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『危機対応と出口への模索』とストーンヘンジ

2020年10月26日 | O60→70(オーバー70歳)
10月3日の朝読み終えたのは、斉藤美彦・高橋亘共著『危機対応と出口への模索/イングランド銀行の戦略』(晃様書房、2020年3月10日発行)でした。



専門用語など、よく分からない部分が多かったので、もう一度読んでみようと思います。



先日、テレビにイギリスのストーンヘンジ近景が映し出されているのを見て、スマホで撮りました。コロナ禍も少し落ち着いて、ストーンヘンジへの観光客が戻りつつあるとのことです。若い頃、著者の斉藤さんに連れて行ってもらったことを思い出しました。
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サモサさんでカレーセット!

2020年10月26日 | 気ままな横浜ライフ
先日の夕飯は、近所のインド・ネパール料理、タイ料理のサモサさんでした。お酒は横浜で飲んでいたから、私はソフトドリンクのプレーンラッシー(290円)を初めていただきました。



それから、ここのチーズナンは分厚く、チーズたっぷりのピザみたいで、若干甘めですがとても美味しかったです。



カレーセットの二つのカレー(バターチキンとグリーンカレー)で、プレーンのナンも美味しくいただきました。
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『江分利満氏の優雅で華麗な生活』のたばこ!

2020年10月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」

山口瞳さん著作の煙草(たばこ)に関する抜き書きです。


13ページ】

彼は、朝早く起きたときは、庭へ出て雑草を抜く。日曜日の午前中はこれで潰す。芝の間のどんな小さな雑草をも見逃さない。煙草のすいがら、マッチの軸、小石、粘土のかたまり、枯葉を除く。やや病的に近いが、もともと庭が狭いのだから微視的になるのも致し方がない。



3132ページ】

裸で会社へ行くわけにはいかない。だから、まず、朝起きたら洋服を着ることだ。次に携帯品だ。携帯品はどの順で重要であろうか。財布、つまり金だ。定期券。手帳。ハンカチ。ハナカミ。タバコとマッチ。これでよい。次にWCだ、折角早く出ても途中で現象が起こったら九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)*。次に洗面。新聞。食事。これでよい。

*高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。

 

49ページ】

靴は2足、-----2番手の黒靴はまあまあとして、残る1足がたいへんなシロモノで、もっぱら晴天用である。左足の裏に穴があいていて靴下の地模様がすけて見える。江分利は、その靴で捨てた煙草を踏み消そうとして、思わずキャッと飛びあがったことがある。

 

52ページ】

江分利はいつも賞与を貰ったらウールの無地の靴下を23足と、英国製罐入煙草をと思って果たさない。

 

65ページ】

シャランシャランと庄助の部屋で鈴が鳴る。-----ピースの空罐の内側に不要になった鍵をぶらさげ、屋根に錐の柄を短く切ってとりつけ、鈴の形にしたもので、夏子の工夫で造ったものだ。それはいつも庄助の枕頭に置いてあり、シャランシャランが鳴ると、夏子は思いきりよく起きて、庄助の喘息の手当てをする。

 

145146ページ】

江分利は酒乱を愛している。-----酒席でトラブルが起きる。-----翌日、酒乱の上役が詫びに来たりする。「どうもあの男にも困ったもので-----」菓子折かピース10コ入りを置いていく。

 

165ページ】

乱世であった。-----近頃のホステスとは、お嬢様である。お嬢様ならお嬢様らしく、客の煙草に火を点けたりしない方がいい。近頃のホステスは煙草に火を点けることの出来る「人間貸植木」である。自分の膝小僧ばかり気にしている。自分の衣装、自分の化粧にしか関心がない。客に遊ばせて貰おうと思っている。面白い話をしてくれる客がいい客なのだそうである。美しく座っているだけなら、貸植木と同じではないか。

 

169ページ】

当時は、みんな酒の飲み方を知らなかった。みんな、よく吐いた。年配の人も酒の飲み方のカンを取り戻していなかった。戦時中の配給制度のために酒と煙草を覚えたという人が、案外多い。楽しみがなく所在無さのあまり、ついつい飲むようになったという人が多かった。 

 

