ミズヘンの腹ん中。

女3人、演劇創作ユニットmizhenのブログ。

高知のおばあちゃん

2016-02-09 23:00:53 | 佐藤幸子
mizhenの西の方の佐藤です。

祖母が亡くなったので、母の実家の高知に帰って来ました。
16、7年振りです。

子どもの頃は夏休みの度に帰って、山、海、川と戯れたものです。

久しぶりの田舎は少し錆びれている気がしたけど、匂いと風景は変わっていませんでした。

大概、家の裏に猫が数匹いて、離れにあるボットン便所に行くのがこわくて、いつもお酒を飲んでいる漁師のおじいちゃんがいて、すぐ側にある海と、いつも食卓に並ぶ魚の匂いがする家は道になっていたけど。

祖母は大往生だったためか、親戚たちが明るいためか、お通夜、お葬式ということばに反して賑やかで、落語を披露したり、空いた時間に兄ちゃんと海釣りに行ったりしてきました。

釣れたのは小さいフグのみ



祖母は11人兄妹だったため、遠い親戚はもう誰が誰やら。

『おばあちゃんの、姑さんの息子が、あんたの叔母ちゃんと同い年で、おばあちゃんがお乳あげてたんやで』

これを理解するのに、3、4回説明してもらってやっとわかりました。
すごい時代やなあ。

高知までの道中は父、兄と今まで出来なかった話をしたり、帰りの道中は本当に久しぶりに家族4人で過ごしました。

車中で兄ちゃんが子どもの頃本当に意地悪だったということを告げてみると、本人は覚えてなくて
『あんまりしゃべらへん兄妹やったってイメージしかないわあ』
と言っていて驚きました。

こちらがトラウマレベルで覚えていることも何も覚えていなくて、同じ家で育っていてもお互いの認識が全然違うということを改めて知り、しょうもないことはいつまでも気にするもんじゃないと御年30にして知りました。


逆に父が私にされてショックだったことも言われたら思い出す程度で、自分の尖った思春期を今更ながら申し訳なく思いました。

傷つき、傷つけながら生きているのだなあ。
なんて柄にもあることを思ったけど、家族の前では気恥ずかしくてとても口には出せないので自分の心にそっとしまっておきました。

職場などではこういう類のことをすぐに口にしてしまい、先輩方に半笑いで受け止めてもらっているのですが。



高知に帰って親戚や家族と話して、少しだけ心境に変化があって、なんだかすっきりして、生きるのが少し楽になった気がして、や、辛くはないんですが、そういうきっかけをおばあちゃんは与えてくれたんやなと勝手に感じています。

ちっともおばあちゃん孝行してないのに本当に勝手なもんです。

『さっちゃんの花嫁姿見るまで生きないかん』と言っていたおばあちゃん。

おばあちゃんありがとうなあ。
花嫁姿、天国から見てなあ。
いつになるかわからんけどさあ。


高知の海!