「埼玉古墳群に埋葬された豪族に連なるムラ長が宮代町(道仏)を支配し、一大集落を形作っていた可能性も」と、古の宮代町の姿を知る道仏遺跡の第5次発掘調査の現地見学会が14日開催され、町民や考古学ファンなど約100名が、発掘を担当した宮代町郷土資料館の学芸員から説明を受けた。
道仏遺跡は5回の発掘調査が行われ、縄文時代早期後半(約7000年前)、古墳時代中期後半(約1550年前)から後期前半(1450年前)の約150軒の住居跡が発掘されており、大きな集落であったことが分かってきている。
この道仏及び道仏北遺跡の向かいには姫宮神社があり古墳群があることが知られている。
今回の発掘調査では、東海地方で造られた須恵器のハソウ(酒を注ぐなどの焼物)や剣形品、有孔円盤など位の高さや裕福さを表す土器や石器などが多く出土している。
こうしたことから、姫宮古墳群は道仏遺跡の集落群のムラ長との関係が強いのではないかと推定される。
また、姫宮神社古墳群は6世紀前半、埼玉古墳群は5世紀後半から7世紀初頭といったことで、何らかの関係があったのではないかとの推測も発掘調査関係者の間では話題となっている。
なお、今回の調査でも、住居址が何層にも重なっていることが確認され、同じ場所に住居が建て替えられた様子が見える。このため、炉やかまどなど、火の使い方変化がわかるほか、今回の調査では、木の実が出土しており、食生活の一部もうかがい知ることが出来る。