259ページ】

子供が不発の焼夷弾をいたずらして、皆がのぞきこんだときに爆発したのだという。-----このような事件は戦後も昭和22年頃まで頻発したように思う。これは戦争や空襲よりもずっと怖い。江分利はガソリンとか火薬とかガスとかの爆発物を極端におそれるようになった。道を歩いていて、ひょいと煙草を捨てるというような動作が出来なくなった。なにか爆発物にそこにありはしないか、といつも考えた。臆病は歳とともに募るようである。

 

281ページ】

直木三十五は甚だしく貧乏していて、借金取りに追いまわされているが、男が一戸を構えた以上はどんなことがあっても家をたたんだり、夜逃げしたりしてはいけない、というふうであった。直木三十五は

長火鉢の前に座って長煙管でスパスパ刻み煙草を吸っていたという。

 

296ページ】

(前ページの中段から「妻」の概念をこれでもかと並べ)。それ以外の妻は長火鉢の銅壺をみがいているか、煙草の空箱でドビン敷きを作っているか、靴下に電球をいれて穴をかがっているか、納屋で泣いているか、のどれかだった。

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赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』

2020年10月25日 | O60→70(オーバー70歳)
最近、深夜読書が続いています。今回は、赤瀬川原平さんの『千利休 無言の前衛』(岩波新書104。1990年1月22日発行)でした。著者は 、1937年横浜市中区の本牧で生まれ、6年前の2014年10月26日に亡くなっています。

私が著者を知ったのは、1970年当時に、福島県塙町の田舎で長兄が買ってくる『朝日ジャーナル』の「櫻画報」だった記憶があります。千円札事件、尾辻克彦名での芥川賞受賞、突飛と思われる種々の団体創設、映画の脚本など、多彩な活躍も知られているところです。



本書33〜44ページに、路上観察学会誕生の経緯が書かれており、この新しい発想は現在のテレ朝番組「ナニコレ珍百景」や「ポツンと一軒家」に通底していると思われます。

私は、よそ見をしながら散歩しますが、それだって赤瀬川原平さんたちの影響を受けてのことかも知れませんね。千利休さんは信長〜秀吉の茶頭として強い影響力を発揮し、秀吉から切腹を命ぜられ世を去ります。

赤瀬川原平さんが、茶道の成り立ちを学んでいくうちに、自身が実践してきた前衛芸術との接点が見えてきたおとや、利休の信念と沈黙について独特の解明がなされ、私も少し分かった気がしました。著者が脚本を書いた映画も見てみたいですが、まずは原作の野上弥生子著『秀吉と利休』を読みたいと思いました。
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山口瞳さんの直木賞作品について

2020年10月24日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」

山口瞳著『江分利満氏の優雅で華麗な生活/ベストセレクション』(小学館、2017312日発行)

 



本書には、たばこ(煙草、タバコ)が登場する記述が11か所ありましたので、次回、ページ順にご紹介させていただきます。たばこが贈答品やお詫びの品、寸志として、日常的に用いられていたことは、しっかりと記憶に残っています。私は父がたばこを止めるまで、「父の日」には衣服などと一緒に、ハイライト1カートンを贈っていました。山口瞳さんが愛する酒乱、かつては身近にいましたね。ホステスの話も笑ってしまいました。

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東洋大学校友会神奈川県支部ブログ担当者会議

2020年10月24日 | 東洋大学校友会(非公式)
9月19日のちょい飲みは、東洋大学校友会神奈川県支部のIT、ブログ担当者会議を終えたあと、午後3時ちょい過ぎから、横浜駅西口の「なか一」さんでした。



私はサッポロ生ビールを飲みながら、枝豆、冷奴、お通し、ホッケの塩焼き、串揚げ、焼き鳥盛り合わせなどを美味しくいただきました。

ちなみに、会議では私の発案で、LINEのビデオ通話を使い、オンライン会議のデモンストレーションをさせていただきました。zoomでなくとも、とにかく体験することが一番なので、やって良かったです。
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刺青クリスチャンとタバコについて〈英訳付〉

2020年10月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
元ヤクザ伝導集団ミッション・バラバ著『刺青クリスチャン』(早稲田出版、1998年5月19日発行)では、以下の4人(高原芳郎さん、吉田芳幸さん、中島哲夫さん、真島創一さん)の文中にタバコ(灰皿等を含む)が記述されていましたので、ご紹介させていただきます。

In the book 'Shisei Christian' by former yakuza conduction group Mission Baraba (Waseda Publishing, 19 May 1998), cigarettes (including ashtrays, etc.) were described in the text by the following four people (Yoshiro Takahara, Yoshiyuki Yoshida, Tetsuo Nakajima and Soichi Majima).

