公開日:2019/06/1•更新日:2023/06/26
◆客坊・宿坊
2019/5月31日、たまたま居合わせた墓石工事の方にお話を伺ったところ、
「昔の正福寺は寺というよりもむしろ『坊』のような所だったと聞いている。また、大師堂の隣の墓地は共同墓地となっており、それぞれ檀家の寺院を持っている。キリスト教の墓石もある」とのことでした(実際がありました)。
また、「この地域(樋堀)には、古くは源平合戦で敗れた平家、武田家などの落ち武者?が土着して農家になった家もあると聞いている」とも仰っていました。真偽のほどはわかりません。
※坊とは、僧侶の住まいのこと。客坊、宿坊など。
ということは、昔の正福寺は住職のいない最勝院の末寺、というよりもむしろ客坊・宿坊のような所だったのかも知れません。そのため、数日間も宿泊・逗留できたのではないでしょうか。そして、その間、地域の布教活動を行なっていた、と考えるほうが自然です。そして、大師信仰のために伝説も残した、と。(あくまでも個人的な考えですが)
大正12年の関東大震災の被害による倒壊にも拘らず地域の方々の力で短期間で大師堂が再建されたことを思うと、この地域の人々の篤い信仰心を感じさせます。
境内の片隅には、関東大震災の被災と大師堂再建の記念碑があります。
カビがひどくて判読はかなり大変でしたが、なんとか。
大師堂建築記念碑
遠ク古ヨリ祖先傅来ノ朝夕共ニ守護シテ崇拝スル當字大師堂モ大正拾貳年九月一日 古今未曽有ノ関東大震災ニテ流石 大帝都モ武蔵原野ト化シタル時 當大師モ不幸ニシテ其ノ難ニアヒ倒壊スルノ止ムナキニ至リ惨々タル状態ト化ス 吾々信者ハ失望其ノ極ニ達シ如何共スル不能ルニ至ル内外恐ルベシ被害ノ甚大ニシテ進退殊ニ極マル此時ニ当リ裏面記載◻︎建築世話人ハ奮然シテ私ヲ不顧 是◻︎◻︎再建ヲ計リ幾多犠牲ノ拂ヒ努力以ニ最後ノ目的ヲ達スルニ一大決定ヲ以テ邁進シ遂ニ協議ニ確然トシテ成立ス 同時ニ工事ニ着手ス瞬時ニヲイテ信者各位熟成ナル同情ニヨリ奉納者モ続出シ為ニ豫想外ノ額ニ達シ短月日ニシテ落成式ヲ挙グ是レ偏ニ大師ノ霊験ナリ 区民並ニ建築世話人ノ一心協力全力ヲ傾注シタル結果ニシテ遂ニ其功ヲ奉シタル次第ナリ 依テ同志ハ是レヲ将来ニ記念スベク此ノ碑ヲ由因ナリ
昭和五年一月吉日 建之
◻︎はカビがひどくて判読不能の箇所、また、他所にも少しあやしい箇所もありますが、ご容赦ください。なお、裏面は全く読めません。
鰐口と梵鐘
鰐口
なお、大師堂には樋堀村の村民が奉納した鰐口が残っています。直径三六㌢の小形なものです。
肉眼では確認できませんでしたが、「厄除弘法大師当村中嘉永六癸丑年(1853)九月吉祥日 武州樋堀村 正福寺住法印鏡代」の銘が刻まれているそうです。
梵鐘
弘法大師像
水子、子育地蔵尊
手水鉢の蛇口部分だけが古い
いずれにしても、樋堀大師は昔から厄除大師として多くの参詣人を集めており、戦前までは御開帳の日には樋堀地内に屋台、露店、見世物小屋等が出て大変な賑いであったといわれています。
なお、現在は、樋堀の町内会役員等によって御開帳は厄除大師祭として行なわれています。毎年の4月には忘れずに行こうと思います。
終わり
【樋堀大師】