薬屋のおやじのボヤキ

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“働く”とは、“ハタをラクにできて、うれしい!”これが日本人高齢者の労働感のはずなのですが

2011年12月19日 | よもやま話

“働く”とは、“ハタをラクにできて、うれしい!”これが日本人高齢者の労働感のはずなのですが

 “団塊の世代”という言葉を創られた境屋太一さんが、(6年前に)次のような話をされていました。「彼らは間もなく定年になるが、70歳まで働こうとしている。昔は若者の仕事であったタクシー運転手が良い例。60歳から働く職場がますます出てくるであろう。」
 団塊の世代の小生は、薬屋稼業という定年のない仕事ですから、生涯現役を決め込んでいますが、周りを見ると、甚だ疑問です。60歳の定年で、いや、その前に勧奨退職で楽隠居しようとしている輩がけっこう多いようですし、再就職先とて、あるのかな?
 あれから6年経った今、境屋太一さんがおっしゃったようには、どうもなっていない感じがします。時の政権は何をしてきたのか。団塊世代の働き場づくりをしてきたのか。早急に、これをやっていただかないと、年金問題が根本的に解決しません。

 さて、“働く”とは、どういうことでしょうか。
 米国では“成功への道”という考えが強い感じがします。フロンティア・スピリット=開拓者魂が、今でも生きているお国柄です。基本的に定年制はなく、60歳を過ぎても“まだまだこれから”という意気込みがある米国です。米国の繁栄は、ここにあるのでしょうね。
 その良い例が、ケンタッキー・フライドチキンの店頭に立っている、あのお爺さん。
 彼は田舎での食堂経営に行き詰まり、やむなく廃業。車1台でのフライドチキン売りを始めたのが60歳。それが、90歳で世界中にチェーン店を持つに至ったのです。米国では、こうした成功物語を“アメリカン・ドリーム”として
、皆で拍手喝采する風潮があります。

 一方、欧州では、これを“いい歳こいて、何を…”という受け止め方をするようです。
 欧州人は、定年を過ぎたら、決して働こうとはしません。
 “働くことは卑しいこと”という考えで凝り固まっているようです。
 これは、古代ギリシャ市民がそもそもの始まり。“働くのは奴隷”で、市民は資産管理をしておればよい。じゃあ、資産を無くした市民はどうしたか。“卑しい労働なるものは死んでもイヤ。ルンペンでいい。”と、街中に乞食があふれ、やがて滅亡しました。
 古代ローマも奴隷制で支えられていましたし、欧州の中世は“農奴=農民奴隷”の時代です。近代になって、産業革命が起きて“農奴”は解放されたものの、一部の資本家が財を成しただけで、一般大衆は“奴隷並みの過酷な低賃金労働”を強いられました。
 こうして、欧州では、2千年以上にわたり、“働く”ということは“奴隷の仕事”という意識が心に染み込んだ文化を持っているのです。
 ですから、一般大衆も豊かになった今日にあっては、定年後は、“一切の労働から解放され、上流階級並みに遊び呆ける”しか、選択の余地がないのでしょうね。

 さて、我々“団塊の世代”が欧州の人間と同様のことをしたら、どうなるのか。
 小学校の算数で分かります。我々の子や孫たちに膨大な掛金を払わせるために“過酷な奴隷労働”を強いることになるのです。なかなか死なない“団塊の世代”ですからね。

 欧州の不幸な奴隷の歴史を経験していない日本人です。よって、“働く”ことは“美徳”として称えられます。素晴らしい文化を持った数少ない国、日本です。
 それを、今、なぜに“卑しい”という文化に染めねばならないのでしょうか。

 日本の言葉は、よくできています。“働く=ハタラク”とは、“ハタをラク”にするという意味になっています。社会が、家族が、皆、“楽”になるよう、ハタラクのです。
 80歳、90歳のヨボヨボ爺さん、婆さんになっても、“ハタをラク”にする事を見つけ出すことです。どんなお年寄りにも、何かそうしたものがあるはずです。
 少しでも“ハタをラク”にできれば、こんなうれしいことはないでしょう。
 お年寄り皆が、そう努力することによって、はじめて若者に“敬老”という気持ちが湧いてくることでしょう。そうすれば、素晴らしい若者ばかりになります。おかしな若者は一人もいなくなり、明るい日本の将来が保障されること間違いないでしょう。

 欧州人のように、年金で遊び呆けりゃ、行き着く先は、痴呆です。アルツハイマー、ボケ老人になるしかないです。老人医療費、介護費も膨大になります。社会も、家族も、皆、苦しめられます。“ハタ迷惑”な話ですよね。街中に痴呆老人があふれ、やがて滅亡しましたでは、古代ギリシャ以上に、日本は後世の笑い者にされてしまいます。
 そうならないようにするためには、特に“団塊の世代”にあっては、死ぬまで“ハタラク”努力をする覚悟を早急に持たなければなりませんよね。

 これは、何も難しいことではないでしょう。すでに、こうした取り組みは、違った形で進められています。長野県で発祥した“PPK=ピンピンコロリ”運動がそうです。
 “団塊の世代”の1世代上の方々が、“いつまでもピンピン。95歳で脳血管障害でコロリと死のう!”を合言葉にして頑張っておられるのですから。
 なお、PPKの詳細については、このブログの過去記事「TPPとPPK」をご覧ください。

(この記事は、当店「生涯現役新聞」2005年11月号を一部改変したものです。)

関連記事: 働くとは、卑しい?美徳?年金制度を考える

 

  


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