【60ページ】高原芳郎さん
父は酒もタバコもやりませんでしたが、その分をおぎなうかのように、女性関係が派手な人でした。
 
【62ページ】高原芳郎さん
(両親に捨てられた)こんな悲惨に追い打ちをかけたのは、突然の兄の自殺でした。当時兄は海軍の予科練に志願し、その直後国鉄に飛び込んだのでした。そして兄の残したタバコのピースの箱には、「天皇陛下のためなら命をも捨つる。人のためならをも捨つる」と書き残してありました。
 
【64ページ】高原芳郎さん
ヤクザの世界も下働きは厳しいものです。朝、便所そうじからふきそうじ、灰皿を洗ってきれいに変え、賭場に白い布をはって札に数字を書いてお客さんを待つ生活が始まりました。
 
【67ページ】高原芳郎さん
新婚時代にこんなこともありました。私が当時つき合っていた女性が、私の留守に家を訪ねてきたのです。妻が家に上げて、しばらくタバコを吸いながら私を待ってようですが、その2~3日後に署名のない手紙がきて、妻があけてみると、クシャクシャになった私の写真が入っていたらしいです。
 
【137ページ】吉田芳幸さん
当時のヤクザは今のヤクザと違って、部屋住みの時でも自分でお金を稼がなくてはなりませんでした。親分も兄貴分も小遣いなどくれません。兄貴分が「タバコ買ってこい」といっても、その兄貴分は自分の吸うタバコを買うお金さえくれません。買ってこいといわれた私は、お金が無ければタバコを盗むか、金を盗んでタバコを買うか、どんな事をしてもタバコを手に入れて兄貴分の所に持っていかなければならない、そんな社会だったのです。
 
【174ページ】中島哲夫さん
女房は私の強引な申し出に半ば呆れながら結婚を承知してくれました。″日曜日には必ず教会に行くおこと″という条件を付けて。彼女、26歳初婚。私37歳3度目。クリスチャン・ヤクザの誕生です。
結婚後の私は、月曜日から金曜日まではそれまで通り、しっかりヤクザの務めを果たしました。そして、土曜日にサウナに行き、アルコール、煙草、夜のクラブの脂粉の匂いを汗と共に体から吹き出させ、スッキリさせます。そのようにスッキリしたところで、日曜日には教会に行き、神の前に頭を垂れ、アーメン、と唱える生活を始めました。
 
【189ページ】中島哲夫さん
薬のため精神に異常をきたし、人を殺すとまで思い詰め、神の許しで生まれ変わる事のできた私。ヤクザをやめ、薬もやめ、女遊びもやめ、煙草もやめ、学校経営に専念する私に、それでもまだ一つだけやめられない悪癖がありました。
夜の赤坂で酒を飲む事です。
 
【196ページ】真島創一さん
中学に入って、「まあ、進学のときに有利だろう」といった軽い動機で生徒会長になりました。しかし、なったからといって急におとなしくなるわけではなく、″学校の校則を全部破る生徒会長″として、結構人気者だったのですから、ヘンな話です。
とにかく、規則規則と型にはめられるのが大嫌いですから、制服違反をし、校内でガムをかみ菓子を食べ、タバコも吸うという大変な破天荒ぶりでした。
 
【214ページ】真島創一さん
酒もタバコもやらずひたすら真面目な父に、私は反発し続けました。「遊びのひとつも知らないで、つまらない人だ」と思い続けてきたのです。その父とも、千葉のキャンプのときに心を語り合い、和解できました。父は、私の祖父が朝から酒を飲むような飲んべえだったのを見て、その反動で真面目な人間になったらしいです。

[Page 60] Yoshiro Takahara.
My father did not drink or smoke, but as if to compensate for this, he had a flamboyant relationship with women. 

