みなさん
日本にとっての「沖縄の不都合な真実」を知りたい方は、
是非、以下のオピニオンをご高覧ください。
<翁長・菅会談を読み解く-「海兵隊=抑止力」は真実か?>
http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=235&p=3
著者:屋良 朝博(やら ともひろ)フリーランスライター
1962年北谷町生まれ。フリーランスライター。
フィリピン大学を卒業後、沖縄タイムス社で基地問題担当、
東京支社、論説委員、社会部長などを務め2012年6月退社。
「砂上の同盟」で平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞。
翁長・菅会談を読み解く-「海兵隊=抑止力」は真実か?
4月5日、翁長雄志知事と菅義偉官房長官が対面した。翁長知事と菅長官の発言を見比べて、基地問題の背景とその深層に迫ってみたい。
知事はまず自身の政治スタンスを説明する中で、「私の政治経歴から日米安保体制が重要だと理解しています」と切り出した。政府を議論の土俵に乗せようという試みだ。なぜなら本土の政治エリートは、基地問題の「き」の字を出しただけで、反安保、反基地、反米といった政治思想のレッテルをぺたぺた貼り、議論する土台すら見つけようとしない。政府はいま翁長県政を「反基地」と決めつけて対話の扉を閉ざしている。
例えば、中谷元防衛相が3月13日の定例会見で、「知事のコメントを聞いていると(辺野古の埋め立て)工事を阻止するということしか言われていない。もう少し、沖縄県のことや日本の安全保障、そういう点を踏まえてお考えを頂きたい」「日本国民全体で負担する中で日本の安全保障、日米安保体制、日米同盟をしっかりやっていただきたい」と批判した。
沖縄の民意はひとりよがりだ、と言わんばかりだ。翁長知事は「戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある」と述べた。この「無念さ」を中谷防衛相らは理解できないだろう。無念さ、とは何か。知事は菅長官との会談で沖縄の歴史を紐解いた。
沖縄の米軍基地は日本が突入していった第二次世界大戦に起因する。地形が変わるほどの爆撃を受けた沖縄では米軍が住民を強制収容所に囲い込み、基地を造るために土地を奪い取った。いま沖縄本島を見渡したとき、中南部の平たんな土地に米軍基地が広がるのは土地強奪によるものだ。翁長知事は「今日まで沖縄が自ら基地を提供したことはない」と強調した。
敗戦後の日本は米国を中心とした連合国軍によって占領され、1952年のサンフランシスコ平和条約で独立を取り戻す。しかし沖縄だけは日本から分離され、米軍統治下に置かれた。いわば日本独立の人身御供にされた。それだけではなく、50年代から60年代にかけて本土で反基地運動が激しくなる中で、米軍は基地の存在を日本人の目から遠ざけようと考え、沖縄に基地を集中させていった。
いま沖縄の米軍基地の7割を占有する海兵隊が本土から沖縄に移駐したのもその時期だ。海兵隊は1953年、北朝鮮を警戒するために岐阜県、山梨県に配備された。朝鮮戦争が休戦となり、チャールス・ウィルソン米国防長官の一存で海兵隊は岐阜、山梨から沖縄への移駐が決定した。朝鮮半島から遠い沖縄に移転しても、当時の沖縄には海兵隊を出撃させる輸送船も輸送機もなかった。とても戦略的、軍事的な理由ではなかった。それは米国防総省、陸軍省が海兵隊の沖縄配備に反対していたことから明らかだ。陸軍が反対した理由は、アジア太平洋地域に抑止力を効かすなら、小さな組織の海兵隊よりも陸軍の方が効果的だ、と考えたからだ。現在の兵力比較で見ると、海兵隊は陸軍の半分以下であり、組織的にも海軍の一部という位置づけになっている。
海兵隊は1990年代初頭まで自前の輸送手段を持っていなかった。緊急事態で出動する場合、米本国からの輸送船、大型輸送機を待つしかなかった。現在は長崎県佐世保に海軍の強襲揚陸艦が配備されているが、それは兵員2200人だけしか運べず、「張り子の虎」と評する軍事専門家もいる。
1956年に海兵隊は沖縄に移駐した。そのころ日本は戦後復興を終えて、経済は高度成長へ向け離陸したころだった。56年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、本土は経済発展を甘受していった。その時、沖縄では海兵隊の移駐で新たな基地用地が必要となり、米軍は銃剣で住民を追い払い、ブルドーザーで家屋を押し潰していった。「銃剣とブルドーザー」。海兵隊の沖縄移転は、本土は経済発展、沖縄は安保負担という仕分けが出来上がった象徴ともいえる。
