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宮代町の古刹・曹洞宗慈眼山「宝光寺」で本堂の落慶法要

2012年03月31日 18時26分36秒 | 宮代ニュース

宮代町の前身・旧須賀村の役場が置かれたこともある、宮代町西粂原の宝光寺(釈尾 俊光=トキオ トシミツ・住職)は、かねてより本堂を改築中だったがこのほど完成、31日、関係者などが参列して「落慶法要」が行なわれた。

新本堂は建築面積334.18平方メートル。延べ面積266.08平方メートル。高さ12.2038メートルの木造1階建てで、旧来の本堂より、若干大い。

昨年4月23日に上棟式を行い、設計は翼工房社寺建築設計事務所(栃木県宇都宮市)、故西岡常一棟梁のもとで学んだ菊池恭二・匠の社寺工舎(岩手県遠野市)が施工した。

 

31日は、午前9時から法要が行なわれ、檀家等関係者が訪れ、広い新本堂もいっぱいの参列者となった。

宝光寺は、曹洞宗のお寺で、慈眼山と称し、一説には天文元年(1532)に創立されたとされる古刹で、本尊には地蔵菩薩を祀る。歴代の住持の中の円宅住職に関係する筆子塔があり寺子屋を開いて教育に力を注いでいたものと見られる。また、須賀小学校の前身となる、西條学校の校舎となったところでもある。現在は宝光寺幼稚園を併設して幼児教育につとめている。

明治22 年(1889)、和戸・須賀・東粂原・西粂原・国納の五カ村が合併し、宮代町の前身である旧須賀村が誕生した際、村役場が置かれたところでもある。

宝光寺は、「ぶっさり地蔵」の寺としても有名。「昔、近郷近在の若者が杉戸宿の遊郭に遊びに行ったころの話である。夜道を歩いての帰途、宝光寺の近くになると、若い娘が肩におぶさる。背負いながら、我が家も近づいたので振り向くと、地蔵尊がおぶさっている。あわてて問いただすと、宝光寺の地蔵だと答えたという」(埼玉県伝説集成より)その後、境内に地蔵尊を祀ったところ悪さをやめ、参拝した人は子宝に恵まれるといわれ、「子授け地蔵尊」」として親しまれている。

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