水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

京阪電鉄 2600系電車

2009-02-12 20:43:53 | 電車図鑑・私鉄電車(関西)
架線電圧を600Vから1500Vに昇圧するため、機器の設計上、これに対応できない
2000系電車「スーパーカー」(※)を置き換えるため、昭和53年に登場した車両である。
車体や台車などは2000系のものを改修しており、昭和58年までに同形式全車103両からの
改修車と完全な新車28両の計131両が登場した。
書類上は2000系のものを引き継がず、新車ということになっている。

車体は全金属製モノコック構造の丸っこいデザインのもので、本形式への改修にあたり、
冷房化、パンタグラフの移設・小型化、正面貫通扉と側面への種別・方向幕取り付け、
正面へのスカート取り付けなどを行っている。それ以外は2000系時代の特徴を
色濃く残している。
車内はロングシートで、ドアは両開きで3箇所ある。

台車は空気バネ台車である以外、改造や改修等で、ほとんど同じ台車がないほどで、
「台車の京阪(京阪では多くの試作台車を積極的に採用していたため付けられた仇名)」を
体で現わしている車両であるといえる。
通常、メンテナンス上、台車などは同じ形式で同じ編成のものは統一されているが、
一編成中、全車の台車が違うなどということも、本形式では常識である。

主制御装置は界磁位相制御で、分巻界磁制御による回生ブレーキも可能である。
2000系時代は高加速・減速を行っていたが、本形式では加速性能を落とし、
その分高速で走れるようにして、後継の2200系などに性能を揃えた。

編成の組み合わせは、2両、又は3両ユニットを基本としており、これらを組み合わせて、
4両~8両で運行が可能である。現在は宇治線用の4連、本線普通用の5連と7連がある。
また、3連ユニットのうち1本が2200系に編入されている。

昭和57年に増備された編成は30番台に分類され、当初より7両編成を組む。
上記の改修組とも連結は可能で、実際に運用されたこともある。
また、新造された時、存在した深草車庫の入庫制限のため、3連と4連に
分割できるようになっている。
この車庫は淀車庫の完成により廃止され、これ以降の新車は固定編成が基本と
なっている。

これら以外にも2000系時代に行われた編成組み換えで撤去された運転台の跡の
処理の仕方、編成中間の運転台の有無、正面向かって左側の窓を原型の2段窓から
1枚固定窓に改修したもの(30番台は元から)など、多くのバリエーションが存在する。

長く京阪の主力通勤形電車として活躍し、京阪本線、宇治線、交野線で急行から
各駅停車まで幅広く用いられた。臨時で特急に就くこともあった。
平成15年からはラッシュ時に交野線直通の上り特急「おりひめ」でも使われた(「おりひめ」は
平成20年9月の中之島線開通によるダイヤ改正で通勤快急に格下げ)。

しかし、寄る年波には勝てず、平成13年から廃車が始まり、平成19年現在で
85両が在籍している。
廃車となった車両のうち、初回に廃車になったもののパンタグラフ、連結器、
ヒューズ箱、警笛は後継の10000系電車や2400系電車の一部に流用された。
また、残存車は平成20年より、新ロゴマークの取り付けと塗装の新塗装化を
順次、実施しており、平成24年までに完了する予定である。
今後も、本年(平成21年)夏頃に製造後50年を迎える2000系からの改修車を中心に
廃車が発生すると思われるが、現状では具体的な動きはない。


※2000系「スーパーカー」
昭和34年に登場した京阪電鉄初の本格的な通勤型電車である。戦後の京阪では
特急用として製造した車両を新車の登場と共に格下げして普通列車に転用していたが
沿線の宅地開発により利用客の増加が見込まれ、本格的な通勤型電車が必要となったため、
開発された。
純正の2000系としては先頭車68両、中間車32両の100両が製造され、後に2200系の
編成組み換えで余った同系の制御車3両が中間車に改造されて、これに加わった。
車体はモノコック構造の全金属製で、丸っこい卵のような断面が特徴である。
正面のヘッドライトは大型の白熱灯が左右窓上部に設置された。
塗装は濃淡グリーンの組み合わせで、今日に至る京阪の通勤型電車の塗装と
デザインを確立した。
側面窓は当初、大きめでバランサー付きのものを採用していたが、機構が
複雑だったため、昭和35年以降に増備された車両から通常構造となり、
窓の大きさも小さくなり、側面のレイアウトが変更された。
この辺の特徴は2600系となった今でも残っている。
車内はロングシートで、当初、網棚のパイプにも、吊革をつけていたが、
すぐに撤去されている。
機構面では分巻界磁制御の採用により、日本の通勤型電車で初めて回生ブレーキを
常用とした他、磁気増幅器を用いた超多段制御器の採用により、編成中全車が
電動車である場合、起動加速度4.0km/h/s、減速度4.5km/h/sという、高加速・減速
を実現している。これが「スーパーカー」の仇名の由来である。
台車は全車が空気バネ台車で、これも当時の通勤用電車としては異例の速さでの
採用である。これは空気バネはラッシュ時と閑散時の積載重量差をカバーできるという
考えに基づく先駆け的なものであった。今日では鉄道会社を問わず、通勤型電車で
広く空気バネが使用されるようになっている。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダンを採用している。
登場後、基本的に4連で普通や区間急行を中心に使用されるようになった。
中間車のうち最初の5両はモーターを持たずに登場し、加速・減速性能に劣るため、
これらを挟んだ編成は旧型車と同じ急行や臨時特急などに用いられた。
昭和46年のダイヤ改正以降は、各駅停車の運用が増加している。
この頃になると、輸送力の逼迫から架線電圧を600Vから1500Vへ変更することが
検討されるようになり、当時でも最大勢力だった本形式の処遇が問題となった。
これは本形式が回生ブレーキ使用のために使っている分巻制御器が1500Vに
対応できないこと、普通列車の冷房化のため、本形式を改造、若しくは新車に
切り替えることが必要であったためである。
これらの問題に対し、早急に対応するため、本形式の車体や台車などの装備品のうち、
使えるものは使いつつ、昇圧と冷房化に対応した車両に作り変えることになった。
これが2600系である。
この改造は昭和53年から昭和57年にかけて全車を対象に実施され、
2000系という形式は消滅した。


2000系初期車由来の車体を有する車両。この写真では見づらいが、連結部側の
側面窓が1枚(他は2枚)であることが異なる。
また、正面左の窓が固定窓に改造されている。


車内。グリーン系の色彩が特徴。


30番台の新塗装車。少し角ばったデザインと大き目の正面貫通扉が特徴。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。