沖縄は27年間の米軍圧政下に置かれ、1972年にようやく日本復帰できたかと思いきや、基地の重圧は一向に軽くならなかった。
翁長知事の「無念さ」はこうした沖縄の戦後史に根ざすのだろう。菅長官へ向けた言葉も厳しかった。「自ら奪っておいて、県民に大変な苦しいを今日まで与えて、普天間が大変だからその危険性の除去のために沖縄が負担しろ、と。(反対する)お前たちは代替案を持っているのか、日本の安全保障をどう考えるんだ、と。こういった話がなされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか」。
政治の堕落。きつい言葉だ。恐らくこれは辺野古埋め立てに賛成した仲井真弘多前知事、自民党沖縄県連の国会議員、県議会議員のすべてに向けられているのだろう。選挙のときは票が欲しいから普天間の「県外移設」を公約し、当選したらあっさり公約を破棄して平気でいられる。これは政治の詐欺行為に等しい。堕落どころか犯罪だと思うのだがどうだろうか。
しかもいくら政治が妥協の産物だとしても、安保の負担をこれほど押しつけられた沖縄がさらに辺野古埋め立てを受け入れなければならない理由がまったく分からない。
菅官房長官は翁長知事にこう説明した。「わが国を取り巻く安全保障環境、極めて厳しい中にあって、まさに沖縄県民のみなさん方々を含めて国民の安全を護るのは国の責務だという風に思っている。日米同盟の抑止力の維持と(普天間の)危険除去、こうしたことを考えたときに、辺野古移設というのは唯一の解決策であると政府は考えています」。
日本周辺の安保環境が悪化している―。日米同盟の抑止力を維持しなければならない。そして普天間返還も実現させたい。だから辺野古しかない、という主張である。もっともらしく聞こえるが、果たしてその説明は論理的なのだろうか。
まず普天間飛行場を使っているのは海兵隊であることを踏まえておきたい。海兵隊は沖縄に駐留する米軍兵力の6割を占め、基地も既述の通り7割強を占有している。仮に海兵隊が沖縄から出て行くと、残るのは極東最大の空軍嘉手納基地、海軍ホワイトビーチ(うるま市勝連)、陸軍トリイ通信基地(読谷村)くらいだ。これだけ残して海兵隊が沖縄から仮に本土に移転したら、抑止力が大きく低下するのだろうか。まったく心配無用だ。
なぜなら既述の通り、海兵隊が出撃するときの輸送手段は艦船か輸送機だが、そのいずれも沖縄には存在していないからだ。艦船は長崎県佐世保港であり、輸送機は米本国から飛んでくるのを待つしかない。政府は沖縄に海兵隊が駐留する理由について、沖縄なら北朝鮮と台湾海峡の両方を同時に警戒し、対処できるいいポジションにある、と説明するが、それも信憑性が薄い。
ネット地球儀で距離を測ってみれば一目瞭然だ。沖縄から北朝鮮の首都平壌まで約1416㎞、台湾の台北までは645㎞で合わせて2051㎞の長さがある。これが海兵隊にとってどう有効なのだろうか。
他地域と比較すると、長崎県佐世保から平壌まで740㎞、台北まで1200㎞で計1940㎞、佐賀県は平壌までが770㎞、台北が1232㎞で計2002㎞、福岡だと計2006㎞になる。いずれも沖縄より合計距離が短いのだ。すると移動距離は沖縄が取り立てて好条件にあるとは言えないだろう。いずれかに近ければ、他方からは遠いのだから、沖縄が両方に対して適地であるとする説明に説得力はない。熊本も2054㎞だから沖縄と3㎞しか変わらない。
仮に朝鮮半島で北朝鮮が暴走した場合、海兵隊を運ぶ船が佐世保で錨を上げて出港し、沖縄に南下して兵員と物資を載せて、再び北上しなければならない。これは合理的な部隊配置なのか。
森本敏元防衛相は3月29日のNHK日曜討論で、海兵隊は日本の西海、九州か、四国のどこかに1万人が常時いて、地上、ヘリコプター、後方支援の機能を包含できればいい、と語った。日本屈指の安保専門家で防衛大臣まで務めた森本氏がそう証言したのだから反論できる政治家や専門家がいれば話を聞いてみたいものだ。
海兵隊は本土でも機能を維持できることは常識となったいまも「県外移転」が選択肢として話題に上がらず、沖縄内の問題処理が「唯一の解決策」となるのだろうか。それは翁長知事が指摘したように「日本の政治が堕落している」からだろう。中谷防衛相が知事を批判したのは、天に唾する行為だ。日米安保の重要性を認識し、自身の選挙区である高知県に海兵隊を受け入れる覚悟が中谷大臣にあるだろうか。中谷大臣自身、大学生のインタビューに答えて、海兵隊は本土に駐留してもいいのだが、どこも受け入れない、と真実を明かしている。インタビューは動画サイトで閲覧可能だ。
▼ぼくらが見にいく!在日米軍基地 沖縄に行ってきた!
