miyabuの雑記帳

写真と雑記の復活

布袋の街歴史散策②

2015-05-19 | Weblog
布袋の村落は、小折城(生駒家)の支配地で、布袋野と呼ばれる田園地帯だった。織田信長との間に信忠、信雄、徳姫を生んだ吉乃は、この生駒家の娘で、まさに信長の恋と青春の地が、布袋野でした。

写真の高い塀は、村瀬銀行布袋支店当時の「うだつ」です。このような「うだつ」は日本全国探してもない?。「うだつ屋敷」の保存町並みが美濃市にありますが、うだつは防火目的ですから、この方が完璧とは言え、経費面で真似できません。

写真は寛政2年(1790年)創業の丸井合名会社「楽の世」社長・村瀬国彦さんの酒造所ですが、他に、山一酒造「勲碧」社長・村瀬貞夫さん、山星酒造「星盛」社長・村瀬恭平さんの酒造所があります。布袋は、村瀬一族が大きく関与しています、中でも村瀬一族総本家の当主だった村瀬善十郎さんの功績は顕著で、丹羽郡、葉栗郡の郡役所を呼び寄せ、土地の寄付、建設費の一部も負担。養蚕試験場の土地を寄付、建設費にも多大の寄付。そのた、警察や、郵便局にも土地を寄付するなど、布袋の発展に尽力した。布袋の人々は「篤志家・村瀬善十郎」の功績を賛え、昭和12年聖寿院境内に立派な碑が建立した。

この写真は、村瀬善十郎さんが、土地を提供し、建設資金の一部も負担して建設した、養蚕試験場で、当時は西日本で最大の設備と技術を誇り、全国各地から研修者や見学の役人で賑わい、昭和12年頃は、23軒の料理屋・旅館に、80人の芸者が多忙を極めていた。この試験場のあったあたりは、福玉精穀倉庫になっているようです。
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