薬屋のおやじのボヤキ

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“ケセラセラ”の人生、あるいは“為せば成る”の人生、どちらを選びますか。

2014年08月21日 | 心に安らぎを

“ケセラセラ”の人生、あるいは“為せば成る”の人生、どちらを選びますか。 

 ブログを見て健康相談をしてくださった72歳の女性は、メッセージの中で、“何があってもケセラセラでやってきた私…”とおっしゃっておられました。ケセラセラとは「なるようになるさ」という意味です。
 一方、小生が若かりし頃に好きだった言葉は、今は亡き親父から授かった米沢藩主の上杉鷹山の名言である「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」です。不可能と思えることであっても果敢に立ち向かって努力を積み重ねれば必ず“成る”というものです。過去にNHKで放映された「プロジェクトX」みたいなものです。

 ここでちょっと脱線しますが、この言葉は武田信玄の名言「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ」の言い回しを、和歌調にして語呂がいいようにし、また、すっきりさせたものと思われます。
 ところで、これはどうでもいいことですが、国宝「上杉家文書」の中の「上杉鷹山書状」(写真)を見てみると、「為」は使っておらず「成」(ウイキペフィアの解説では「生」)と読め、その“書き下し”では「成」にされています。さらに文末の「なりけり」は、ひらがなであったり「成りけり」であったりし、随分と文字表記が混乱しています。まあ、これは当時の時代にあっては、文字で見るよりも言葉で聞くことの方が圧倒的に多かったでしょうから、のちほど文字に書きとめておく場合になって深く考えずに当て字にしたからでしょう。なお、写真から判読するに、ひらがなの「ぬ」は本来は「奴」の崩し文字ですが、「怒」と書いているとしか思えず、人によってどんな文字を使うかは好みがあったと思ってよいのではないでしょうか。最近、古文書の原本に若干興味を持ち始めた小生ですが、鷹山の名言は原本の文字にとらわれず、文意を考えて「成」と「為」を正しく表記した方がいいでしょう。
 ついでながら、ケセラセラの日本語訳は「なるようになる」が多いですが、末尾に「さ」を付けた方がイメージ的に合うような気がしますし、漢字交じりにして
「成るように成るさ」と表記した方がいいような気がします。

 さて、小生は既に高齢者となりましたので、心身ともにもう若くはなく、上杉鷹山の言葉はあまりに重たすぎて耐えられなくなりました。そこで助け舟。いい処世術があります。
 故・小林正観さんは、その著書(「究極の損得勘定」:宝来社)の中で、上杉鷹山のこの言葉を取り上げて、次のようにおっしゃっておられます。

(上杉鷹山の…成せば成る…)という言葉は、日本の軍人がずいぶんと好んだ言葉でした。ただ、自分の力だけを信じて、自分以外の人・物・現象を信じない、感謝もしない人は「ばかみ隊」(バカみたい)かもしれません。
 「努力」の「努」という文字は、奴隷の「奴」に「力」ですから、嫌がる者にむりやり力を出させるという意味をもつ象形文字です。嫌だ嫌だと思いながらやっているので、その想念が宇宙に向かって飛び交います。すると、宇宙が敵に回る。(ただし)好きでやっていることは、(他人から見ると努力しているように見えても)「努力」と言いません。
 自分がありとあらゆる友人知人の世話になりながら生きているとき、その人たちの協力の下で初めて成り立っている、「私」なんか、「ちょっとある」のではなくて「ほとんどない」のでもなくて「まったくない」。全部お陰様であるということに気がついてしまったら、いつもニコニコしながら「ありがとう、ありがとう」と言うことになります。その「ありがとう」を言われた人はみんな「私」の味方になってくれる。
 だから、自分の努力はどうでもいいから、持っているエネルギーすべて「ありがとう」に使った方が得、というのが私の結論です。
 (引用ここまで)[注:文中の「( )」は、引用者が挿入]

 この小林正観さんの結論は、極端すぎて着いていけない面がありますが、“さもありなん。少しはそうした考えを取り入れねば。”と真面目に捉えているこの頃です。

 ここで、冒頭の「ケセラセラ」について少々解説しておきましょう。この言葉はスペイン語「Que sera sera」で、1956年、世界的に一気に知れ渡りました。ヒッチコック監督のサスペンス映画「知りすぎた男」の中でドリス・デイが歌っている主題歌でして、アカデミー歌曲賞を受賞しています。メロディーがとってもいい曲ですよね。
 ところで、「成るように成るさ」とよく似た言葉が日本の歌謡曲にも出てきます。これも映画の主題歌になって大ヒットしました。1964年、映画「ホラ吹き太閤記」の中で植木等が歌っている「だまって俺について来い」(作詞:青島幸男)の歌詞です。
 ♪銭のないやつ…、彼女のないやつ…、仕事のないやつ…、(それぞれに続く最後の言葉が)「そのうちなんとかなるだろう(笑)」
 「成るように成るさ」も「なんとか成るさ」も、小林正観さんがおっしゃるように、「ばかみ隊」のような「努力」を懸命したところでなんら解決するものではなく、自然の流れに任せておれば、時が解決してくれたり、誰かが力を貸してくれたりして、余計な努力をせずとも全ての問題は解決する(成る)ということを言っています。
 “人生全てこれでいいのでは”とまでは申しませんが、大きな壁にぶち当たったとき、自分が押し潰されそうになったとき、もはや逃げ道がなくなってしまったとき、などなど、どうにもならなくなったときには、考え方を180度転換するべきでしょうね。
 ストレスの源は、「これを実現したい」「こうでなければならない」という「思い」「こだわり」「執着」だと、小林正観さんがおっしゃっておられますが、たいていは「成るように成らない」ことを追求し続けるあまり、最後にはストレスが元で心身を壊すのがおちです。

 でも、早々にあきらめたり、逃げ出したくないとおっしゃる向きには、次のような言葉もありますから、それに従ってみてください。
 テレビ・アニメで有名な「とんちの一休さん」の名せりふです。
 「あわてない あわてない 一休み 一休み」
 これは、緊急に対応策を取らねばならない事態が生じたときであっても、あせっては何も知恵は出て来ないから、ここは一つ気分をリラックスさせて平静さを取り戻し、じっくり考えてみましょう、ということでしょうね。

 さあ皆さん、あなたは、“ケセラセラ”の人生、あるいは“為せば成る”の人生、どちらを選びますか。
 一休さんじゃないですが、“一休み 一休み”して、じっくりお考えなさってください。


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