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「宮沢賢治」でございます!(その11)

2016年07月28日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「飢餓陣営」
【275ページ】
「もう8時なのにどうしたのだろう
バナナン大将はまだ来ていない。
もう8時なのにどうしたのだろう
ンバナン大将は帰らない。」
(銅鑼)
立てるもの合唱(きれぎれに)
「いくさで死ぬならあきらめもするが
いまごろ飢えて死にたくはない
ああただひときれこの世のなごりに
バナナかなにかを 食いたいな。」
(共に倒る) (銅鑼)

【280ページ】
特務曹長「あまり光って眼がくらむようであります。」
大将「そうじゃ。それは支那戦のニコチン戦役にもらったのじゃ。」
特務曹長「立派であります。」
大将「それはそうじゃろう」(兵卒二これを嚥下す。)

[ken] 第二次世界大戦で、1977年に厚生省があげた数字では、1937年7月以来の日本の戦没者は、軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、 内地での戦災死亡者約50万人、合わせて約310万人とされています。また、「日本軍人の戦没者230万人の内訳は、戦死よりもはるかに病死が多い。そのうちの140万人前後が戦病死者、すなわち、そのほとんどが餓死者」という推計もあります。275ページの「いくさで死ぬならあきらめもするが いまごろ飢えて死にたくはない」というのは、上記の推計からも悲しい叫びとして響いてきますね。食べるものがないので、バナナン大将の勲章まで食べてしまうなんて、敗戦間近の戦地を舞台に、宮沢賢治さんはユーモアを忘れず、「ニコチン戦役」という架空の戦争まで登場させ、思わず笑ってしまいました。(つづく)
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街ハトは上品過ぎる!

2016年07月28日 | O60→70(オーバー70歳)
▼7月25日のお昼休み、JR線路沿いの公園でお弁当を食べていたら、ハトが近寄ってきたので、地面のハトにはごはん粒をあげ、肩口の低い支柱に止まっているハトには、直接指先でくちばしに卵焼きの欠片を入れてあげました。
▼しかし、くわえた卵焼きをうまくの吞みこめず、地面に落としてしまいました。わが家のハムスターに比べると、くわえたら決して離さないという根性が、東京都港区内の街ハトには皆無でした。
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海水に足を浸してみました!

2016年07月27日 | O60→70(オーバー70歳)
海辺をビーチサンダルで歩き、海水に足を浸してみました。「あ〜〜っ、この感触だ!」と体が喜んでいるようでした。祝日ということもあり、すごい人出でした。職場の仲間たちに声をかけてもらい、そんなことでもない限り、由比ヶ浜に行くことはなかったのですから、これまた「誘われるうちが花」ということですね。
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「宮沢賢治」でございます!(その10)

2016年07月27日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「オッペルと象」②
【160~161ページ】
「おい、お前は時計は要らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オッペルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめてこう訊いた。
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。
「まあ持ってみろ、いいもんだ。」こう言いながらオッペルは、ブリキでこさえた大きな時計を、象の首からぶら下げた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「鎖もなくちゃだめだろう。」オッペルときたら、百キロもある鎖をさ、その前足にくっつけた。

【262~263ページ】
「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは大好きなんだ」象はわらってこう言った。
オッペルは少しぎょっとして、パイプを手からかぶなく落としそうにしたがもうあのときは、象がいかにも愉快なふうで、ゆっくりあるきだしたので、また安心してパイプをくわえ、小さな咳を1つして、百姓どもの仕事の方を見に行った。
そのひるすぎの半日に、象は900把たきぎを運び、目を細くしてよろこんだ。
晩方象は小屋に居て、8把の藁をたべながら、西の4日の月を見て
「ああ、せいせいした。サンタマリア」とこうひとりごとをしたそうだ。

[ken] オッペルは本心を悟られないように、働き者の象に次々と労働を命じ、逃亡しないようにブリキで作った「時計」をあげると言って、100キロもある鎖を足枷にして拘束します。内心は恐々としがらも、たえずパイプを手に度胸と威厳を示し、象もちろん百姓たちを管理・監督しているのです。一方の象は、都合のいいように使われるとも知らず、ただただ労働の達成感に満足し、サンタマリアに感謝さえするのでした。仕事で汗をかいて、ささやかな報酬(食事)に感謝するという一日が、現代においては何と懐かしく感じられることでしょう。それが、「体制を無批判に受け入れ忍従する思想に甘んじる」といった批判があろうとも、牧歌的な毎日にあこがれる自分を否定できません。(つづく)
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「宮沢賢治」でございます!(その9)

2016年07月26日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「オッペルと象」①
【256~257ページ】
そのうすぐらい仕事場を、オッペルは、大きな琥珀のパイプをくわえ、吸殻を藁に落とさないよう、眼を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往(い)ったり来たりする。