https://www.youtube.com/watch?v=hjA9xI8jJGw
いま中谷防衛相と同じような心ない見方が一部の言論界にはびこっている。安保だ、抑止力だといった言葉を使えば優越感に浸っていられるのだろうか、辺野古に反対する沖縄人を幼稚だと決めつける。そして上から目線で諭すように、「もっと日本の安保、抑止力を理解してね」と言う。
菅長官は沖縄の負担軽減についてこう語った。「空中空輸機15機全部を昨年、山口県の岩国飛行場に移した。緊急時における航空機の受け入れ機能も九州へ移す予定で話を進めている。結果的に辺野古に移転するのはオスプレイなどの運用機能だけだ。オスプレイの訓練についても本土でできる限り受けたいと思っている」。いっそのこと森本氏が語るように海兵隊すべてを持っていけば話は早いだろうに。
菅長官は続けて、海兵隊の約半分に当たる9000人がグアムなどへ分散配置する日米合意についても触れた。この米軍再編をどう分析するかが重要なのだが、日本のメディアはほとんどそれを怠っている。海兵隊の兵力が半減されることと、「抑止力の維持」は矛盾してはないか。にもかかわらず普天間が沖縄基地の解決策であり、日米同盟を維持するために必要であると書く全国メディアがあるが、恐らく彼らは海兵隊のなんたるかをまったく理解していないだろう。
政府は尖閣諸島をめぐる中国との対立を引き合いに沖縄米軍基地の重要性を強調する。菅長官は「昨日も尖閣諸島に公船が侵入しておりました」と翁長知事に伝えた。それほど頻繁に中国の公船が近づくなら、日米同盟の抑止力はどうなっているのか。米国政府は無人島の尖閣を奪い合うため若い米兵の命を危険に晒すことを「バカげている」と考えている(ジェフリー・ベーダー元アメリカ国家安全保会議アジア上級部長)。仮に尖閣防衛で日米同盟が発動しても、離島奪還は海兵隊の仕事ではない(在沖米海兵隊ウィスラー司令官、2014年4月)。制空権と制海権を維持していれば敵は島に近寄れないし、上陸したとしても輸送路を断てば兵糧攻めで事足りる。それは空軍、海軍の仕事であり、地上戦力の海兵隊ではない。
ことほどさように政府の説明は疑わしい。それでも政府は圧倒的な宣伝力で尖閣防衛のために沖縄基地が重要だと国民に思い込ませ、辺野古埋め立てに異を唱える沖縄が孤立するように仕向ける。だから権力は怖い。本来ならメディアが権力を監視する役割を果たすべきだが、こと日米同盟、基地問題になるとその機能が発揮されない。
沖縄基地の真相は、在沖米軍の中で最大兵力、最大の基地面積を占める海兵隊は沖縄でなくても機能するが、日本国内では米軍の駐留を拒否する-ということが沖縄基地問題の深層に隠されている。真実を見えなくするマジックワードが「抑止力」である。
同盟は大事だと言いながら基地負担を沖縄だけに押しつける。そして基地問題にあえぐ沖縄に対し、「もっと安保の大切さを考えてほしい」と詐欺師のような言説が氾濫する。
沖縄はこうした諸々の無理解、レッテル貼りと対峙しなくてはならない。難儀なことだが、自民党県連幹事長を務めた翁長知事が政府を議論の土俵に乗せることができれば、沖縄基地問題の本当の姿が見えてくるかもしれない。問題解決はその向こう側にある。
日本にとっての「沖縄の不都合な真実」を知りたい方は、
是非、以下のオピニオンをご高覧ください。
<翁長・菅会談を読み解く-「海兵隊=抑止力」は真実か?>
http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=235&p=3
著者:屋良 朝博(やら ともひろ)フリーランスライター
1962年北谷町生まれ。フリーランスライター。
フィリピン大学を卒業後、沖縄タイムス社で基地問題担当、
東京支社、論説委員、社会部長などを務め2012年6月退社。
「砂上の同盟」で平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞。
翁長・菅会談を読み解く-「海兵隊=抑止力」は真実か?
