秋晴れの空の下 今日もえいちあーる亭 亭主は、
最近とみに体調のよくなった義母へ、様子見をかねて食材を届けに自転車で走る。
今日は株式市場もお休みとあってちょいと遠回りして帰ろうかと思った私。
路地を抜けるとお墓の隣には大きな駐車場、昔ここは原っぱだった
原っぱのの向こうには大きな池があって亀もいたっけ
夏、陣取りで草むらにひそんだときのむせ返るような草いきれ
秋は枯れ草をかき分けてコオロギを探す、池ではフナを釣ったりゲンゴロウを捕まえたり
亀は見つけても池の主ということで大事にされていた、パンくずをあげたおぼえがある私。
誰のものでもないように思えたあの原っぱ、や池
そして今なら考えられない大雨が降ると水没する通学路、しかも片側は柵のない用水路
誰も死んだりしなかったからあの頃の小学生はたくましかったんだろう
用水路なんか柵がなくて当たり前、そして空き地や池や材木置き場どこもみんなの遊び場
権利や責任がうやむやな時代がたしかにあった。もし怪我をしてもそれは自分が悪い、
土地の所有者に文句を言うばかな親もいなかった
翻って今を見るなら、原っぱがあっても鉄条網で仕切られて立ち入り禁止
入り込まれて怪我でもされた日にはどーするのあんた という風情
さらには、水没する用水路脇の通学路なんぞ放置して置こうものなら市の関係者の首が飛ぶ
個人の権利がいつの間に暴走し始めたのか
押し寄せる権利意識にはここから先は自己責任と物理的、法律的柵を張って引きこもるしかないわけで
権利と義務と責任は三位一体のはず
駆け抜けて来た時代のどこかに義務を置き忘れてきたような気がする私。
思い出の風景をたどって このとげとげしい時代に生きることの意味を探る
自分のことは棚に上げて今日は少々お疲れの風情の えいちあーる亭 亭主でした
♪人の心は温かいのさ 明日はも一度ふれたいな 独り言です気に留めないで 時にはこんなに思うけど
明日になればいつものように 心を、閉ざしているボクさ
- 吉田拓郎 どうしてこんなに悲しいんだろうより -