大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

観た映画―「虎狼の血」

2018-05-23 19:50:02 | 日記
ヤクザ映画を観ました、という話を書く前振りみたいに書くのは失礼だし、けっしてそういう意味ではないのですが、今日、大分県公嘱協会の公開セミナーで山野目章夫早大教授の講義を聞いた話をまず書きます。
「所有者不明土地」問題について、特に「所有者不明土地特措法」について、とてもホットなお話を聞けて、とても勉強になりました。なにしろ、昨日衆議院国土建設委員以下の審議に参考人として出席されてきた翌日の話、ということで、このような機会を得られることはめったにないことなのだと感謝に堪えないところです。(帰ってから、衆議院の審議状況を観てみました。たしかに山野目教授が、今日の3時間の話の要点を9分間で話していただいていて、この要点を聞くとあらためて今日の話が理解できる、というものです。是非見てみてください。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=48180&media_type=)
いろいろと勉強になったことがあるのですが、特に(本題とはちょっと離れますが)二つのことが印象的だったので、それについて。
一つは、「所有者不明」の場合の「収用」に関するところで、所有者を探索する方法について、旧来「地域の有力者や古老から聞く」とされているものについて、(いろいろと気に食わないところがある、とされ(そのことにとっても同意し)たうえで)今の時代にはそのような「フィールドワーク」ではなく「デスクワーク」で考えるべきだ、とされていたことです。本当にそうで、「フィールドワーク」が「デスクワーク」よりも優位なものとみなされてきたことについては、特殊な歴史的事情があるのであり、それが失われた今は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、「フィールドワークよりデスクワーク」というべきなのだと思います。
もう一つは、それこそ本題から離れる話ですが、「土地家屋調査士民族主義」を批判されていたことです。所有者不明土地問題から、「分筆をしようとする土地の隣接地の所有者が不明だった時にどうするのか?」という問題が当然に起きるわけですが、そのときに旧来の「隣接地所有者との立会による確認」ということにこだわると隘路にはまり込んでしまって、「どうにかしてくれ」という話になります。「土地家屋調査士の立会要請権の確立要求」というような話になるわけです。しかし、これはまったく的を外した話で、自分の都合によって物事を考えることの誤りだ、とされた指摘は(そのことに関わってきた者としてとても痛いし)、その通りだと再確認できるのでした。
・・・というような傍論を含めて、勉強になったお話しでした。



・・・という話をした後で書くのも気まずいのですが、そこは気にせず「本題」である「観た映画」について。
週刊誌の提灯記事に「これが『仁義なき戦い』への東映の答えだ」というような見出しで紹介されていたので、「仁義なき戦い世代」(?)の私としては観ておかなければ、ということで観ました。概要の紹介を「作品紹介」から引用すると次のものです。
昭和63年。暴力団対策法成立直前の広島・呉原―。そこは、未だ暴力団組織が割拠し、新たに進出してきた広島の巨大組織・五十子会系の「加古村組」と地場の暴力団「尾谷組」との抗争の火種が燻り始めていた。そんな中、「加古村組」関連企業の金融会社社員が失踪する。失踪を殺人事件と見たマル暴のベテラン刑事・大上と新人刑事・日岡は事件解決の為に奔走するが、やくざの抗争が正義も愛も金も、すべてを呑み込んでいく……。警察組織の目論み、大上自身に向けられた黒い疑惑、様々な欲望をもむき出しにして、暴力団と警察を巻き込んだ血で血を洗う報復合戦が起ころうとしていた……。

初めに内容とは関係のない「興行面」のことを書きますと、私が観た回は、130席の劇場で、観客4人。それも皆「仁義なき戦い世代」ですから「シニア料金」で最高でも4400円の「興行収入」です。日本映画は大丈夫なのだろうか?と、「万引き家族」のカンヌ最優秀賞受賞後も気にかかるところです。

この不安は、内容にも及びます。これが「東映の『仁義なき戦い』への答え」なのだとしたら、どうにも情けない。少なくとも、この映画が対応するのは「仁義なき戦い」ではなく「アウトレイジ」であるように思えます。
まず似ているのが、「過剰な暴力」です。次に、この「過剰な暴力」がもたらすもの、という面もあるのですが「リアリズムの欠如」です。そして、「リアリズムの欠如」というのは、社会的現実を見つめていない、ということでもあり、それは「社会性の欠如」の原因でもあり結果でもある、と言えるものでしょう。
まったくの娯楽映画ですから、「社会性」など求めていない、と言ってしまえばそれまでですが、「現実」っぽい人たちが織りなすことを描くのがヤクザ映画ですから(昔「実録もの」というジャンルもありました)、あまりにも「現実」を踏まえない絵空事が過ぎるとシラケてしまうのです。
たとえば、まずこれはできの悪い娯楽映画においても普通はなされていることで、めちゃくちゃなことをする人間(この映画で言えば大上刑事)は、なぜそこまでめちゃくちゃをするのか、ということが普通は描かれるのですが(それがわざとらしくてウザったい、ということもありますが)、本作ではそれがありません。多分、わざとそうした、ということなのかと思いますが(それが「アウトレイジ」との類似点です)、それって微妙で難しいところから逃げただけなんじゃないかな、と思えてしまいます。
もっとも、「何故クズになったのか?」という社会的背景が問題になった時代と、トップ官僚たちもクズになって行くのが当たり前の今とでは、問題になることがそもそも違うのかもしれません。
他にも・・・、と挙げていくといくつかあるのですが、どうしても「ネタバレ」的になって今うので、この辺にしておきます。つまらない映画だったな、と思いつつ、考えさせられるところのあるものではありました。



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