4月5日、翁長雄志知事と菅義偉官房長官が対面した。翁長知事と菅長官の発言を見比べて、基地問題の背景とその深層に迫ってみたい。
知事はまず自身の政治スタンスを説明する中で、「私の政治経歴から日米安保体制が重要だと理解しています」と切り出した。政府を議論の土俵に乗せようという試みだ。なぜなら本土の政治エリートは、基地問題の「き」の字を出しただけで、反安保、反基地、反米といった政治思想のレッテルをぺたぺた貼り、議論する土台すら見つけようとしない。政府はいま翁長県政を「反基地」と決めつけて対話の扉を閉ざしている。
例えば、中谷元防衛相が3月13日の定例会見で、「知事のコメントを聞いていると(辺野古の埋め立て)工事を阻止するということしか言われていない。もう少し、沖縄県のことや日本の安全保障、そういう点を踏まえてお考えを頂きたい」「日本国民全体で負担する中で日本の安全保障、日米安保体制、日米同盟をしっかりやっていただきたい」と批判した。
沖縄の民意はひとりよがりだ、と言わんばかりだ。翁長知事は「戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある」と述べた。この「無念さ」を中谷防衛相らは理解できないだろう。無念さ、とは何か。知事は菅長官との会談で沖縄の歴史を紐解いた。
沖縄の米軍基地は日本が突入していった第二次世界大戦に起因する。地形が変わるほどの爆撃を受けた沖縄では米軍が住民を強制収容所に囲い込み、基地を造るために土地を奪い取った。いま沖縄本島を見渡したとき、中南部の平たんな土地に米軍基地が広がるのは土地強奪によるものだ。翁長知事は「今日まで沖縄が自ら基地を提供したことはない」と強調した。
敗戦後の日本は米国を中心とした連合国軍によって占領され、1952年のサンフランシスコ平和条約で独立を取り戻す。しかし沖縄だけは日本から分離され、米軍統治下に置かれた。いわば日本独立の人身御供にされた。それだけではなく、50年代から60年代にかけて本土で反基地運動が激しくなる中で、米軍は基地の存在を日本人の目から遠ざけようと考え、沖縄に基地を集中させていった。
いま沖縄の米軍基地の7割を占有する海兵隊が本土から沖縄に移駐したのもその時期だ。海兵隊は1953年、北朝鮮を警戒するために岐阜県、山梨県に配備された。朝鮮戦争が休戦となり、チャールス・ウィルソン米国防長官の一存で海兵隊は岐阜、山梨から沖縄への移駐が決定した。朝鮮半島から遠い沖縄に移転しても、当時の沖縄には海兵隊を出撃させる輸送船も輸送機もなかった。とても戦略的、軍事的な理由ではなかった。それは米国防総省、陸軍省が海兵隊の沖縄配備に反対していたことから明らかだ。陸軍が反対した理由は、アジア太平洋地域に抑止力を効かすなら、小さな組織の海兵隊よりも陸軍の方が効果的だ、と考えたからだ。現在の兵力比較で見ると、海兵隊は陸軍の半分以下であり、組織的にも海軍の一部という位置づけになっている。
海兵隊は1990年代初頭まで自前の輸送手段を持っていなかった。緊急事態で出動する場合、米本国からの輸送船、大型輸送機を待つしかなかった。現在は長崎県佐世保に海軍の強襲揚陸艦が配備されているが、それは兵員2200人だけしか運べず、「張り子の虎」と評する軍事専門家もいる。
1956年に海兵隊は沖縄に移駐した。そのころ日本は戦後復興を終えて、経済は高度成長へ向け離陸したころだった。56年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、本土は経済発展を甘受していった。その時、沖縄では海兵隊の移駐で新たな基地用地が必要となり、米軍は銃剣で住民を追い払い、ブルドーザーで家屋を押し潰していった。「銃剣とブルドーザー」。海兵隊の沖縄移転は、本土は経済発展、沖縄は安保負担という仕分けが出来上がった象徴ともいえる。
沖縄は27年間の米軍圧政下に置かれ、1972年にようやく日本復帰できたかと思いきや、基地の重圧は一向に軽くならなかった。
翁長知事の「無念さ」はこうした沖縄の戦後史に根ざすのだろう。菅長官へ向けた言葉も厳しかった。「自ら奪っておいて、県民に大変な苦しいを今日まで与えて、普天間が大変だからその危険性の除去のために沖縄が負担しろ、と。(反対する)お前たちは代替案を持っているのか、日本の安全保障をどう考えるんだ、と。こういった話がなされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか」。