【258~259ページ】
百姓どもはぎくっとし、オッペルもすこしぎょっとして、大きな琥珀のパイプから、ふっとけむりをはきだした。それでもやっぱりしらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。
そしたらとうとう、象がのこのこ上がって来た。----。
さあ、オッペルは命懸けだ。パイプを右手にもち直し、度胸をすえてこう云った。
「どうだい、ここは面白いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜めにして、目を細くして返事した。
「ずっとこっちに居たらどうだい。」

[ken] 高価な琥珀のパイプをくわえているオッペルは、いかにも当時の「資本家」「経営者」といった感じが出ています。そういえば、私はパイプたばこを一袋だけ吸っただけで、安価なパイプも一つ持っていましたが、いつの間にか手元からなくなっていました。たばこの種類は、一般的にパイプ、葉巻(シガー)、巻たばこ(シガレット)の三つですが、私は巻たばこ以外との相性が良くありませんでしたね。(つづく)
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福島の飛露喜と福島の桃!

2016年07月26日 | O60→70(オーバー70歳)
▼先日、わが生まれ故郷の福島のプレミアムなお酒「飛露喜」を飲み、デザートは福島の桃を食べました。
▼「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、案外、身近で体験できるものなのですね。僕の生まれ育った福島県、原発事故に負けないで幸いあれ!
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「宮沢賢治」でございます!(その8)

2016年07月25日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「猫の事務所」
【149ページ】
かま猫は当たりまえの猫になろうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしゃみが出てたまらないので、やっぱり仕方なく竃(かまど)のなかに入るのでした。
なぜそんなに寒くなるかというのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかというのに、それは土用に生まれたからです。やっぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考えて、なみだをまん円(まる)な眼一杯にためました。

[ken] 宮沢賢治さんの作品には「風」と「猫」が多く登場しますが、猫好きであったかどうかは諸説あって本音としては猫が嫌いであったそうです。えてして「嫌いは好き」に通じますし、本書でも猫を観察して描写しているように、とにかく猫は気になる存在であったことはたしかですね。あたたかい「かまど」付近に寝ている姿は、私も子ども頃よく目にしました。また、隣の家で炭を焼いていたいので、わが家の猫もたびたび暖を取りに出かけていました。帰ってきた猫を抱くと、炭窯の灰や炭の粉が体毛についていたし、かまどと同じような香りがしました。また、私の田舎で「夏猫は弱い」と言われていたことを思い出しました。その理由は、「生まれた時が暖かくて、寒さへの備えができていないから風邪をひくと弱ってしまう」というものでした。本書では「皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかというのに、それは土用に生まれたから」という理由を知り、「なるほど」と深く納得させられました。(つづく)
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熱中症なんて怖くない?

2016年07月25日 | O60→70(オーバー70歳)
▼私は子どもの頃、よく軽い熱中症(地元では「暑気を受ける」)にかかりました。すると、おばあちゃんもしくはおふくろが、夏大根をすりおろし、布巾に包み込みんだもので、腿から足首にかけて湿布してくれました。普段だと、湿布されてもむず痒いだけなのに、暑気を受けたときはビリビリするのです。
▼それで熱も下がり、たちまち治ってしまったのは、今でも不思議です。子どもの頃は、乗り物酔い、暑気を受けやすい、胃腸も弱かったのですが、大人になるにつれ丈夫になりました。とくに、暑さに抜群に強く、暑い日差しを受けると、この歳になってもちょっとワクワクします。
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私のブログの流儀!

2016年07月24日 | O60→70(オーバー70歳)
▼私のブログやFacebookの流儀は、スマホで撮った写真を見ながら書くことです。言葉を換えれば、写真がないと書けないから、いわば「脅迫観念」に追われるように、毎日たくさん写真を撮っているのです。
▼でも、最近、絵的な手法も取り入れています。下手くそで、とても見られたものじゃないのですが、とにかく思うまま、手直しなしで、手近なボールペンなどを使い、楽しみながらパパッと描いています。
▼文字ではない線によって、描きなぐる。それもたくさん、速いスピードでやっています。そして、これまでの流儀とは逆に、文章を書いてから絵的なものを描くことにトライしているのです。
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「宮沢賢治」でございます!(その7-番外編)

2016年07月24日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
▼現在放送中のテレビドラマ『神の舌を持つ男』は、おちゃらけな阿呆らしさで、一話ごとに殺人事件を解決していきます。
▼番組の最後は、これがなんと宮沢賢治さんの言葉で締められ、なかなかセンスがいいと思いました。ギリギリのところで、ドタバタ劇のバランスをとっているのかな、と思いました。
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