日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

学生達の国へ行ったからといって、何かがわかる…というものでもないのですが…。

2017-11-07 08:28:37 | 日本語学校
晴れ。

空には、うっすらと白い月がかかっています。

だいたい、変ですよね。もう11月というのに、こんなお天気だなんで。

朝晩は多少冷えるにしても、午後の授業の時など、「暑い」という言葉が、学生の間から出てくるのですから。もっとも、そう言う学生達の服装を見てみますと、ダウンを着込んでいる者あり、半袖のTシャツの者あり…で、一体、どちらに揃えたらいいのか、全くわかりません。

彼ら(一年生)の習慣では、寒かったら、「半袖にダウンを着こむ」…で、中間がないのです。寒がり屋さんは「暑い、暑い」を連発しながらも、ダウンを脱いでしまうと…「寒い」ということになりかねませんから、いくら彼らに「暑い」と言われても、せいぜい窓を開けることくらいしか「協力」できません。しかも、窓を開けるにしても、半袖の人がそれによって害を被ってはなりませんから、小出しにして…開けていきます。

「着重ねを覚えてね」と言ってはみるものの、ちょっと難しいのかもしれません(いくら寒くても「靴下を穿くのが嫌」というのと同じ理由からなのでしょう。ゴワゴワして気持ちが悪いらしいのです)。

もっとも、日本には、昔から「十二単」をその頂点とする、季節毎の「色の組み合わせ(の美)」というものがあり、組み合わせには、結構うるさい人もいるので、ちょっと面倒。単に色の調和がとれていればいいというものでもない…らしいのです。日本人の習慣による「色の組み合わせ」などと言われてしまいますと…、日本人だって、途中で投げ出すしかありませんもの。

ただ、こちらが簡単に「それは、『秋の色』だね。きれいだね」などと言ってしまいますと、「いったい、それは何事?」などと、逆に問い詰められかねません。こちらはついつい習慣で言ってしまうだけのことなのですが、彼らにしてみれば、「そんなの、ちょっと変」というところなのでしょう。

だいたい、なぜそう感じてしまうのか、適当にこじつけて説明してみせることはできるものの、本当のところはどうなのか、私だとてわかりませんもの。もしかしたら、「秋はこんな感じ、こんな色」と、遺伝子に組み込まれているのかもしれません。それぞれの季節毎に、そう感じさせる色があり、そのときに、そういう色でなかったら、違和感を覚えてしまうのです。本当のところ、ただそれだけのことにすぎぬのです、これも、考えてみれば、面白い。

色彩学というものがあります。数十年前に流行って、随分本もでていたのですが、今はどうかしらん。その中に、各民族毎の色の感じ方、色数の違いなどを基に、心理学と関連させて研究していくものがありました。わりと面白くて、ちょっと嵌まったこともあったのですが。。

とはいえ、こうグローバル化が進んでしまいますと、いったいどれが我々の「色」であり、どれが「外来」のものであるのかなんて、わからなくなっています。

ただ、その地の自然は存在していますから、とどのつまりは、その地の河川草木、大地の色、その地での空の色が、その地に住んでいる者たちの「原風景の色」というか、「根幹の色」なのでしょう。同じ「空の青」であっても、砂漠地帯の空の「青」と、水蒸気の多い、水を含んだような日本の空の「青」とは違いますもの。それから導き出される感性というのも、違って当然…なのでしょう。

学生達を相手にしていますと、この人達が生まれ育った大地を見ずして、なにも語れないなと思うことが、少なからずあります。もちろん、「その地へ行った、見た」からといって、その地の人たちへの理解が深まるかというと、そんな単純なものではないのですが。

人は、その地によって生まれ、育まれているのだというのが、何となくわかる…ような気がする。ただ、それだけのことかもしれません。

日々是好日
コメント
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