政治の堕落。きつい言葉だ。恐らくこれは辺野古埋め立てに賛成した仲井真弘多前知事、自民党沖縄県連の国会議員、県議会議員のすべてに向けられているのだろう。選挙のときは票が欲しいから普天間の「県外移設」を公約し、当選したらあっさり公約を破棄して平気でいられる。これは政治の詐欺行為に等しい。堕落どころか犯罪だと思うのだがどうだろうか。
しかもいくら政治が妥協の産物だとしても、安保の負担をこれほど押しつけられた沖縄がさらに辺野古埋め立てを受け入れなければならない理由がまったく分からない。
菅官房長官は翁長知事にこう説明した。「わが国を取り巻く安全保障環境、極めて厳しい中にあって、まさに沖縄県民のみなさん方々を含めて国民の安全を護るのは国の責務だという風に思っている。日米同盟の抑止力の維持と(普天間の)危険除去、こうしたことを考えたときに、辺野古移設というのは唯一の解決策であると政府は考えています」。
日本周辺の安保環境が悪化している―。日米同盟の抑止力を維持しなければならない。そして普天間返還も実現させたい。だから辺野古しかない、という主張である。もっともらしく聞こえるが、果たしてその説明は論理的なのだろうか。
まず普天間飛行場を使っているのは海兵隊であることを踏まえておきたい。海兵隊は沖縄に駐留する米軍兵力の6割を占め、基地も既述の通り7割強を占有している。仮に海兵隊が沖縄から出て行くと、残るのは極東最大の空軍嘉手納基地、海軍ホワイトビーチ(うるま市勝連)、陸軍トリイ通信基地(読谷村)くらいだ。これだけ残して海兵隊が沖縄から仮に本土に移転したら、抑止力が大きく低下するのだろうか。まったく心配無用だ。
なぜなら既述の通り、海兵隊が出撃するときの輸送手段は艦船か輸送機だが、そのいずれも沖縄には存在していないからだ。艦船は長崎県佐世保港であり、輸送機は米本国から飛んでくるのを待つしかない。政府は沖縄に海兵隊が駐留する理由について、沖縄なら北朝鮮と台湾海峡の両方を同時に警戒し、対処できるいいポジションにある、と説明するが、それも信憑性が薄い。
ネット地球儀で距離を測ってみれば一目瞭然だ。沖縄から北朝鮮の首都平壌まで約1416㎞、台湾の台北までは645㎞で合わせて2051㎞の長さがある。これが海兵隊にとってどう有効なのだろうか。
他地域と比較すると、長崎県佐世保から平壌まで740㎞、台北まで1200㎞で計1940㎞、佐賀県は平壌までが770㎞、台北が1232㎞で計2002㎞、福岡だと計2006㎞になる。いずれも沖縄より合計距離が短いのだ。すると移動距離は沖縄が取り立てて好条件にあるとは言えないだろう。いずれかに近ければ、他方からは遠いのだから、沖縄が両方に対して適地であるとする説明に説得力はない。熊本も2054㎞だから沖縄と3㎞しか変わらない。
仮に朝鮮半島で北朝鮮が暴走した場合、海兵隊を運ぶ船が佐世保で錨を上げて出港し、沖縄に南下して兵員と物資を載せて、再び北上しなければならない。これは合理的な部隊配置なのか。
森本敏元防衛相は3月29日のNHK日曜討論で、海兵隊は日本の西海、九州か、四国のどこかに1万人が常時いて、地上、ヘリコプター、後方支援の機能を包含できればいい、と語った。日本屈指の安保専門家で防衛大臣まで務めた森本氏がそう証言したのだから反論できる政治家や専門家がいれば話を聞いてみたいものだ。
海兵隊は本土でも機能を維持できることは常識となったいまも「県外移転」が選択肢として話題に上がらず、沖縄内の問題処理が「唯一の解決策」となるのだろうか。それは翁長知事が指摘したように「日本の政治が堕落している」からだろう。中谷防衛相が知事を批判したのは、天に唾する行為だ。日米安保の重要性を認識し、自身の選挙区である高知県に海兵隊を受け入れる覚悟が中谷大臣にあるだろうか。中谷大臣自身、大学生のインタビューに答えて、海兵隊は本土に駐留してもいいのだが、どこも受け入れない、と真実を明かしている。インタビューは動画サイトで閲覧可能だ。
▼ぼくらが見にいく!在日米軍基地 沖縄に行ってきた!
