大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

久しぶりに

2018-10-01 21:40:32 | 日記
浮世離れした生活をしているせいだと思いますが、このブログの更新が間遠になっています。あれこれのニュースを聞くたびに言いたいことがあり、それについて書きかけたりもしているのですが、書き終わったものをみて、そのクォリティの低さからそのままにしてしまう、ということがよくあります(もっとも、実際に掲載したものが、そのようなクォリティチェックを通過したものなのか、と言うと、なんとも言えないところがありますが・・・。)
そこでいろいろなことは気にせず、思ったことを書きます。

まずは、真面目な話。
沖縄の県知事選挙が終わりました。私としては、沖縄の人々の選択についてとやかく言うべきではないと思いつつ、それでも、玉木デニーさんの当選とういう結果については、とてもうれしく思います。強権によって人間(の尊厳を)を踏みにじろうとしたり、利益誘導で魂を買い取ろうとする人たちに対してはっきりと拒絶をつきつけたことは、近年にない喜ばしいことだと思うのです。見習わなければならないな、と(反省とともに)思うところです。

その上で、本筋と離れて行きます。選挙に関する報道を聞いていて思ったこと。
選挙報道のたびに思うことなのですが・・・・・、今回の知事選の投票率を伝えるNHKラジオの報道では次のようなことが言われていました。、「午後七時現在の投票率は21%で、前回に比べて16%低くなっています」というようなこと(数字は不正確)です。まず、「投票日当日の投票率を言って、それによって「前回との比較」をするのです。これだけを聞くと、「投票率が低いのだな」と思います。しかし、報道では、それに続けて「期日前投票で、全体のの35%の投票があり、これは前回の2倍に当たる」、ということも言われています。
これを計算すると、今回は21%+35%=56%の投票があり、前回の(21+16)+(35÷2)=55%よりも投票率が高い、ということになります。だったら、初めからそう言えばいいじゃん!と思ってしまいます。この「期日前投票の投票率抜きの投票率発表」は毎度のことで、何故あらためないのか?「期日前投票」というものにまだ馴染めていないからなのか?確立されてしまった「報道のスタイル」を変える、ということはなかなかできない、ということなのか?・・・選挙のたびに不思議に思います。

・・・という話のついでに昨日「台風報道」を聞いていて思ったこと。
今回も大きな台風が来ました。最近の報道はとても丁寧になされていて、被害の予防のために果たす役割の大きさを感じるのですが、よくわからなないのは「台風の上陸」という情報です。例えば今回の台風では、この台風は本州(和歌山)には「上陸」したことになるのですが、沖縄本島にも九州にも四国にも「上陸」はしなかった、ということになるようです。台風の中心がどこを通ったのか、ということによって「台風の上陸」の有無が判断されるようなのですが、「中心」じゃないところでも暴風があり、それが「上陸」しているのなら被害もあるわけで、「中心」の上陸をうんぬんすることって意味があるのかな?と疑問に思ってしまいます(理科系のことについては、私なんぞには到底わからない奥の深い問題があるのかな?と思ってしまって、及び腰ではあるのですが・・・)。

さらに、昨日今日に聞いた話ではありませんが、ついでにもう一つ。
東京オリンピックを2年後に控えて、さまざまなことが報道されています。私自身としては、2020年に東京でオリンピックをするということの意義がほぼ全くわからないので、何を言っても、何を思っても世間の常識とズレたことにしかならないのですが、それは別にしても、JOCの掲げる「金メダル30個」という「目標」の意味がまったくわかりません。
これは、ごくごく基本的なこととして言えば、オリンピック憲章においては「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とされているのに、「JOC」という「国家」的な組織としての「目標」が掲げられるのがおかしいのではないか、その「意味が分からん」ということでもあるのですが、まぁそういう堅苦しいことは別としても、このような「目標」のいみがわからないのです。
つい先日のアジア大会を見ても、池江璃花子さんは6個の金メダルを取っています。水泳や陸上、体操などの個人種目では複数個の「金メダル」を執ることができるのです。それに対して、野球やサッカーといった団体種目では十数人(それも高年俸の十数人)が寄ってたかって競技をしても、やっと「1個」の金メダルが取れるだけです。オリンピックで金メダルをたくさん取ることを目標にするのであれば、「9人の大谷翔平」よりも「1人の池江璃花子」を生み育てるべき、ということになります。そのようなことを意味するものでしかない「メダル目標」というのは、やはりオリンピックを「国家間の競争」に堕してしまう、はなはだ不合理なものに思えてしまうのです。

 
・・・と次々につまらないことを書きまして、だいぶクォリティを低くしたので、以降、ふたたび気軽に書いていくことにしたいと思います。
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