大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

原発ゼロ

2012-05-06 11:17:02 | インポート

日本国内で唯一運転していた北海道の泊原発が運転を停止して、稼働中の「原発ゼロ」の状態になりました。

この「原発ゼロ」の状態が、枝野経産相が言うように「一瞬」のことになるのかどうかは予断を許しませんが、いずれにしろ政府が推し進めてきた「原発再稼働」へ向けての動きが、その思惑通りには進んでいないことが明らかになっています。

「原発再稼働」の是非については今日は措くとして、「早期再稼働」へ向けての動きのあり方、ということについて考えます。これは、卑近な表現で言えば典型的な「作戦ミス」であり、もう少し本質的な問題として言えば典型的な「誤った行動方針の決定方法」にあたるように思えます。

「早期再稼働」を求める理由というのは、なんだかんだ言って「電力需給への心配」ということでしょう。「経済活動を維持し、国際的な競争に立ち向かうためには、原発による電力供給が必要」ということです。このように強く言う人々がいます。その人々は、「経済界」と呼ばれる「強い立場にいる人」です。「強い立場の人が強く言う」わけですから、「その人たちの言うことを聞いて方針を決める」というのが、もっとも簡単な方法です。現にこれまでは、そのような方法に従って物事が決められ、進められてきたわけなのだから今回も同様に、ということだったのだと思います。

そのようなものとして、昨年の6月(3.11のわずか3か月後)には、わが九州の玄海原発について「安全性が確認された」として「再稼働」する一歩手前まで行きました。

しかし、福島原発の「事故」が収束されず、その原因等に関する検証も済んでいない段階での「安全確認」の怪しさは明らかでしたし、「必要性」についてもその基礎となる「電力需給予測」そのものへの信頼性が著しく低下していて、とても「国民的理解」を得ることができる状況ではありませんでした。

そのような経過をたどってきたのにもかかわらず、今春になって再び、大飯原発の再稼働をめぐって、今度は形式を少し仰々しくした形でまた同じようなことを行おうとしました。安全性に関する「暫定基準」を急造して、それに「適合している」という「確認」をして、信頼性のない「電力需給予測」にもとづいて「必要性がある」として、再稼働へ進もうとしたわけです。

このような動きは、「安全性」についても、「必要性」についても、さらに不信感を増幅させるものだったように思えます。「強くものを言う少数の人」の言うことを聞くことによって、「その他大多数の人」を「声なき声」扱いして不信感を買ってしまい、身動きがとれなくなってしまったわけです。

ある一定の方針を決めようとするとき、すべての人がそれに賛成してくれる、ということはまずありません。それに賛成する人も反対する人もあります。このときに、「声の大きい人の意見」にまずひきづられてしまい、本当の必要性やら妥当性をしっかりと検討することができなくなってしまうと、方針を誤ってしまいます。

これは、どちらの方向においても言えることです。「原発再稼働」をめぐる問題で言えば、「反原発の声の大きさ」で決めてしまっていいわけでもない、ということは言えるでしょう。しかし、これまでの動きを見る限り、「客観的」を装った方針決定が、とても偏ったものであったように思えるのであり、そのように進めてしまったことにおいて「作戦ミス」があり、まずい方針決定のあり方であったように思えるのです。