宮代町の野に今年も寄生植物ヤセウツボの姿が見られるようになってきた。
ヤセウツボは主にムラサキツメクサ(アカツメクサ)やシロツメクサ、コメツブツメクサなどマメ科植物の根に寄生し、規制したマメ科植物等から養分を略奪し(もらっ)て成長し、花を咲かせ子孫の繁栄を図る寄生植物。
寄生植物は、宿主から養分をもらうため、宿主が全滅すると自分も生きていけない。次に、宿主が繁栄するまで、ジッと種のまま何年でも待つのだそうだ。
ヤセウツボは、宮代町では数年前から確認されてきており、マメ科植物も旺盛なことから共倒れという状況には今のところなっていない。
【ヤセウツボを観察しながら思ったこと】
最近、大手新聞報道に疑問を感じていることから、新聞を読むことを止めているので、「原子力規制庁」問題がどうなっているのかほとんど分かっていない。
だが、マメ科に「寄生」するヤセウツボを見ながら、「規制」庁のことに思いが飛んだ。読みとしては同じ「きせい」と言うことからである。
「寄生」とは宿主を生かさず殺さず。その按排が難しい。
「原子力規制庁」も「原子力」に寄生する組織であるから「生かさず殺さず」でなければ「規制庁」の存続はありえない。原子力を殺したら自分の存続もない組織運命ということになる。
ということは、先行き発展性のない、規制(寄生)をするだけの組織だとするならば、誰が好んで、働くだろう。
官僚の組織の中には実は、こうした組織が少なくないように思われる。宿主がほぼその使命を終わったのに、従前の組織をいかに維持していくか。そのために、新しく見える看板を探す。
寄生植物の場合は「宿主」が再生するまで、休眠し、その時期をじっと待つ。何年、何十年、場合によってはその機会が ないかも知れないが待つ。
だが、組織は休眠するわけにはいかない。生きている人間が構成員となっている以上。
「原子力」を殺せば、自分も死ななければならない「原子力規制庁」。そんな組織に、官僚を目指してトップの最高学府を通過した誰が行くものか。よしんば、ここ数年は仕事があった(寄生できた)としても、先行きの見通しは暗い。
「寄生」「規制」で生き延びるのは「按配」が非常に難しい。それはもう、真っ当な世界ではなく、陰の世界といっても良い。
「きせい」が良くないのである。「寄生」はかすめとることであるし、「規制」は伸びようとする芽を摘むことである。
しかし、摘まなければならない芽もある。
では、どうすればいいのか。新しい芽を伸ばすために、古い芽に犠牲になってもらう。
接木の発想である。
「新(自然)エネルギー」を開発するために、それと争ってきた「原子力」を摘む。
「原子力」を台木としてカットし、その上にあらたなエネルギー開発を進める「新(自然)エネルギー」の芽を接ぐ。
つまり、新(自然)エネルギー庁を発足させその中に原子力規制担当を置けば良いのである。
原子力村の人間も「新(自然)エネルギー」の開発へシフトしていく体性を作るべきである。
ヤセウツボを観察しながら、そんなことを思った。
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