日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「昨日の雨と寒さ」。「キンモクセイ」。「新入生」。

2011-10-06 08:44:02 | 日本語の授業
 昨日は一日中、雨でした。朝方は小雨程度でしたが、それが時が経つにつれ、だんだん雨粒が大きくなり、重くなり、帰る頃には、既に、本格的な雨になっていました。

 一雨ごとに寒くなるとはよくいわれることですが、昨日もその通りで、朝から気温が少しも上がりませんでした。昼日中でも、15度程度で、天気予報によると、十一月中旬頃の気温だとか。寒かったはずです。というわけで、とうとう、今年初めての暖房をいれてしまいました。

 学生達は学校の中でも、上着を離そうとはしません。外と同じ恰好をしていても、動かないので、よけい寒さを感じるのでしょう。暖房を入れる前、「先生、腰の辺りがスースーする」とか、「背中が寒い」とか言っていましたから。ちょうど学生たちの後ろがドアになっているので、そこから風がもれてきていたようです。。

 ところが、「暖房を入れましょうか」と言いますと、大丈夫と言います。それでも、風邪を引かれると大変ですので、恐る恐るといった感じで入れてみました。すると、途端に(学生たちの)顔が明るくなります。

 「寒さ」と「飢え」は、人を萎縮させます。身体が縮こまってしまいますと、頭を使うどころではありませんし、心も解放されていかないのです。授業は、伸びやかに、自由な心で受けられるように、してやらなければいけません。

 そうすれば質問も出やすいし、授業中の会話も弾みます。朝のクラスの中には、時々朝御飯抜きでやって来る学生もいるようですから、よけいに寒さはこたえるのでしょう。

 「朝御飯を食べる」と、「五分か十分、長く寝る」を秤に掛けりゃ…さて、どちらが重くなるのでしょう。

 さあ、今日です。
早朝は霧が出ていました。雨こそ降ってはいなかったものの、遠くのビルが霞んで見えました。霧は久しぶりだと、しばらくそういう光景に見入っていましたが、やはり山の緑を霞が被うのとは違います。ふっと寂しくなって見るのをやめてしまいました。
 
 学生たちはと言いますと、勉強やアルバイトなどで、道草を食ったり、よそ見などをしたりする時間や心の余裕がないだろうと思いきや、一人、内モンゴルから来た学生が花の名を訪ねにやってきました。

「黄色い小さい花です。とてもいい匂いです。名前は何ですか。とても大きな木についています」

 今頃の花と言えば、「キンモクセイ(金木犀)」くらいでしょうか。ただ、この、中国名「桂花」は、中国のどこにでもあり、まず知らない人はいないだろうと思われましたので、いったいどの花のことを聞いているのかしらんと、一瞬、戸惑っていますと、そばから別の教員が「『キンモクセイ』じゃない?」と言ってくれました。それで上の自習室へ連れて行き、植物図鑑を開いて見せますと「そう、そう、この花」と嬉しそうに言います。

 それで、改めて、「初めて見たのか」と尋ねますと、中国の先生の家にあったのだが、小さな鉢植えであったと言います。この花は、私の故郷の、九州の家にもあって、植えた頃は一㍍くらいだったでしょうか、それが今では二階の部屋を覗くほどになっています。この花は、日本では、庭木として好まれ、よく植えられているのですが、放っておくとどんどん大きくなっていきます。そんなわけで、またまた、私の頭の中では、また、「キンモクセイ」と「鉢植えの小さな木」が一つになりません。

 内モンゴルでは「どこにでもある」という樹ではないのでしょう。ちなみに、午後のクラスの中国南方から来た学生に聞くと「桂花のこと? うん、どこにでもある。」と言っていましたから。

 さて、新入生のことです。
昨日、早朝の便で、ベトナムから二名の学生がやってきました。かわいそうに、着いた時には、ザァーザァー降りの真っ最中。それでも、一応荷物を置いて、食事を済ませてから、午後のクラスに合流してもらいます。男子学生はいかにも疲れたといった様子でしたが、女子学生は、そんな様子も見せず、あっちを見、こっちを見しています。

 ただ、練習中に、声があまり出ません。「大きな声を出せ」は、しばらく言い続けなければならないでしょう。特に、ベトナム人学生には、「発音」という難敵がいます。この関門を越せずに、諦めてしまうと、日本では次に行けないのです。「発音」が悪い学生はたいてい、(日本語の)音が聞き取れていないのです。音の区別がつかないので、発音できないのです。これには時間がかかります。一朝一夕にできることではないのです。

 ですから、まず「音の区別」ができるようになることが大切なのです。「くぐもった声」や、「小さな声」で練習したりしていますと、何のための「『初級』練習」か判らなくなってしまいます。

 七月や四月に来た学生の中にも、ちょっとこちらが油断していますと、途端に声を出すのを止めてしまう学生がいます。本当はこの練習の意味をよく理解させ、納得させてからさせる方がいいのですが、何せ彼我の間に共通言語がないのです。それで、とにかく、最初は、力尽くしで練習をさせるということになってしまいます。

 最初は如何に嫌われようとも、こちらが「いいのだ、これが一番いいのだ」という練習させるしかないのです。そうしているうちに、少しずつ言葉が身についていくでしょうし、そうすれば、日本語で話もできるようになるでしょう。 

日々是好日
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