https://www.youtube.com/watch?v=hjA9xI8jJGw
いま中谷防衛相と同じような心ない見方が一部の言論界にはびこっている。安保だ、抑止力だといった言葉を使えば優越感に浸っていられるのだろうか、辺野古に反対する沖縄人を幼稚だと決めつける。そして上から目線で諭すように、「もっと日本の安保、抑止力を理解してね」と言う。
菅長官は沖縄の負担軽減についてこう語った。「空中空輸機15機全部を昨年、山口県の岩国飛行場に移した。緊急時における航空機の受け入れ機能も九州へ移す予定で話を進めている。結果的に辺野古に移転するのはオスプレイなどの運用機能だけだ。オスプレイの訓練についても本土でできる限り受けたいと思っている」。いっそのこと森本氏が語るように海兵隊すべてを持っていけば話は早いだろうに。
菅長官は続けて、海兵隊の約半分に当たる9000人がグアムなどへ分散配置する日米合意についても触れた。この米軍再編をどう分析するかが重要なのだが、日本のメディアはほとんどそれを怠っている。海兵隊の兵力が半減されることと、「抑止力の維持」は矛盾してはないか。にもかかわらず普天間が沖縄基地の解決策であり、日米同盟を維持するために必要であると書く全国メディアがあるが、恐らく彼らは海兵隊のなんたるかをまったく理解していないだろう。
政府は尖閣諸島をめぐる中国との対立を引き合いに沖縄米軍基地の重要性を強調する。菅長官は「昨日も尖閣諸島に公船が侵入しておりました」と翁長知事に伝えた。それほど頻繁に中国の公船が近づくなら、日米同盟の抑止力はどうなっているのか。米国政府は無人島の尖閣を奪い合うため若い米兵の命を危険に晒すことを「バカげている」と考えている(ジェフリー・ベーダー元アメリカ国家安全保会議アジア上級部長)。仮に尖閣防衛で日米同盟が発動しても、離島奪還は海兵隊の仕事ではない(在沖米海兵隊ウィスラー司令官、2014年4月)。制空権と制海権を維持していれば敵は島に近寄れないし、上陸したとしても輸送路を断てば兵糧攻めで事足りる。それは空軍、海軍の仕事であり、地上戦力の海兵隊ではない。
ことほどさように政府の説明は疑わしい。それでも政府は圧倒的な宣伝力で尖閣防衛のために沖縄基地が重要だと国民に思い込ませ、辺野古埋め立てに異を唱える沖縄が孤立するように仕向ける。だから権力は怖い。本来ならメディアが権力を監視する役割を果たすべきだが、こと日米同盟、基地問題になるとその機能が発揮されない。
沖縄基地の真相は、在沖米軍の中で最大兵力、最大の基地面積を占める海兵隊は沖縄でなくても機能するが、日本国内では米軍の駐留を拒否する-ということが沖縄基地問題の深層に隠されている。真実を見えなくするマジックワードが「抑止力」である。
同盟は大事だと言いながら基地負担を沖縄だけに押しつける。そして基地問題にあえぐ沖縄に対し、「もっと安保の大切さを考えてほしい」と詐欺師のような言説が氾濫する。
沖縄はこうした諸々の無理解、レッテル貼りと対峙しなくてはならない。難儀なことだが、自民党県連幹事長を務めた翁長知事が政府を議論の土俵に乗せることができれば、沖縄基地問題の本当の姿が見えてくるかもしれない。問題解決はその向こう側にある。
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