人生100歳時代、「長寿頌」と「長寿の心得」、思わず笑っちゃいます
「長寿頌」については、このブログで2回紹介し、小生がとても気に入っている言葉です。ホームページでも、それを写真にして掲げています。
長 寿 頌(しょう)
一、人生は六十歳から長寿
二、七十歳にしてお迎えが来るときは留守といえ
三、八十歳にしてお迎えが来るときはまだまだ早すぎるといえ
四、九十歳にしてお迎えが来るときは左様にせかずともよいといえ
五、百歳にしてお迎えが来るときは時機を見てこちらからぼつぼつ行くといえ
(岐阜県各務原市川島町にある「エーザイ」川島工場に併設されている「くすり博物館」に、これを書いた大きな額が掲げられています。出典不明)
これとよく似たものがあることを今日、知りました。全国たばこ新聞(2018.6.25)に次のとおり紹介されていたのです。
長寿の心得(作者不明)
【還暦】60歳でお迎えが来た時は、留守と云え
【古希】70歳でお迎えが来た時は、まだまだ早いと云え
【喜寿】77歳でお迎えが来た時は、せくな 老楽これからよと云え
【傘寿】80歳でお迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立つと云え
【米寿】88歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え
【卒寿】90歳でお迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え
【白寿】99歳でお迎えが来た時は、頃を見てボツボツ行くと云え
いやーあ、これも傑作ですね。たぶん長寿頌をもじって、それぞれの長寿祝いの年齢になったときの心得を説いたものでしょう。
小生はあと2か月で古希の祝いとなりますが、還暦の祝いは当然にパスしました。古希の祝いは「長寿頌」の70歳時のとおり「留守といえ」に従い、これまたパス。
次の喜寿は、ここに紹介した「長寿の心得」のとおり「せくな 老楽これからよ」でいきたいものですし、傘寿も同様に「なんのまだまだ役に立つ」と、80歳になってもまだまだブログ記事を書き続けていたいものです。
当ブログ、末永く、この先少なくとも10年はご愛読くださいませ。
ひょっとして、その前にピンピンコロリと逝くかもしれませんが。小生はそれを熱望しているのですが、非常に高い確率で「長寿頌」の「百歳にして…」となりそうだと娘にしっかり言われています。そうは長く生きたくないものですが、一人一人の寿命というものは予測不可能ですから、どう転ぶか全くわかりません。
そうしたことから、いつお迎えが来てもいいように、「一日一日を坦々と生きる」、これしかないと思っているこの頃です。
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