[page 61~62] Yoshiro Takahara.
(What added to this misery was the sudden suicide of my elder brother. At the time, my brother had volunteered for the Navy's Preliminary Training Course, and immediately afterwards he jumped into the Japan National Railways. On the box of cigarette pieces he left behind, he wrote: "I would give up my life for the sake of the Emperor. I would give up my life for the sake of others".
 
[page 64] Yoshiro Takahara.
The yakuza world is also a harsh one for menial jobs. In the mornings, they cleaned the toilets, wiped the floor, washed and cleaned the ashtrays, covered the betting hall with white cloth, wrote numbers on the notes and waited for the customers to arrive.
 
[page 67] Yoshiro Takahara.
This happened to me when I was a newlywed. A woman I was dating at the time visited my house while I was away. Two or three days later, I received an unsigned letter, and when she opened it, she found a crumpled photograph of me.
 
[page 137] Yoshiyuki Yoshida.
Unlike today's yakuza, the yakuza of those days had to earn their own money, even when living in a room. Neither the boss nor the older brothers would give you pocket money. Even if the older brother asked me to buy cigarettes, he would not even give me money to buy the cigarettes I smoked. If I was told to buy cigarettes, I had to steal cigarettes if I didn't have money, or steal money to buy cigarettes, or do whatever I had to do to get cigarettes and bring them to my elder brother.
 
[Page 174] Tetsuo Nakajima.
My wife agreed to marry me, half-amused by my aggressive offer. She agreed to marry me on the condition that I would always go to church on Sundays. She was 26 years old and married for the first time. I am 37 and this is my third. A Christian gangster was born.
After our marriage, I did my yakuza duties from Monday to Friday as I had done before. Then, on Saturdays, I would go to the sauna and let the smell of alcohol, cigarettes and nightclub grease blow out of my body along with the sweat to refresh me. When I was so refreshed, I went to church on Sundays and began a life of hanging my head before God and saying Amen.
 
[page 189] Tetsuo Nakajima.
I was mentally deranged because of the drugs, and I even thought I was going to kill people, but with God's permission I was able to be born again. I quit the yakuza, stopped taking drugs, stopped playing with women, stopped smoking and concentrated on running my school, but I still had one vice that I could not stop.
Drinking alcohol at night in Akasaka.
 
[page 196] Soichi Majima.
When I entered junior high school, I became the student council president with a light motivation: 'Well, it will be advantageous when I go on to higher education'. However, just because I became president didn't mean that I suddenly became quiet, and I was quite popular as the 'student president who breaks all the school rules', which is a strange story.
Anyway, he hated rules and regulations, so he violated the school uniform, chewed gum, ate sweets and smoked cigarettes on campus.
 
[Page 214] Soichi Majima.
I was constantly rebelling against my father, who was a serious man and did not drink or smoke. I always thought he was a boring person who didn't know how to have fun. I was able to reconcile with my father after we had a heart-to-heart talk at the camp in Chiba. My father saw that my grandfather was a drunkard who drank alcohol in the mornings, and this apparently made him a more serious person.



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司馬遼太郎著『ある運命について』〈英訳付〉

2020年10月23日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
先日、「菜の花とマイルドセブン」をこよなく愛した司馬遼太郎著『ある運命について』(中公文庫、1987年6月10日発行)を読み終えました。以下、たばこ関連の記述を抜き書きしてみました。

The other day, I finished reading "About a Certain Destiny" (Chuko Bunko, published June 10, 1987) by Ryotaro Shiba, who loved Bosa "Rape Blossoms and Mild Seven" very much.
The following is an excerpt from the tobacco related description.

