Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

Time has gone

2009-01-28 04:41:13 | Weblog
 昨年末をピークにブログに対する意欲が低下中。でも、あまり更新の間隔を開けたくないので、今日は大学生活を真面目バージョンで振り返ってみよう。

 まず、受験まで遡ると、オレの第一志望は男性の悩みっぽい名前の某私立だった。その大学では、試験終了後に解答を500円で売っており、帰りの電車で答え合わせをしたのだが、デキは上々で、半ば受かるだろうと確信。キャンバス内で配布されていた学内の新聞を読みながら、「オレも○○大生かぁ」なんて妄想をしていた。

 そして、迎えた合格発表日。合否は合格者にのみ郵送で知らせるということで、一日中心臓がバクバクだったのだが、忘れもしない午後4時半。バイクの音とともに、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。ほとんどバンザイしそうになりながら封筒を受け取ると、差出は男性の悩みの大学ではなく、別個に受けたコーヒー豆の名前を日本語にしたような大学。
 混乱した頭のままに封を開けると、ひと言「試験問題ミスのお知らせ」。どうでもいいよ、そんなこと! ぬか喜びさせやがって!

 結局、合格通知は届かなかった。ちなみに未だインターネットでは結果を確認していないので、実はトラブルで配達が遅れているという可能性はある。今日あたりに送られてきたらどうしよう。もう4年頑張っちゃう?(笑)
 なんて冗談はさておき、この時ばかりはさすがのオレもショックを受けた。泣いた。わんわん泣いた。実はオレは意外に涙脆い方なのだが、親に涙を見せたのはあの日が最初で最後だろう。ウソ。赤ん坊の時分には親の前で泣いてます。って、どうでもいいよ、そんなこと(笑)。

 とにかくそんなこんな入ったのが今の大学なのだが、初めのうちは再受験する気満々だった。要するに、いわゆる仮面浪人ってヤツだけど、そんなつもりだから友達も作る気はなかったし、授業もなるだけ少なくしようと。必修のコンピューター演習すら、5限という理由でパスした。

 それでもやがて友達はできたわけだけど、最初のうちはどう接していいか分からなかった。そいつも口数が多い方ではなかったし、オレも人付き合いにブランクがあったから。要するに、高校の後半2年間と浪人した1年間、計3年間をほとんど同年代の人間と喋らずじまいのままに過ごしていたので、勘が完全に鈍ってしまっていた。

 やがて、もうひとりの友達と出会うわけだけど、その時のことは恐らく生涯忘れはしない。
 健康科学の授業前。既に友人だったAが別の奴(B)と話していたのでオレもその輪に加わったのだけど、授業を終え、3人で大学内のマックに入るや否や、何とAが席を立ちやがった。オレとBが全く面識がないことなんてお構いなしに。
 当時は今以上に人見知りが酷かったこともあり、オレは激しく困惑し、ほとんど逃げ出そうと決意したのだが、やっとBの方が口を開き、内容は確か自分の名前を名乗ったあとに「好きなアーチストは?」だったはず。こちらが何と答えたかはよく覚えていないが、とにかくAに対して殺意を抱いたことだけは鮮明に記憶に残っている。

 やがて、大人しいオレに業を煮やしてか、Aは他の友達といることが多くなったので、自分は専らBと行動するようになったのだが、なぜかその頃のことはあまり記憶がない。少なくともオレが何かアクションを起こしたことはないんじゃないか。
 これはこの時期に限らずなのだけど、オレは自分から遊びに誘ったりというのが極度に苦手だ。「お前なんかに誘われたかねぇよ」と思われるんじゃないかという恐怖心があって、どうしても二の足を踏んでしまう。同じような理由で、ここ何年間も、よっぽどの用事でもない限り、オレは自分からメールを送ったことがない気がする。
 なんて愚痴っぽい話はさておき、この頃で覚えているのは、土用の丑の日に不味い鰻を食いに行ったのと、もうひとつ、コンピューター概論という授業のテスト範囲を彼に教わった時のこと。ちょうどオレは自動車学校に通っていて、教習やらでなかなか連絡が取れず、結果的に相手を振り回してしまったわけだけども、そんな無礼な自分に対して、嫌味のひとつも言わず、親切丁寧に教えてくれた。何て優しい人なんだと、ちょっと感動した記憶がある。
 もうひとつ、1年時ということでは、女の子(?)と3人でボウリングに行ったのも思い出深いが、まぁいいや、そのことは(笑)。

 そのボウリングデートが引き金になったのかどうかは知らないが、2年生になってからはボウリングに明け暮れていた気がする。下手をすると、週4くらいの頻度でボウリング場に通っていたんじゃないか。
 確かオレのハイスコアは190だったかな。ただし極度のムラッ気で、ダメな時は100に満たないことも多かった。3フレーム目くらいまでの感じでダメだと思うと、そこで投げてしまうところがあって。つまり忍耐強さが足らないわけだけど、ボウリングに限らず、これはオレの大きなウィークポイントだと思う。

 2年生の頃というと、オレには単位の切実な問題があったけれど、それは前回も触れたからさておくとして、一度、ブログにとんでもない内容を書いてしまったことがあった。
 随分前のことだから、今さら言い訳をしても仕方ないが、あれは本当に全く悪意はなかった。オレがブログでよくやる毒舌の一環として書いたまでで、自分としては何気なしの更新だった。
 でも、今になって考えると、やっぱり軽率だったと思う。そもそも毒舌というのは、笑える要素がなきゃダメだろう。
 個人的には、最近のマスコミの麻生批判を見るにつけ心底嫌になるのだけれど、きっとそれはあの時の自分とダブって見えるからなんじゃないか。バカな人間に対してただバカと言うのは無礼で不粋だ。そんな思いから去年の大晦日に麻生さんをネタにしたのだが、ともあれまずは自分が素直に反省しなければ。

 授業では、文章表現法が印象に残っている。毎回、講義の最後に簡単な論文の課題が出され、次の回に教授から直接評価を聞くことができたのだが、オレは概ね高い評価を受けた。他の授業で使うからと、原稿のコピーの許可を請われたことすらあった。
 自分で言うのもおかしいが、オレは文章力にだけは昔から自信を持っていたのだけど、小中学生の頃はあまり褒めてもらうことはなかった。何度か読書感想文の賞を取ってはいるのだが、手応えの割には評価が低いと思うことは茶飯事で、「どうせ教師は優等生の書くものを色眼鏡で見てるんだろ」と半ば腐っていた。
 それが大学になって一応の評価を受けたのは、傍から見たら些細なことに思えるだろうが、オレにとっては何事にも代え難い喜びだった。それも、前田のおじいちゃんは、小島のようなヘリクツ野郎とは違い、大学の教授の中でもズバ抜けた彗眼の持ち主だと思っているから尚更だ。そのような方からのお褒めの言葉は自分の一生の財産になるだろう。

 と、ここまで前半の2年を振り返ったわけだけど、随分な文字数になってしまった。最初は「ブログの更新意欲が低下」とか言ってたくせに(笑)。
 というわけで、後半は明日に回します。もっと短めな感じに纏めたいなーと思いまーす。


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