薬屋のおやじのボヤキ

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「後期高齢者」の次は「終期高齢者」その次は「末期高齢者」となりゃせんか

2023年12月23日 | やがて訪れる死に備えて

(別立てブログ“一日一楽日記”に昨日投稿した記事をこのブログに再掲しました。)

「後期高齢者」の次は「終期高齢者」その次は「末期高齢者」となりゃせんか

 65歳以降を「高齢者」というが、いつからこのように言われるようになったのかを、Bingチャットに聞いてみたら、次のようであった。
 65歳以上を「高齢者」として区分することは、1956年に国際連合が提出した「人口高齢化とその経済的・社会的意味」という報告書によるものです。
 ついでに「後期高齢者」という言葉についても聞いてみた。
 2008年(平成20年)に施行された「高齢者の医療の確保に関する法律」を根拠法とする日本の医療保険制度である「後期高齢者医療制度」の創設とともに生まれました。

 今度はウイキペディアで「高齢者」を見たら、なんと聞いたことない言葉が出ていた。
 65~74歳を前期高齢者(准高齢者)、75~84歳を中期高齢者と呼ぶこともある。

 となると、狭い意味での「後期高齢者」は85歳以上を言うことになるのか?
 これじゃあ、ややこしい。
 「高齢者」と「後期高齢者」の年齢がいくつなのかは、世間一般に知れ渡っているのだから、年齢階層別の呼び名はすっきりと分かりやすいものにしたい。

 人生100年時代になったのだから、「後期高齢者」は75歳もいれば85歳もおり、95歳だって随分といるという世の中になる。小生のように団塊世代ともなると、あと20年生きて95歳になる輩は今の倍になりゃせんか。
 実に厄介者である団塊世代。今は75歳前後で、まだまだ元気な輩が多く、介護を必要とする御仁は少数派だが、たいていの者は医療費をけっこう使い始める。小生とてそうだ。
 10年後、20年後はどうなるか。考えるだけで末恐ろしいが、少し考えてみた。
 75歳「後期高齢者」ともなれば、たいていは隠居生活となり厄介者となるから、“はよう死ね!”と言われても文句は言えない。
 85歳ともなれば、介護を必要とする者がうんと増えて、“いつまで生きとるんや!”と叱られても文句は言えない。このころからボケ老人がぐーんと増えるから始末が悪い。
 95歳ともなれば、たいていは寝たきりとなり、施設への収容もままならず、“いいかげんに逝け!”と罵声を浴びせられても文句は言えない。

 こうしたことから、年齢階層別の呼び名は次のようにしてはどうだろう。
  75~84歳 後期高齢者
  85~94歳 終期高齢者
  95歳~  末期高齢者

 今75歳前後の団塊世代は長生きせんほうがええ。「後期高齢者」という言葉のイメージは悪い、そう年寄りどもから言われ続けて久しいが、10年後、20年後にはもっと悪いイメージの言葉が誕生せやせんか。それを先取りした呼び名が頭に浮かんだ次第。
 
 人生、経験すべきことは、何事も早いに越したことはない。人より遅れると貧乏くじを引かされるのがおちである。特に団塊世代は人数が多いから、ことごとくそうであった。
 “早いもん勝ち!”なのである。現世からおさらばするのも“早いもん勝ち!”
 あの世行きの便に乗り遅れると…その後を考えるとゾッとする。  

 先日、義弟の葬儀に行ってきたが、彼は76歳であった。親類縁者に悲しまれ、“ありがとう”の言葉もかけてもらえ、彼は幸せだった。これも“早いもん勝ち!”であったからだ。
 小生も85歳になる前に逝きたいものだ。「終期高齢者」になる前に。そうすりゃあ、滑り込みセーフでぎりぎり“早いもん勝ち!”の部類に入りゃせんか。「前立腺がんと共に生き、がんと共に死ぬ」とばかり、無治療でいくと決め込んでいるのだが、前立腺がんは進行がとんと遅いから、どうやら“早いもん勝ち!”となれるのは随分と怪しいものとなりそうだ。弱った!

 今日は、泌尿器科のかかりつけ医へ、まだ小便の出を良くする薬が残っているも、年末は混むだろうからと、早めに行ってきた。また、12月1日にM総合病院の医師に「前立腺がんはなんら治療せず」でお願いしたいと要望し、それが認められ、その旨をかかりつけ医に手紙を書いておくとのことであったから、かかりつけ医にも、それをお願いしたいこともあって、今日、行ってきたところである。話は1分で終わり、「前立腺がんはなんら治療せず」でいくことが決定した。
 これで、一区切りついた。「がんと共に生き、がんと共に死ぬ」という方向性が決まったところで、以上のとおり「終期高齢者」「末期高齢者」という言葉がフッと頭に浮かんできた。年齢階層別の新たな呼び名ができる前に“早いもん勝ち!”したいものである。

 小生の座右の銘は、ガンジーの言葉「明日死ぬと思って生きなさい。(この続きがあるが省略)」であり、日々の心構えは「赤秋(せきしゅう:青春に相対する言葉)時代を坦々と生きる」としている。蓮如上人の御文「白骨の章」で「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」とあるように、早々にピンピンコロリと逝きたいものであり、“まだ死にとうない”などと決して悪あがきしてはならないのである。
 しかしながら、生老病死は四苦(苦は「苦しみ」という意味ではなくて「自分の思うようにならない」)であるからして、お迎えは遠い遠い未来に先延ばしされるやもしれぬ。如何ともし難いのが死の訪れというものだ。

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