旅順港で命を落とし、その後は軍神として教科書にも載った広瀬武夫氏の人柄が紹介されています。
【28ページ】
武夫事ハ依然トシテ在留邦人中ニハ強壮ト健啖ヲ以テ第一ニ推サレ、日頃ノ嗜ニ於テモ依然トシテ異彩ヲ放チ、酒ト煙草ナドノ嗜好モ、弄花ナドノ欲モ全ク起ラズ。
----当時、ロシア貴族の生活には、ばくちと酒は欠かせぬものとされていた。
広瀬は下戸で、煙草すらすわなかった。

中沖一(まこと)氏が、肺結核で療養していた湯本館に、藤原恒夫氏を訪ねた時の様子が書かれています。(出征を控えていた中沖さんが、藤原さんの病室で2、3日を過ごしていた時の様子です)
【57ページ】
このころの中沖さんは極端に無口だったらしく、終日、だまって病室に寝そべり、煙草を唇のはしにくわえて、本や雑誌を読んでいた、----。

最後は、歌人で女子大学教授であったA氏の記述からです。
【352ページ】
かれの死後、短詩型の評論の長老ともいうべき評論家が、このひとの歌人としての存在にうとく、死後、認識をあらためた、という旨を私にいってくださったことがあるが、この一事でも、かれが世俗での遊泳をする人ではなかったことを証している。
このひとは、酒もたばこも飲まなかった。子もなく、夫人とただふたりきりで、寄りそうようにくらしていた。

The personality of Takeo Hirose, who lost his life in Port Arthur and subsequently became a textbook military deity, is introduced.

[page 28]
Takeo was still the most popular among the Japanese living in Japan for his strength and courage, and his daily tastes were still unique, with no taste for alcohol or tobacco, and no desire to play with flowers.
At the time of the war, tobacco and alcohol were considered indispensable to the life of the Russian aristocracy.
Hirose was a retarded person and did not even smoke.

Makoto Nakaoki describes how he visited Tsuneo Fujiwara at Yumotokan, where he was recuperating from pulmonary tuberculosis. (This is when Mr. Nakaoki, who was preparing to go to war, spent a couple of days in Mr. Fujiwara's hospital room.)

[Page 57]
It seems that Mr. Nakaoki was extremely quiet at this time, and spent the whole day lying quietly in his hospital room, reading books and magazines with a cigarette in the corner of his lips, ----.

The last is from the description of Ms. A., a poet and professor at a women's university.

[page 352]
After his death, an elder critic of the short poem criticism once told me that he was well aware of this poet's existence as a poet and that he had changed his perception of him after his death.
He neither drank alcohol nor smoked cigarettes. He had no children and lived alone with his wife as if they were close to each other.




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敗者復活の物語『刺青クリスチャン』

2020年10月22日 | O60→70(オーバー70歳)
深夜の読書は、元ヤクザ伝導集団ミッション・バラバ著『刺青クリスチャン』(早稲田出版、1998年5月19日発行)でした。少し宗教色の強いことは気になりましたが、敗者復活の物語に感じ入りました。



表紙を開くと、2000.4.9付で著者のサインがありました。くわえて、2002年12月21日の朝日新聞12面「キリスト様が親分です」という記事が挟まれていました。著者はアメリカ大統領の朝餐会・昼餐会にも招かれ、スピーチもしています。
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田町駅西口の再開発が進行中!〈英訳付〉

2020年10月22日 | 三田だより
先日は、OB会のお手伝いをする日でした。昼食後、久しぶりにJR田町駅西口(芝浦口)を散歩してみました。

駅から1階に降りることなく、真新しい高層ビル群と通路でつながっていました。その途中、モノレールが間近に走行していました。

The other day was a day to help out at an alumni meeting. After lunch, I took a walk around the west exit (Shibaura exit) of JR Tamachi station for the first time in a while.

Without going down to the ground floor from the station, I was connected to a group of brand new skyscrapers by a passageway. On the way there, the monorail was running close by.

ずいぶんと景色が変わり、JR線路下をくぐって旧・芝浜から大通りに出ました。三菱自動車本社ビルの一角が更地となっていました。

The scenery had changed considerably, and we passed under the JR line and came out from the old Shibahama to the main street. A corner of the Mitsubishi Motors headquarters building had been cleared.

西郷・勝両雄会見の碑は保管中とのことで、再開発が完成したら戻されるそうです。大きな地上29階地下2階の高層ビルができたら、さらに景色が変わるでしょうね。

The monument to the meeting between Saigou and Katsu is in storage and will be returned when the redevelopment is completed. The view will change even more when a large 29-story high-rise building with two basement levels is built.



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