったのかな…。

冬は乾燥して、それが問題になることもあるのですが、その、空気が乾燥していると言うことはまた、ものがはっきり見えると言うことでもあり、まあ、一長一短というところでしょうか。冬の富士山は遠くから見ても、美しい。やはり富士山に似つかわしいのは女神ですね。山ですから雄々しいのでしょうけれども。

さて、学校です。

昨年から急に増えてきたネパールの学生たち。頼りなくて、時々、本当に気の毒になることがあります。「そんなんじゃ、この国であっても(もっとひどい国もありますから)大変だよ」と言いたくなってしまうのです。

叱られて、半べそになったり、それでもすぐに笑顔になったり…。「書く」「読む」ということさえ考えなければ、コツコツと勉強する必要性さえ、私が忘れていれば、本当に、素朴でいい人達だなあと感嘆して終わりになるのですが。

スリランカの学生にも、ベトナムの学生にもいいところはあります。ただスリランカの学生は扱いにくい。これは日本以上に島国根性が「発達」しているからでしょう。おまけに室町期から植民地であったということも関係しているのかもしれません。

自分たちの文化を誇っているかと思うと、無意識に従属しているような気がするのです、かつての宗主国に。そこに、より近づけた者が尊敬されるというおかしな廻り舞台で一人芝居をしているような、そんな感じなのです。もちろん、アメリカの庇護下に、今でもあるような日本人が言えることじゃないと思いもするのですが、それでも、日本人よりももっとひどい。そのことについて、まず問題意識なんてないでしょうし。いえ、それどころか、そこから離れている人の方が珍しいような気がする。まあ、これまでに知り得た数少ない人たちから感じただけの話ですが。

その点、ネパール人にはその臭みがない。自国の文化を誇りすぎるというのは、まあ、これは習慣だからしょうがないのでしょう。インド圏の学生全てに言えることですし。

以前、素朴な、ある中国人学生はもっとすごいことを言っていました。何でも「中国発」になっていて、ブッダまでそうでしたもの。「仏教発祥の地は中国だ」と真顔で言っていましたから。これはさすがに学生達から、「違う」と非難されましたけれども。

きっと、そのころネパール人学生がいたら、怒っていたでしょうね。何をおいても、「ネパールで有名な人はブッダです」と言いますもの。しかしながら、これも考えてみれば面白い。ベツレヘムの人が「ここで生まれた有名人はキリストです」と言うようなもの。日本人からして見れば、あれっと少し戸惑ってしまうのですが、彼等にしてみれば、そう言っても違和感がないのでしょう。そういう時間の流れの中に生きているのかもしれません。

彼等を見ていると、「勉強しろ」、「漢字を書け」。「その前段階の『ひらがな』さえできていないじゃないか」などと、文句を言う必要がないような気が、(文句を言いながらも)してしまうのです。そのたびに、「これじゃあ、いけない」と、気を取り直して、そういう気持ちを押し殺して、言っているのですが。

私などから見れば、彼等は私にはない美点を数々持っている。これは、得ようとして得られるものではなく、そういう風土で、そういう人たちに囲まれて育ってきたから得られたとしか考えられないのです。

つまり、これが、困るのです。彼等がそういう土地に、今でもいて、そういう人の中に包まれていれば、何も言うことはないのだけれども、ここ、日本に来てしまっている。来たときは、「わあい、来られた。うれしいな」くらいは思ったかもしれませんが、すぐに現実が突きつけられる。

日本に来るための資金は家族が用意してくれても、日本に来てからの生活は自分の力でやっていかなければならない。勉強と両立できるような器用な人たちではないし、おそらくそういう根性も希薄でしょう。…そんな気がする。「頑張れ」が、少し可哀想で言えないのです。無理かなあ…。

たくさんの法律があって、それを守らないと罰せられる。彼等が言うルールとは、だれでもがすぐに判るようなルールであって、私たちが言うところの法律ではないような気がするのです。法律という言葉は簡単にルールと置き換えて彼等には言っていますけれども。

「どうしてこれがいけないの。私たちは悪いことはしていないし、だれにも迷惑はかけていない」

時々、日本における法の存在について考え込んでしまうことがあります。

書面で書かれたような法がなく、だれでもすぐに判るようなものであって、しかもそれを監視する人も罰則もなく、皆が、だれも傷つけないように暮らしていけたらいいのにと。

日々是好日
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする